脱成長は富者と貧者の対立を激化させる
そのような代替戦略をとることは、経済に大打撃を与えないでしょうか?何十年もの間、多くの経済学者が大打撃を与えないような代替戦略など無いと警告してきました。経済成長しないようなことを目的とするような政策が実行されたら、民主主義は崩壊するだろうとウィルフレッド・ベッカーマン(オックスフォード大経済学者)は主張していました。彼の1974年の著書、「In Defense of Economic Growth(邦題:経済成長擁護論)」で、故意に経済成長率を低くすることは、世界に政治的にも社会的にも変容がもたらされ、甚大な被害が出ると論じています。ベッカーマンの主張は、「経済成長の限界」という論文に反応する形で出されたものです。その論文は、国際的な環境科学者団体や経済成長を抑制すべきと考えている経済学者らは誰でも読んでいるもので、経済成長を抑制しなければ化石燃料や金属などの天然資源が枯渇し苦境に陥ると警告していました。ベッカーマンは、その論文「成長の限界」の著者が技術革新と市場原理を過小評価していること、それらによってもっと環境負荷の少ない資源消費の少ない形の経済成長は可能であることを主張していました。そういった主張は、今日グリーン成長を提唱する人たちの主張と通じるものがあります。
そうした技術革新が全てを解決するというような楽観的な見方が正しいか否かは別として、経済成長を故意に鈍化させる政策を取った場合、先進国と発展途上国の間の対立に対処する必要が出てくるでしょう。GDPが着実に拡大している限り、理論上は世界中の全ての人々の生活水準を上昇させることが出来ます。ベッカーマンは、経済成長こそが対立を回避するための鍵であると主張しました。しかし、経済成長が無くなった場合には、生活水準の低下が促されることにより富者と貧者の間の対立は激しくなるでしょう。それは、この20年間の多くの西側諸国で実際に起こったことで、経済成長の鈍化によって政治の二極化が激しくなっています。ベッカーマンが予測していた通りであると言えます。
一部の脱成長支持者は、富者と貧者の分配の不平等の問題はワークシェアリングと所得再分配を通じて解決可能だと主張します。10年前、トロントのヨーク大学環境経済学名誉教授ピーター・ビクターは、コンピューターモデルを作りました。それは、カナダの経済状況がさまざまな施策によってどのように変化するかを予測するためのもので、さまざまなシナリオで予測しました。脱成長のシナリオでは、1人当りのGDPは30年間で約50%減少しました。ワークシェアリング、所得の再分配、成人教育プログラムなど影響を軽減する政策を実施するシナリオでの予測も実施しました。ビクターはその結果を2011年に発表した論文で報告しており、失業率、人間貧困指数(国連開発計画が発表している指数)、債務は非常に大幅に減少し、温室効果ガスの排出量は約80%削減されます。
最近では、カリスや他の脱成長を唱える者たちは、人々がある程度の生計を維持できるベーシック・インカム制度を導入することを求めています。昨年、民主党急進派が2050年までに炭素排出量をゼロにすることを目指としてグリーン・ニュー・ディール計画を発表しました。その中には、連邦政府が雇用を保証するという内容が含まれていました。また、その一部の支持者はベーシック・インカムを提唱していました。それでも、グリーン・ニューディールの提案者たちは、脱成長よりもむしろグリーン成長に重点を置いているようでした。グリーン・ニュー・ディールを支持する者の一部は、経済成長があれはそれだけでさまざまな問題は解決されると主張していました。
経済成長懐疑論者には、別の課題もあります。それは、世界の貧困をどのように無くすのかということです。中国とインドは、自国を世界の資本主義経済と接続し、先進国に低コストの商品とサービスを提供することにより、数百万人を極度の貧困から解放しました。その過程では、農民の都市への大移動、搾取工場の急増、環境破壊がありました。しかし、最終的な帰結として、所得が増え、利益を貪欲に追求する新たな中産階級が出現しました。もしも主要な工業国が消費を削減した場合、バングラデシュ、インドネシア、ベトナムなどの発展途上国が生産する部品、雑貨、衣服を誰が買うのでしょうか。エチオピア、ガーナやルワンダなどのアフリカ諸国の経済はどうなるでしょうか。それらの国も、他の国々と繋がることで近年急速なGDPの成長を果たしてきました。脱成長を提唱する者は、そうした問題を解決出来るような説得力のある提案をしたことはありません。