ルイジアナ州の受刑者の死亡率は全米で最も高い!アンドレア・アームストロングはそうした実態を暴き続ける!

6.刑務所で亡くなった者の話が公にならないのは、身内が恥ずかしいのの隠そうとするから

 2018年にアンドレア・アームストロングが共著で作成した東バトンルージュ刑務所に関する報告書には巻末に死者を追悼する章がありました。その章には、2012年~2016年の間にその刑務所で亡くなった25人の男性の名前が記されていました。また亡くなった者の写真や小伝などもありました。アントゥーイン・ハーデンの小伝を読むと、彼は車を修理するのが得意で弟と一緒に過ごすことが何よりも好きだったと記されていました。UCLAでMFA(美術学修士号)を取得したデイビッド・オークインは、創作活動の傍ら愛犬ボギーと散歩するのが好きだったと記されていました。

 アームストロングは、収監中に死亡した人々たちの尊厳を守るべく、そうした情報を報告書に付け加えたのです。2019年、彼女はルイジアナ大学のロースクールが出していた雑誌”Louisiana Law Review”で記事を書きました。タイトルは”The Missing Link(失われた環)”でした。管轄区域で刑務所に閉じ込めている受刑者の数を減らす運動(連邦政府主導のJustice Reinvestment Initiative)に参加して連邦政府から奨励金を受け取っている23州で調査を実施しました。これらの州の多くは、刑務所の受刑者数を減らすために司法制度改革に取組んでおり、受刑者が釈放された後も更生するのを支援する社会復帰支援プログラムにも資金を投じていました。しかし、刑務所内の受刑者の環境改善に取組んでいる州は1つもありませんでした。アームストロングは、それを司法制度改革運動における”ミッシングリンク(失われて環)”であると主張しました。重要な部分が抜けてしまっているからです。彼女の見解では、釈放後の生活の質を上げようとしても、刑務所内の惨状が変わらない限り、意味のある改革は不可能です。「受刑者が出所後に再び犯罪を犯して戻ってくるというサイクルを断ち切るためには、刑務所内の惨状を改善し、出所後に経済的基盤を築けるよう支援し孤立させないことが必要です。そうすることで犯罪者自体が減っていきますから社会はより安全になっていきます。刑務所の惨状を改善することは喫緊の課題であるにもかかわらず、全ての州で取り組まれていませんでした。アームストロングによれば、その重要性が認識されていない原因は、刑務所の中が見える化されていないことにあります。誰も刑務所の中の状況を覗い知ることがはできません。

 アームストロングは、別のプロジェクトに取り組んでいます。まもなくWeb上に公開する予定ですが、刑務所で亡くなった者に関する情報を収集しています。彼女がロースクールで教えている学生たちが、各所の裁判所の記録やさまざまなデータを調べて、亡くなった者に関する情報を収集して精査しています。Facebookも使って亡くなった者の友人や親戚を追跡して情報を寄せてもらい、繋ぎ合わせました。亡くなった者1人1人の人となりがおぼろげながらも分かるようになり、偲ぶことができます。アームストロングは私に公開前のデータを閲覧させてくれました。故人が残した詩歌やイラストなどもありました。また、故人の配偶者や子供の写真もありました。中には、ほとんど写真も無く、文章もわずかという死者もいました。その人の死ぬ前の人生がどんなだったかを窺い知るのはなかなか簡単ではありません。「パトリック・B・ベルを偲ぶ」というページがありましたが、パトリック・B・ベルはHIV感染者で、刑務所から釈放された翌日に48歳で亡くなったアフリカ系アメリカ人でした。そのページを担当した学生は、ベルの家族の住所も見つけられませんでしたし、どんな仕事に就いていたかといことも特定できませんでした。彼は裁判でベルの公選弁護人をした2人を見つけ出し連絡を取りました。しかし、2人ともベルのことをほとんど覚えていませんでした。どちらも彼を覚えていませんでした。そのページを担当した学生はベルについて「目に見えない幽霊」のようだと記していました。ベルの生きてきた痕跡を必死に集めようとしたものの、収集できたのはいくつかの逮捕記録のみでした。

