6.セーフ・ストリートとロカ。どちらか一方が優れているわけでもない
どの時点で、セーフ・ストリートプログラムの上層部は、運営を続けていくのが不可能なほど危険性が高くなったと認識するようになったのでしょうか?銃撃事件の記録の分析を専門とするメリーランド大学教授のジョセフ・リチャードソン・ジュニア(Joseph Richardson, Jr.)は言いました、「既に3人が命を落としています。尋常なことではありません。3人のセーフ・ストリートの協力者が殺されたのですから、何が起こっているのか分析し評価する必要があります。」と。
ロカは、プログラムの協力者には少なくとも6万ドルの年俸を支払っており、その安全性には細心の注意を払っていると強調していました。一方、セーフ・ストリート・プログラムでは、協力者の年俸は4万5千ドルが標準額でした。また、ロカは、緊張が高まっている地区に協力者を派遣することには殊に慎重でした。セーフ・ストリートとは対象的なのですが、警察当局との連携を維持しており、円滑なコミュニケーションがとれていました。ボールドウィンは言いました、「自動小銃を持った輩がウヨウヨしている時代に、警察官ではない、何の装備も持たない人間を危険な地区に送り込むなんて正気の沙汰ではありません。誰かを説得して犯罪を思いとどまらせることができるという前提はかなり怪しいと言わざるを得ません。誰かの思考に働きかけて行動を変えさせるということは簡単なことではないはずです。」と。
キュア・バイオレンスの創設者であるスラットキンは、自分たちの取り組み方法には問題は無いと主張していました。彼の主張によれば、ボルチモアで起きたように、犯罪の抑止が上手くいかなかった際には、それは現地でプログラムが正しい手法で行われていなかったことに原因があるのです。彼は言いました、「正しい取り組み手法があります。どこかのプログラムは結果が出ていますが、どこかのプログラムはそうではありません。正しい取り組み手法でやっているか否かで、結果に違いが出ているのです。例えば、ある都市で、結果を出している地区が3つ、結果を出していない地区が4つあったとします。結果を出していない地区でも1年中結果が出ないということではないのです。」と。彼が言うには、正しい手法は、プログラムの協力者や彼らをトレーニングする者たちがネット上でいつでも確認できるようになっているそうです。そこには、適切な人材の採用方法とか、街中でどのような人物に接触すべきかとか、活動記録を残して行動や結果を詳細に把握することの重要性などが分かりやすく記されているそうです。
昨年、スラットキンは、キュア・バイオレンスの代表から退きました。彼は、シカゴやフィラデルフィアなどの都市でも良い結果が出ていると言っていました。しかし、それを否定する専門家も少なからずいます。それらの都市では確かに犯罪件数は減っているかもしれませんが、それがキュア・バイオレンスのプログラムのおかげで減ったと証明できないからです。ジョン・ジェイ・カレッジ(John Jay College)の社会学者で、ニューヨークの犯罪抑止策を研究しているジェフ・バッツ(Jeff Butts)は、「犯罪を犯しそうな者を説得するプログラムに効果があるか否かを評価するのは非常に難しい」と言います。ある地区で銃撃事件の件数が減ったとしても、それがそのプログラムのせいで減ったのか、それとも他の要因によるものなのかを特定するのは非常に難しいのです。キュア・バイオレンスのプログラムでは、取り組み結果を評価する際に、通常は協力者のチームが配置された狭い地区の銃撃事件数をカウントしています。協力者の貢献が過大に評価されることもありますし、地区外に活動の効果が及ぶことも有るのですが、それが評価に全く反映されないということもあります。
バッツが指摘していたのですが、キュア・バイオレンスのプログラムの評価をさらに難しくしているのは、地区によって取り組み手法が大きく異なっていることです。バッツは言いました、「同じ旗の下で、同じTシャツを着て、同じプログラム名で、同じ理念で運営されています。しかし、協力者は1人1人違うわけで、独自のやり方を貫いている人も少なからずいたのです。」と。
