グリーン成長は可能なのか?カーボンニュートラルを達成しようとした場合、その経済的コストは莫大!

Dept. of Finance February 10, 2020 Issue

Can We Have Prosperity Without Growth?
経済成長無しに人々は繁栄できるのか?

The critique of economic growth, once a fringe position, is gaining widespread attention in the face of the climate crisis.

経済成長に批判的な者はかつては少数派でした。しかし、気候変動に直面している中で、そうした者たちへの注目が集まっています。

By John Cassidy February 3, 2020

序.経済成長なき繁栄は可能か? 

1930年、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは第一次大戦後の経済問題についての研究を中断し、未来のことをさまざまな角度から研究、推論することに少しだけ夢中になりました。「Economic Possibilities for Our Grandchildren(わが孫世代の経済予測)」と題された論文を記しました。そこで描かれている未来は次のようなものでした。2030年までには設備投資と技術の進歩により、生活水準は現在の8倍となり、人々は週15時間しか働かないほど豊かな社会になります。 それで余った時間は趣味とか他の「non-economic purposes(非経済的目的)」に費やされます。より裕福になるのを目指して勤勉に努力することを良しとする考え方は廃れ、それまでのお金儲けを肯定するような価値観も否定されます。
 ほとんどの経済政策立案者が経済成長率を最大化することを重視している状況に変化はありませんが、今のところケインズの予想したような変容は起こっていません。しかし、ケインズの予測が全くの的外れであったわけではありません。この100年で米国の1人当GDPは6倍以上になりましたし、さまざまな統計を見ても年々工業生産額は増え、生産性も上がっていることが示されています。他方で、気候変動やその他の環境問題に対する警戒感が高まり、「degrowth(脱成長)」論を説く人たちも出てきました。それは、先進国のGDP成長率をゼロもしくはマイナスにしようという考えです。ギオルギス・カリス(バルセロナ自治大学の生態経済学者)は、「degrowth(脱成長)」というマニフェストを作成しました。そこには、「より多く生産し消費することで、環境破壊はより酷くなっています。もはや経済成長を続けたままで環境悪化を食い止めることは出来ない状況です。人類がこれ以上地球の生物圏を破壊してしまえば、世界経済は減速してしまうでしょう。」と記されています。カナダの環境学教授バーツラフ・スミルは著書「In “Growth: From Microorganisms to Megacities(邦題:世界を養う)」で次のように述べています。世界中の多くの経済学者は、人間の文明と生物圏が相互に密接に関連していることを理解していません。そして、彼らはこのまま経済成長を続けるという絶対に不可能なことを前提としてしています。現状、その誤った前提に立って各国の経済政策や各企業の経営戦略が決められています。
 以前は経済成長が環境破壊を引き起こしているという批判はほんの少数意見でしたが、最近では広く耳目を集めています。9月の国連気候変動サミットで、スウェーデンの10代の環境活動家グレタ・トゥーンバーグは次のように宣言しました、「私たちは大量絶滅の危機に直面しています。誰もがお金を儲けることだけを考え、経済成長が永遠に続くという誤った認識をしています。そんなことは、もう止めましょう。」と。脱成長を提唱する学術雑誌や会議は沢山あります。中には、化石燃料産業だけでなくグローバル資本主義の解体を支持するという考え方もあります。また、「post-growth capitalism(成長後の資本主義)」を唱える人もいます。そこでは、利潤のための大量生産が続くことを想定していますが、今までとは全く異なる経済の仕組みを構築しなければなりません。非常に反響を呼んでいる著書「Prosperity Without Growth: Foundations for the Economy of Tomorrow(邦題:成長なき繁栄―地球生態系内での持続的繁栄のために)」を上程した英国サリー大学の経済学者ティム・ジャクソンは、先進国に、経済を大量生産から、より資源の消費を減らすことが出来る看護や教育や手工芸品などの地域に密着したものに変えていくよう呼びかけています。 そのような変容は、社会的価値観も大きく変えるでしょう。ジャクソンは、そのことを認識していますが、楽観的な見方をしていて、大量生産を続けること無しに繁栄することは可能だと考えています。