3.アームストロングの奮闘
アンゴラ刑務所で十分な医療が提供されていなかったとする判決をアームストロングは当然だと思いました。2014年、彼女はニューオーリンズで彼女の知人に招かれてサンクスギビングデーに夕食会に参加しました。ゲストの中には、グレン・フォードがいました。彼は、刑務所から釈放されて初めてのサンクスギビングデーを楽しんでいました。実に30年振りのことでした。というのは、冤罪によってアンゴラ刑務所の死刑囚監房で29年を過ごしていたからです。彼はその年の3月に釈放されたばかりでした。州の検察当局は、彼の無罪を裏付ける「信頼できる証拠」が見つかったと発表していました。しかし、1984年に彼に有罪判決を下した4人の白人陪審員からは何の謝罪もありませんでした。アームストロングはその夕食会で「食事を楽しんでくださいね」と話しかけるなどし、親しくなりました。後に一緒にフレンチクォーターのクラブで行われたジャズコンサートに行ったりしました。しかし、フォードは釈放されてから15か月後に亡くなりました。死因は肺癌でした。釈放された後に亡くなったので、収監中に死亡したわけではありません。しかし、収監中に医療ケアが不十分だったことが原因であることは明確でした。アームストロングが私に話してくれましたが、フォードは数年前に肺癌であると診断されていれば確実にと治癒できたはずだと信じていたそうです。
アームストロングはフォードと友情をはぐくみました。彼女は、調査の対象となる人たちと親密になっても、調査の厳格さや正確さが損なわれるようなことは一切ありませんでした。刑務施設の仕組みを研究する際に何を一番優先しているのかを私が彼女に尋ねた時、彼女は「刑務所に囚われてる人たちだ」と答えました。収監されている人の声は見落とされ軽視されがちです。彼らの声は、刑務施設の惨状を非難している人や法曹関係者にも届いていません。現在46歳のアームストロングは、ニューオーリンズ市内で育ちました。彼女が住んでいた近隣は一戸建ての多い治安の安定した地区でした。しかし、周辺地域はそうではありませんでした。数ブロック先には低所得者用の公営住宅が沢山開発されていました。アームストロングがまだ子供だった頃、1980年代後半のクラックブーム(Crack epidemic:アメリカでクラック・コカインの使用率が急激に高まった)の頃には特に治安は良くありませんでした。彼女は言いました、「1980年代をニューオーリンズで過ごした黒人の女の子は、必ず知人の中に逮捕された人や犯罪の犠牲者になった人がいました。」と。彼女は、小学校の先生たちや母が自分を安全な道に導いてくれたことに感謝しています。彼女の母親は、地域奉仕の精神が重要であるという価値観を持っていて、彼女を炊き出しのボランティサに連れて行ったり、教会のボランティア活動に連れて行ったりしました。アームストロングは大学卒業後、the Peace Corps(平和部隊:米国から発展途上国にボランティアを派遣する組織)に加わり、国際的な人権擁護活動を始めましたが、結局、地元に戻って人権擁護活動をすることにしました。イェール大学のロースクールを卒業した後、2008年にニューオーリンズに戻り、連邦地方裁判所等で勤務した後、ロヨラ大学の法学部に移りました。
アームストロングは、個人的な話をする際にも仕事の話をする際にも、相手の信条や思想に関係なく、分かり易い言葉で自分の考えを説明します。ある日、私は彼女と2人で昼食を摂りながら話をしましたが、地元料理が評判のレストラン(Café Reconcile)でしたが、彼女は刑務所が違法な状態であることを暴露することに全く政治的な背景は無いと言っていました。彼女は言っていました、「それは純粋に政府の責務の話で、それが果たされていないのが問題なのです。政府には、正義が為され、何人も公正で人間的な扱いを受けることを保証する義務があるのです。ここでは全く政治的な問題は存在しないのです。」と。しかし、アームストロングは、法律が特定のグループ(特に黒人)を従属させるために体よく利用されてきたと感じていました。アフリカ系米国人はルイジアナ州の人口の3分の1弱を占めていますが、現在アームストロングが公表しているデータベースによれば、刑務所で死亡したことを確認された834名の内の58%をアフリカ系米国人が占めています。アームストロングは、「刑務所での死者について話す際には、人種の話を抜きにすることはできません。」と言いました。彼女は、誰かと初めて会った際に、相手は自分の人種と性別を一番気にしていると思われることが多々あると言っていました。以前、彼女はバトンルージュ市の裁判所に行きました。事前に調査のため訪問すると知らせてありました。しかし、彼女は入口で止められました。白人の警備員は、「あなたは弁護士ではない」と言いました。それで、彼女は、「私は弁護士です」と冷静に説明し、弁護士であることを証明するカードを提示しました。警備員は「全く弁護士のようには見えませんね」と言いました。彼女は内部の状況を調査をするために方々の刑務所を訪れていましたが、どこでもそのような対応をされました。刑務所の中に入って現地調査をするということは非常に重要であると彼女は言っていましたが、それは非常に消耗する作業で酷い衝撃を受けることとなるので、そうした日の翌日は仕事の予定を一切入れずに必ず休むようにしていると言っていました。彼女は言いました、「刑務所の中を見るのは非常に衝撃的です。人間が動物園の動物よりも狭いスペースで悲惨な扱いを受けているのを見なければならないのです。その上、酷い暴力を受けた経験を延々と聞かなければならないのです。」と。
アームストロングはシングルマザーで2人の娘がいます。アームストロングを16年間知っているニューオーリンズの人権擁護派弁護士のジョン・アドコックは私に教えてくれたのですが、彼女ほどの信用があれば有名な法律事務所等に入って高額の報酬を得ることは容易であるとのことです。しかし、アームストロングは言いました、「私にとって仕事とは地域社会に奉仕することで、それに関係ない職を選ぶことはありません。」と。彼女は、刑務所の状況を明らかにすることが喫緊の課題であると認識しています。なぜならば、そこの押し込められている人たちは最も弱い人で最も権力と遠い人たちだからです。