5.刑務所内の悲惨な状況が表に出ることは非常に少ない
透明性の欠如が、刑務所で受刑者が沢山死んでいるのにあまり報じられない理由の1つです。しかし、Vera Institute ofJusticeのプロジェクトディレクターであるジャスミン・ハイスは別の理由もあると指摘します。それは刑務施設内で亡くなった者の家族は貧しい者ばかりで刑務施設側の責任を追及するための訴訟をする際の弁護士費用を捻出することが出来ないということです。私はバトンルージュのリンダ・フランクに会いに行きました。彼女が経営しているからし色の壁紙の貼られた小さな美容院(ショッピングセンターの2階)で髪をセットしてもらいながら話しました。彼女が私に言ったのは、たとえ弁護士費用を捻出できるとしても、訴訟をすることを躊躇う人が多いと言っていました。なぜならば、刑務施設で家族の一員が亡くなったということ自体恥ずかしいことであまり公にしたくはないからです。彼女は私に言いました、「訴訟するとなったら、私の息子が刑務所で亡くなったことが明るみとなるので恥ずかしい思いをします。ですから、何が起こったかを掘り起こそうなどと考えずに、口をつぐんで黙っていた方が良いと思っています。」と。私のように髪をセットしてもらっている人が何人かいましたが、その話を聞いて頷いていました。ラマーの死後、その美容院は東バトンルージュ刑務所改革連合という団体のメンバーが集会所に変まりました。その団体は刑務所の惨状を改革するために戦う草の根組織です。リンダ・フランクは新鮮な果物やティッシュなどを差し入れて、くつろいで集まって語り合えるような場所にしました。そこに集う人たちの中に、ヴァネッサ・ファノという女性がいました。彼女の弟のジョナサンは東バトンルージュ刑務所で死んでいました。刑務所に入ったのは、精神疾患が原因で暴れたことがあったからでした。彼はそこで94日間を過ごした(その内の92日間は独房に入れられていました)後、自殺したのです
バトンルージュの教区長をしていてその団体のメンバーでもあるアレクシス・アンダーソン牧師(女性)は言いました、「貧困や精神疾患が原因で犯罪を犯してしまうという現状を変えられれば、刑務所内で沢山の死者が出るようなことは無くなるでしょう。」と。彼女の見解では、刑務所内で死んだ者の家族の悲しみは、ギャングによって殺された者の家族や警察に撃たれて殺された者の家族の悲しみと全く同じです。いずれの場合も死者は犯罪の被害者であるという点では同じです。ですから、刑務所内で亡くなった者の家族は、犯罪被害者の家族として、刑務所内でどんなことが起こっていたかを知らされるべきです。
アームストロングの公開したデータベースによると、刑務所での殺人は比較的まれであるようです。ルイジアナ州の刑務施設では、2015年~2019年の間に暴行によって殺された人はわずか12人でした。6人は市や郡管轄の刑務所で、6人は州管轄の刑務所でした。しかし、アームストロングは、12人しかいないという数値には注意が必要で、必ずしも正確な数値ではない可能性があると言います。なぜならば、刑務当局は、責任を回避したいという強い動機があり、暴行による死者数を出来るだけ小さく見せたいと考えているからです。彼女は言いました、「私が調べた際には、頭部の鈍器による外傷が原因で亡くなった者が病死とされているケースもありました。刑務施設内の死者の死因を特定し記録する際には、都合の良い見方をしているようですし、故意に間違った死因にしているとの疑われるケースも散見されます。」と。(ルイジアナ州矯正局の代表は、刑務当局の死因のデータは完全に正確であると主張しました。)
弁護士でオクラホマ州の矯正施設のコンサルタントもしているスティーブ・J・マーティンは、何十年も刑務施設で看守の不必要で過度な暴力が原因で亡くなった死者を調査しています。彼が私に言ったのですが、そうした調査を続けているものの、いつも調査は非常に困難で刑務施設はデータを出すことを拒否することが多いそうです。彼は、ニューヨーク市矯正局の監査役をしており、30を超える州で刑務所内の死者の調査をしたことがあります。彼は、次のように述べています、「収監中に死んだ者の死因を看守の暴行であると認める刑務所はほとんどありません。また、暴行によって受刑者を殺したと疑われる看守には言い逃れをする手段がいくつもあります。」と。問題は複雑で、というのは、検視官は保安官や刑務所の幹部と知り合いであることが多いからで、刑務所が不利にならない検死報告書を作成しがちです。マーティンが覚えているケースでは、数人の看守が繰り返し受刑者にテーザー銃を当てた結果、受刑者は心臓発作を引き起こした。その際の死因は心停止と記録されていました。マーティンは言いました、「それはまさしく殺人でした。」と。別のケースは、ロサンゼルスのツインタワーズ刑務所に収監されたホームレスの男が死んでいました。その男は、暴行を加えられてはいませんでしたが、4点を拘束されて床に組み伏せられて、数名の看守によって首と胴体を膝で押されたことにより窒息死していました。マーティンは言いました、「看守たちが窒息死させたのは明確でした。ジョージ・フロイドが殺されたのと全くそっくりな状況でした。」と。それでも、ロサンゼルス保安局が行った内部調査では、看守はキックやパンチを繰り出していないので、いずれの看守も不適切な暴力は振るっていないと見なされました。
