ハマスによるイスラエル攻撃!当分、終わりそうもない? イスラエルは1人殺られたら、最低でも10人殺る!

Dispatch

When Massacre Came to a Music Festival in Israel
イスラエルの音楽祭で大虐殺が発生

Music-festival attendees were dancing beneath the sky when Hamas attacked, firing into the crowd and taking hostages.
音楽祭の参加者が野外で踊っている時に、ハマスが攻撃した。参加者に向けて発砲し、多くが人質として連れ去られた

By Ruth Margalit October 8, 2023

 土曜日(10月7日)の夜明け前、イスラエル南部のキブツ・レイム(Kibbutz Re’im)近くの森の空き地をハノク・ハイ・コーエン(Hanoch Hai Cohen)は歩いていた。何千人もの若者が夜空の下で踊っていた。近くにはたくさんのテントが張られていた。ノヴァ(Nova)と呼ばれる音楽祭が開かれていた。コーエンは31歳でテルアビブ(Tel Aviv)に住んでいるが、その音楽祭の大音量はロケット弾の連弾音によって遮られたという。すぐに数人の警察官がやってきた。カラー・レッド(Color Red:イスラエルではロケット弾の着弾を意味するコード)と叫びながら音楽祭を解散させた。

 音楽祭の参加者は自分の車の方に逃げ込んだり、地面に横たわってロケット弾の連弾が通り過ぎるのを待った。しかし、連弾が途切れると、次は銃撃音が続いた。コーエンは、武装した戦闘員が乗った4台のピックアップトラックとオートバイに乗ったガンマンをたくさん見た。それらが、音楽祭の会場に通じる道路を取り囲んでいた。「奴らはわずか1メートル先の人に向けて発砲していた。」と、コーエンは日曜日(10月8日)に私に語った。「まさしく処刑だった。私たちは射撃場にいるアヒルのようだった」。

 この音楽祭は、前例のないハマスのイスラエルへの地上侵攻の最初の標的となった場所の1つである。おそらく最も犠牲者の多い場所であろう。イスラエルの捜索救助組織によれば、ここで少なくとも260人が殺されたという。

 武装勢力は、近隣のいくつかのコミュニティも襲撃した。1軒1軒回って住民を殺害し、連れ去った。場合によっては家族全員が連れ去られ人質にされた。日曜日(10月8日)の夕方、イスラエル軍は侵攻を受けてから丸一日以上経った今も、数カ所でガザ地区の武装勢力と戦闘を続けている。イスラエル側の死者は700人に上り、300人以上が重傷または重体となった。イスラエルによる空爆でガザ地区の約400人のパレスチナ人が死亡した。

 音楽祭襲撃は計画的だった。しかも、高度に組織化されていた。音楽祭の参加者がネットにあげた動画がある。上空に突然、たくさんのハンググライダーに乗った戦闘員が写り込んできた。「非常に組織的な攻撃だった。」と、コーエンは言う。音楽祭の会場への道は放射状になっていたという。「武装勢力は組織的な隊列を組んで現れた」。集団で手榴弾(hand grenades)や迫撃砲(mortar fire)が尽きるまで音楽祭の参加者に向けて攻撃を続けた。コーエンは友人と2人で幹線道路から外れて近くの野原に逃げ込んだ。そこから未舗装の道をジープで進み、高速道路にたどり着いた。高速道路は黒焦げになっていた。ロケット弾がたくさん着弾していた。

 音楽祭会場にいたたくさんの者が死んだ。穴だらけの道路を走る車の映像がたくさんあった。走って逃げる者が次々と地面に叩きつけられる動画がいくつも出回っている。手書きの参加者リストが作成されている。土曜日の朝から音信不通となっている者の名前が載っている。数十人に達している。