昨年、ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)とメリーランド大学(the University of Maryland)による共同研究チームが、ボルチモア市の公安局と共同で、セーフ・ストリート・プログラムに関する包括的な調査を実施することが決まりました。9カ月間にわたって、現場での調査が行われ、プログラムの協力者へのインタビューなども行われる予定でした。協力者が接触した若者たちへのインタビューも行われる予定でした。しかし、途中で市側がコスト面を理由に調査期間を短縮するよう要求したため、調査の質は著しく低下しました。この調査を主導していたメリーランド大学のリチャードソンは、代わりにワシントンDCでも同様の調査を行う予定であると述べました。彼は言いました、「数字だけを見ても、銃撃事件の件数だけを見ても何も分かりません。何が原因で、現場でどのようなことが起こっているかを目で見て、取り組みがどのような効果をもたらしているか、あるいは全く効果が無いのかを理解し、深く深く分析しなければ、プログラムの効果を正確に把握することはできないのです。」と。
ロカやレディ・シカゴ(READI Chicago)のようなプログラムは、評価をするのは比較的容易です。というのは、プログラムを通じて職業訓練に送り込まれた者たち全員がどうなったかを追跡することが可能だからです。要するに調査対象者が限定されているので、評価が楽なのです。昨年発表されたレディ・シカゴ(READI Chicago)のランダム化比較対象試験の結果を見ると、18カ月間のプログラムに参加した男性は、プログラムに参加する機会を提供されなかった同様のバックグランドを持つ男性と比べると、銃撃で逮捕される確率が3分の2弱に減っていました。また、銃撃される確率も5分の1弱に減っていました。
キュア・バイオレンス・プログラムの上層部は、レディ・シカゴ(READI Chicago)の成果報告を目にしたわけですが、即座に彼らなりの受け取り方をすると決めました。 彼らは、レディ(READI)のようなプログラムでは、一部の者しか救えないと主張しました。また、幸運にもプログラムを通じて職業訓練等を受けた者たちだけが救われるが、近隣に住む他の多くの若者たちは救われないと主張しました。キュア・バイオレンスの科学および政策担当責任者のチャーリー・ランスフォード(Charlie Ransford)は言いました、「READIのようなプログラムでは、50人か100人の若い男だけに救いの手が差し延べられます。それ以外の者は何もしてもらえないのです。もし出所してきた若い男が何人かいても、彼らに救いの手は伸びてこないのです。数ブロック先で何人かの子供たちが問題を起こし始めても、彼らは何もかまってもらえないんです。それで良いのでしょうか?キュア・バイオレンスのプログラムは、全く違っていて、完全に地域密着型です。地域全体を良くしようとしています。彼らは違っていて、関与している個々人だけを見ています。私たちは、日常的に地区全体に目を配っているのです。」と。ランスフォードは、レディが一部の若者を更生させたことを賞賛していないわけではありません。しかし、非常に大きな成果であると認めつつも、それだけでは不十分であると指摘しています。彼は言いました、「キュア・バイオレンスのプログラムは、槍の穂先として必要なものなのです」と。
犯罪防止のためのプログラムはいろいろあって、それぞれが競い合っているような状況が続いている中、昨年の冬に、ある出来事がありました。バイデン政権が、地域の犯罪防止活動を支援する資金(2億5千万ドル)の分配を管理する役職を司法省内に設けたのです。ユバルディ(Uvalde)とバッファロー(Buffalo)で銃乱射事件が起きた後に法律が改正されたことを受けての措置でした。エディ・ボカネグラが殺人を犯して有罪判決を受けてから30年経っていました。彼が、別のアプローチ方法を求めてキュア・バイオレンスを去ってから10年経っていました。1990年代初頭に彼が犯罪防止活動に関与し始めた頃、犯罪件数はピークをつけていました。現在、再びその件数が急増しつつある中で、それに対応するために、彼は連邦政府で犯罪抑止策を主導する任務を負うこととなりました。