経済成長の鈍化は、大規模な経済的成功の果実
主流派経済学者の間でも、経済成長だけを追求することへの疑問は高まっています。環境への負荷を懸念する意識が高まっているというのが1つの理由ですが、富の分配が公平でないということも理由です。2019年ノーベル経済学賞を受賞したアブヒジット・バナルジーとエスター・ダフロの2人は、共著「Good Economics for Hard Times(邦題:絶望を希望に変える経済学)」の中で、GDPが増大したからといって必ずしも人々の幸福度が高くなるわけではなく、分配が公平に行われない場合、特に幸福度は低くなると指摘しています。その著書の中には、「私たちが研究した結果やあらゆるデータを見ても、一人当たりのGDPが最も高いことが一般的に望ましいということを証明するもの何もありません。」と記されています。
2人は、、発展途上国でどのような種類の政策が上手く機能するかを調査する際に、現場での調査と実験的アプローチを組み合わせた実験方法を適用したことで評判を得ました。いわゆるランダム化比較試験を実施しました。その試験では、介入群と対照群の2つのグループを作り、介入群では親に子供が学校に行く費用を提供し、対象群では費用を提供しませんでした。その実験により、バナルジーとダフロが明らかにしたのは、政府は経済成長という幻想を追うのではなく、効果があると判明している政策を実施していくべきであるということであり、最貧層が医療や教育サービスを受けられ社会発展に取り残されないようにすることが重要だということでした。
また、バルナジーとダフロは、米国等の先進国では、レーガン革命やサッチャー革命以降、経済成長をやみくもに追求したことが、不平等の拡大、死亡率の悪化、政治の二極化に寄与したと主張しています。成長の恩恵が一部のエリート層にしか行き渡らない時、社会は悲惨な状況に陥るだろうと、2人は警告します。
バネルジーとダフロは、決して経済成長が悪いと言っているのではありません。先日フォーリン・アフェア誌に載せた論文で、2人は、1990年以降で、1日1.90ドル未満(世界銀行が極貧と定義するレベル)で生活する人の数は、約20億人から約7億人に減少したと記しています。人々の収入を増やすことに加え、GDPを着実に成長させていくことで、政府や企業や個人が学校や医療に回すお金が増え、貧しい人たちへの所得の移転も起こります。しかし、特に先進国においては、GDPを緩やかに成長させる政策が有益であることが証明されています。また、成長の果実を広く行き渡らせることも重要です。2人は以上のことを主張しているので「slothers(スローザー:ゆっくりな成長を主張する人たち)」と呼ばれることがあります。それは、元々はヒューストン大学の経済学者ディートリック・ヴォールラスに貼られたレッテルです。ヴォールラスはゆっくりとした経済成長を提唱する著書「Fully Grown: Why a Stagnant Economy Is a Sign of Success.”(本邦未公表)」を記してます。
ヴォールラスが著書で示唆しているのは、先進国で経済成長率が低いことを心配する必要はないということです。1950年から2000年の間に、米国の1人当りGDPは年率3%以上で増えました。2000年以降は約2%に低下しています。(ドナルド・トランプは、GDPを年率4〜5%成長させることを公約に掲げていましたが、実現できていません。)ローレンス・サマーズ(ハーバード大学経済学者、元財務長官)は、そうした考え方とは一線を画していて、経済成長の低下が続く現象を「secular stagnation長期停滞」という用語を用いて嘆いていました。その語は、広く使われるようになりました。ヴォールラスは、経済成長率が低いことは、米国のように富める先進国においては適切なことであると主張しています。彼は、他の経済成長懐疑論者とは異なっており、環境問題、不平等の拡大、GDPという指標の欠陥を問題視していません。彼は、先進国で経済成長率が低いのは個々人の選択の結果であると主張しています。個々人の選択の結果は正しいというのは経済学の根幹を為す考えです。
ヴォールラスは、経済成長の原動力が何であるかを詳細に分解して分析しました。MITの著名な経済学者ロバート・ソロウが1950年代に開発した数学的手法を駆使しました。家庭を出て働く女性が増えたことにより、労働力の供給は増えました。しかし、それ以外には特に労働力の供給が増える要因はありませんので、経済成長の上昇カーブは緩やかなものになりました。ヴォールラスは指摘していますが、米国のような国がますます豊かになると、より高い賃金と避妊薬の使用によって、労働時間は減って、出生率も低下します。労働力の供給増が緩やかになるので、GDPの成長も緩やかになります。しかし、ヴォールラスの見解では、それはいかなる種類の失敗でもありません。それは、女性の権利向上と経済的成功が反映しているのです。
ヴォールラスは、最近のGDPの拡大鈍化のほぼ3分の2は、投入労働力の伸び率の鈍化による影響だと推定しています。また、それ以外では、消費性向が変わったことも影響していると言います。衣服、車、家具などの有形のものへの支出は減り、育児、医療、美容などのサービスへの支出が増えています。1950年には、サービスへの支出がGDPの40%を占めました。現在では、その割合は70%以上です。また、サービス業というのは労働集約的ですので、製造業と違って生産性の伸び率は低くなりがちです。(床屋がハサミで髪を切る生産性がどんどん高くなるということはあり得ませんが、そのハサミを作っている工場の生産性は向上し続けています。)生産性の向上はGDPの成長の重要な要素の1つです。しかし、生産性の向上はサービス業が成長しその割合が高くなることにより抑制されます。しかし、繰り返しになりますが、これは必ずしも失敗ではありません。ヴォールラスは記しています、「結局、製造業からサービス業へ経済の軸足が移っているのは、成功の結果なのです。製造業の生産性が非常に高くなったおかげで、誰もがサービスにお金をつぎ込めるようになったということなのです。」と。
ヴォールラスによれば、近年の経済成長の鈍化は、労働力増加の鈍化と産業構造の変化でサービス業の割合が高まったことの2つでほとんど説明できると言います。彼は、他の者が挙げている要因はあまり関係ないと思っています。それは、設備投資の低迷、関税障壁の増、不平等の拡大、技術革新のスピードの頭打ち、寡占企業の支配力増大などです。彼は、それらはすべて原因ではなく、経済が成長して熟した結果たと主張します。経済成長の鈍化は、大規模な経済的成功の結果としてもたらされたのです。