 音楽祭参加者の多くが徒歩で逃げ出し、近くの果樹園に避難しようと試みた、その内の1人のリオル・オハヨン(Lior Ohayon)は、土曜日の午前11時に、周囲で銃声が鳴り止まぬ中、3人の女友達と何時間も空き地に避難しているとソーシャルメディアに投稿した。「一刻も早く助けて!!」と彼女は書いている。背の高い草の中に隠れているスニーカーを履いた足の画像を投稿していた。

 日曜(10月8日)の午後、イスラエルではラジオでアナウンサーが犠牲者の名前を読み上げた。それが長々と続いた。被害の甚大さを誰もが認識する。良いニュースも皆無では無かった。キブツ・ベエリ(Kibbutz Be’eri)では、約50人の住民が人質になっていた食堂が解放された。テルアビブ(Tel Aviv)から車で出発した勇敢な父親は、キブツ・ナハル・オズ(Kibbutz Nahal Oz)の息子の家に侵入したテロリスト集団を皆殺しにした。彼は途中でイスラエル軍の兵士の助けを借りたが、要塞化した部屋に隠れていた息子夫婦と幼い子ども2人を救い出した。しかし、Telegramなどのソーシャルメディア・プラットフォームには、恐ろしい動画がたくさん出回っている。ハマスが運営していると思われるアカウントからのものもたくさんあった。そうした動画等は、誤った情報を含んでいることもある。しかし、愛する人に関する数少ない手がかりを求めて必死になっている親族にとっては貴重な情報源であった。

 モシェ・オル(Moshe Or)は土曜日(10月7日)にイスラエル軍の大規模召集を受けて予備役として南へ向かっている際に、自分の弟の動画がネット上に出回っているとのメールを知人からもらった。モシェはそのビデオを見た。弟のアヴィナタン(Avinatan:30歳)が武装集団に囲まれ、両手を後手にした状態で連行されていた。アヴィナタンの恋人のノア・アルガマニ(Noa Argamani)は、別の武装集団にバイクで追い立てられ、叫び声をあげていた。

 「空が私の上に落ちてきた。」と、土曜の夜にモシェは電話で私に言った。彼はアヴィナタンとノアがノヴァ音楽祭に参加していたことを知っていた。「自分の心を騙して希望を持とうとしている。」と、彼は言った。「どこかに避難しているとか、森に逃げたんだろうとか思い込みたい。でも、最悪の事態に陥っている映像を見せつけられる。かわいい弟がテロリスト集団に連れ去られるという映像を目の当たりにさせられる」。それ以来、彼は弟の消息を掴めていない。軍や当局からは何の連絡もない。彼は、アヴィナタンと同じように軍では戦闘部隊に所属していたという。「私たちは国に、イスラエルという国のために尽くしてきた。でも、今感じているのは、国は私たちのことなど気にかけていないということです」。

 土曜日の夜中に、私はアルガマーニの最も親しい幼なじみであるシュロミット・マルシアーノ(Shlomit Marciano)と電話で話をした。彼女は中南部の都市ベエル・シェバ(Be’er Sheva)にあるアルガマーニの実家にいた。彼女が来週26歳になる 広い心を持つ 友人について話をしていると、背後で男が泣いているのが聞こえた。「神様、どうかお助けください(God help me, God help me.)」。

 マルシアーノは後ろで泣いているのはアルガマーニの父のヤーコフ(Yaakov)だと教えてくれた。彼は、娘がガザに連行される動画を見直したところだという。

 日曜日、ヤーコフは記者団に語った。「戦争はもうたくさんだ、何もかもうんざりだ」と、彼はかすれた声で訴えた。そして、相手側の犠牲についても詳しく言及した。「彼らも今回の戦闘で愛する人を失っている。彼らの側にも捕らえられた者が出ているし、子を亡くした母親がいるだろう。私たちは悲しみを共有すべきだ。私たちは同じ父親から生まれた2つの国なのだ。・・・・何とかして平和を築こう。本当の平和を築こう。」と、彼は声を荒げた。♦

以上