3.クリミア侵攻後に制裁を課され、プーチンは対処法を身に付けた
2013年11月、ウクライナの大統領ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)は、EUとの主要貿易協定から突如として離脱しました。この彼の唐突な決断は、多くのウクライナ国民の思惑に反するものでしたし、彼のプーチンへの肩入れを露わにするものでした。何万人もの人々がキエフの街頭でデモを行い、政情がますます不安定になったため、ヤヌコビッチはウクライナから逃亡しました(彼は、ロシアに亡命し、後にロシアのクリミア実効支配に肩入れした)。2014 年 2 月、何のマークも付いていない制服を着たロシア軍がウクライナからクリミアの支配権を奪い始めました。プーチンはすぐにクリミア半島はロシアの主権の及ぶ領土であると宣言しました。
オバマ政権時代には米国と欧州の指導者たちは、軍事的な行動をとりませんでしたが、プーチンの侵略行為には強力な経済制裁が必要であるとの認識で一致していました。当時のオバマ政権は、世界経済に深刻なダメージを与えることなくロシアを罰してクリミアとウクライナ東部からの撤退させることができる方策がないか模索していました。
当時のロシアは、世界第11位の経済規模を誇っていました。ロシアは、欧米の政治的影響力の及ばない国々や中国を頼ることで、経済制裁の影響を緩和することが可能でした。当時、財務長官だったジャック・ルー(Jack Lew)は、財務省の制裁検討部署と制裁に詳しい経済学者を集めて、ロシア経済が欧米に依存している側面を洗い出しました。その結果、ロシアがロンドンやニューヨークの株式市場や債券市場にアクセス出来ているが、この部分について制裁を課せば、中国や他の第三国では救いの手を差し伸べることができないことが明らかになりました。それで、財務省は、ロシアをニューヨークの債券市場等にアクセス出来なくすることを検討しました。そうすることでロシアの企業が借り入れをしたり、外国人からの投資を呼び込むことがはるかに困難かつ高価なものになります。
2014年3月に米国とEUとカナダは、ロシアに対して様々な制裁措置を課し始めました。それらの制裁が課された際に重要だったのは、さらに重い制裁措置を課す可能性もあると示したことでした。既に課した制裁措置でプーチンが退転しなかった場合に、何が待ち受けているかをほのめかすことが重要だったのです。当時、財務省の高官だったダリープ・シン(Daleep Singh)は、「最高の制裁措置とは、使う必要さえないのです。」と語っていました。
残念ながら、その月に西側諸国がとった制裁措置はプーチンを翻意させることはできませんでした。7月16日、米国はさらに踏み込んだ措置を実行に移しました。ロシアの2大石油企業であるロスネフチ(Rosneft)とノバテック(Novatek)、2大銀行のガスプロム銀行(Gazprombank)とブニシェコノム銀行(Vnesheconombank)、さらに武器メーカー8社、ロシアが支援するルハンスク州とドネツク州などに制裁措置を課したのです。しかし、プーチンは動じない様子でした。制裁が課された翌日には、ロシアが実効支配していたウクライナ東部からのミサイル攻撃で、アムステルダムからクアラルンプールに向かうマレーシア航空機が撃墜され、乗員乗客全員が死亡しました。(ロシアは、この事件との関連を示す証拠がたくさんあるにもかかわらず、関与を否定しています)。
その後1年半の間に、クリミア侵攻の責任を負うロシア政府高官や分離主義的な指導者に対する渡航禁止や資産凍結など、欧米の対ロシア制裁はさらに強化されました。米国はロシアの大手金融機関への新規融資を禁じましたし、一部のロシア国営企業は欧米の資金調達源へのアクセスを禁じられました。しかしながら、プーチン政権や取り巻きのビジネスエリートの莫大な収入源であるロシアの化石燃料を欧州各国が購入することについては、ほとんど何も制限されなかったのです。
ドナルド・トランプが大統領に就任した際には、既に課されていた制裁措置の一部が撤回されるのではないかと懸念されました。当時、下院は共和党が支配していたのですが、事前にトランプの行動を制限する措置をとっていました。イラン、北朝鮮、ロシアにさらなる制裁を課す法案を通過させ、特定の制裁措置を大統領の一存で解除できないようにする法案も可決していました。財務省の内部では、トランプが対ロシアでどのような行動をとるかが窺い知れない状況で混乱が広がりつつありました。トランプ政権で高官を務めていた者の1人が私に言っていたのですが、トランプはロシアへの制裁に関心が無いようだったそうです。その人物は言いました、「彼はウクライナとハンター・バイデンにのことにしか興味がありませんでした。また、イランにも非常に興味を持っていました。そして、中国と取引できるかどうかということにも興味を持っていました。」と。
私が話を聞いた元財務省の官僚たちのほとんどは、当時課されていた制裁は十分ではなかったという意見で一致していました。投獄されているロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexey Navalny)と親交があり、反汚職財団(Anti-Corruption Foundation)の設立者でもあるウラジミール・アシュルコフ(Vladimir Ashurkov)も同じ考えのようでした。彼は、「もし、現在行っているような様々な制裁を、ウクライナでロシアが最初の侵略的行為を始めた2014年から徐々に導入していたら、現在起こっているような悲劇は避けられたかもしれません。」と述べました。「この8年間は、プーチンの自己主張を助長したようなものだと思います。2022年2月までは、彼はほとんど制裁の痛みを感じていなかったと思います。」
この8年間に課された制裁措置は、後にプーチンが有利になるような機会をも提供していました。プーチンと取り巻きのエリート連中は、西側諸国が課す制裁措置がもたらす最悪の事態に対応し、折り合いをつける術を学んだのです。プーチン率いるロシアは、ルーブルの価値を高めるために、膨大な外貨準備高を築いたのです。また、必要な技術や部品を調達するために、世界各地にダミー企業を設立しました。その結果、ウォーリー・アデエモ(Wally Adeyemo)とその同僚たちは、さらなる制裁措置を検討するにあたり、過去の制裁措置をただ強化するだけではダメだということを認識せねばならず、とても難易度の高い作業となりました。