マーティンによれば、刑務当局は、受刑者が精神錯乱で暴れていると主張することにより、暴力の行使を正当化することもあるそうです。今年初め、サウスカロライナ州のチャールストン郡刑務所で投獄されていた精神疾患を病んでいた黒人男性、ジャマル・サザーランドは2人の看守が彼を独房から連れ出そうとした時に少し暴れました。検視官は、サザーランドは精神錯乱を起こし暴れていたと結論付けていました。それで、彼は暴れた際に看守に暴行されて死んだのですが、検視官の見立てでは、精神錯乱で暴れた際に看守が落ち着かせようとしたものの死んでしまったということになっていました。2ヶ月後、彼が死んだ際のビデオ映像が公開されました。2人の看守が何度もテーザー銃を当てて催涙スプレーを吹きかけた後、サザーランドは背中を膝で押さえられました。「苦しい!息ができない・・・」とサザーランドは呻きましたが、それは無駄で、息絶えました。サザーランドの死因は当初は「不明」とされていました。しかし、6月に彼の家族が弁護士を雇うなどした結果、修正した死亡診断書が発行されました。死因は殺人と記されていました。
しかし、刑務所内で受刑者が暴行で殺された場合、ほとんどの場合において、その一部始終を捉えたクリアな映像など存在しません。2020年3月、ジェニファー・ブラッドリーは金曜日の夜、姪からの電話がかかって着た時、ベッドに横になっていました。姪が震える声で、ブラッドリーの息子のキャリントンが収監されているジョージア州管轄のメーコン刑務所の受刑者から得た情報があるが、キャリントンの身に何か有ったようだと言いました。キャリントンはそこに数年前から入っていました。それで、すぐにジェニファー・ブラッドリーはそこの受刑者で隠れて携帯電話を保持している知り合いに電話をしました。その知り合いは電話に出て言いました、「刑務所に電話してあなたの息子の状態を確認してください。彼は刺されたみたいです。死んだとという噂が流れている!」と。それを聞いた彼女は卒倒して床に倒れ、泣き叫びました。その後彼女は知ったのですが、息子は1人の受刑者と争いとなり、腹部と頸部を刺されそれが致命傷となったのでした。それは、188人の受刑者を1人の看守が監視している時の出来事でした。彼女が受刑者の何人かから聞いた話では、息子のキャリントンは治療を受けるまで30分以上も血を流し続けているのに放置されていたようです。
ブラッドリーは、刑務所側からは何の連絡も無かったと言います(それで彼女の方から電話したわけですが)。彼女は先方が電話してこなかったのは、死を知らせる価値もないと思っていたからだろうと推測しています(メーコン刑務所は看守がブラッドリーに電話したと主張しているが、誰が電話したかについては言及を避けています)。アトランタのSouthen Center for Human(南部人権センター)によると、昨年ジョージア州の刑務所で発生した殺人の件数は、ブラッドリーの息子の件を含めて29人件でした。南部人権センターは、ジョージア州の刑務施設の状況は人道的非常事態に該当するとの結論を下しました。キャリントンの死後、ブラッドリーはさまざまな所に手紙を送り、息子の死に関するさらなる調査を求めました。ジョージア州知事のブライアン・ケンプにも手紙を出しました。そのの中で、彼女は繰り返し依頼しているにもかかわらず、息子の私物を引き取る許可がまだ貰えないと記していました。また、刑務所では息子の命が非常に軽視されていたとも記していました。ブラッドリーと私が6月に話した時、彼女はまだケンプ知事からの返答を待っていると私に言いました(ケンプ知事の側近はこの件に関するコメントを拒みました)。彼女によれば、キャリントンが初めて逮捕されたのは17歳の時でした。ニックネームはシップでした。殴り合いの最中に相手の少年の足で撃ったことで逮捕されていました。彼は罪を償わなければなりませんでしたが、同時に、更生し自分で将来を切り開く機会を与えられて然るべきでした。彼女によると、シップは優しくて社交的で、他の囚人を助けることで知られていました。彼の死んだ後、彼と一緒に収監されていた者の何人かが彼女に弔意を伝えました。その中の1人は、ここ数年で初めて泣いたと言っていました。刑務所の中で勉強して、シップはGED(中等教育の課程を修了した者と同等以上の学力を有することを証明するための試験)をパスしていました。彼は将来のことを考えていたのです。彼は仮釈放される直前に亡くなりました。まだ23歳でした。彼女は涙をこらえながら言いました、「仮釈放を祝う盛大なパーティーを計画していたのよ。でも、それがなぜか、葬式の準備をしなければならなくなってしまったのよ。」と。