 これまでのところ、学生たちを使って情報収集しているプロジェクトは、1つの刑務所の死者だけを対象としているので、アームストロングが公開しているデータベースの網羅している範囲と比べると非常に狭いものです。その1つの刑務所というのは、ニューオーリンズ州のローリンズ刑務所です。その刑務所の歴史は悲惨なトラブルの連続と言えます。1831年にアレクシ・ド・トクヴィルとギュスターヴ・デ・ボーモンがその刑務所を見学したのですが、”豚舎”のようだと形容しました。受刑者は鎖でつながれて、狂暴な野獣のように扱われていました。そうした扱いを受けた受刑者は更生する代わりに、残忍さを身に着けました。それから1世紀以上後の1970年、ある裁判で裁判官は、その刑務所の状況は信じられないほど酷いため、その刑務所に受刑者を入れることは残酷で尋常でなく不必要に重い刑罰に該当し、違憲であるとの判決を下しました。2013年に、オーリンズ刑務所は、内部が暴力に満ちており、それにより多くの受刑者が死に至ったとして集団訴訟を起こされ、刑務所の体制を根本的に改革すべきとの裁判所命令を出されました。私がニューオーリンズを訪れた時、人権擁護派弁護士のメアリー・ハウエルに会いました。彼女は、オーリンズ刑務所で亡くなった者の家族が起こした数件の訴訟を担当した経験がありました。彼女の法律事務所にて、1つのファイルを見せてもらいました。それは、2006年以降にその刑務所で亡くなった人々の一部が記録されたものでした。亡くなった者のことを調べる時にある人物の手を借りたと言っていました。それはアームストロングのことでした。ハウエルは、アームストロングが現在通り組んでいるプロジェクトを素晴らしいものだと賞賛していました。歴史家のグウェンドリン・ミドロ・ホールが2000年に出版した作品(ルイジアナ州の奴隷のデータベース:同州で奴隷の10万人以上についての記録がある)と比肩しうると言いました。ハウエルは言いました、「アンドレアから取組んでいることを教えてもらった時、私のしていることと類似点が多いことに気づきました。刑務所で沢山亡くなった者がいました。彼らの死が誰からも顧みられないなんてことがあってはならないのです。彼らの人生は決して忘れ去られるべきものではないのです。」と。

 ハウエルは私を散歩に連れ出し、ニューオーリンズの市庁舎を通り過ぎて、その奥の大きな建物のところまで行きました。それはニューオーリンズ市の留置所でした。かつてニューオーリンズ刑務所の一部でした(ニューオーリンズ刑務所で死んだ者の何人かの親戚が起こした訴訟をハウエルは担当したことがあります)。その建物は現在、解体予定で立入りが禁じられています。さらに先に進んで、私たち2人は2015年に新たに開設された数百万ドルもの費用をかけた前面がガラスとレンガの建物の前まで行きました。その建物は、オーリンズ司法センター(刑務所)でした。豪華な作りの刑務所でした。建物は豪華になっていましたが、刑務所内の管理状況が大きく変わったようには見えませんでした。変わらなかった理由は、オーリンズ刑務所の運営責任者を保安官マーリン・ガスマンが変わらず務めているからです。確か多少の改善が見られることは認めますが、依然として死者が出ていますし、重大な事故も起こっています(その刑務所の幹部は、ガスマンは大幅な改善を行ったと主張しています。)

 矯正施設改革の支持者の中には、刑務所内の状況の改善に焦点を合わせることが裏目に出るのではないかと恐れている人もいます。つい先日、ルイジアナ州刑務当局がオーリンズ司法センターの拘留者のための新たな精神病院を建設するという計画を発表しました。私たちが散歩している途中に、大きな空き地がありました。ハウエルが教えてくれたのですが、そこは精神病院を立てる予定地でした。しかし、精神病院を建てるという計画に反対して、オーリンズ刑務施設改革連合なる団体が出来ていて、派手に反対運動を繰り広げていました。地元の慈善団体などが結集して出来た団体でした。その団体の代表であるサド・デュマは私に「精神病院を建設することには反対です。」と言いました。その団体の主張は、精神病院を作る代わりに、刑務所に入る者を減らすための教育施設等を造るべきだというものでした。

 そのような反対運動が起こるということは、刑務所の状態を改善しようとすると様々な困難にぶつかるということを暗示しています。刑務所廃止論者の中には、刑務所の廃止を訴えれば訴えるほど、刑務所の惨状が伝わって逆効果として新たにどんどん刑務所が増えてしまっていると認識している者もいます。2017年に雑誌”ジャコバン(左派の雑誌)”に載った随筆で、刑務所廃止論者が書いていましたが、米国の刑務所の歴史を振り返ると、改革と称して刑務所の収容可能人数はどんどん増えていき、その結果、そこに入る人も増え続けています。 サド・デュマはロウワー・ナインス・ワード(ニューオーリンズの下町)で育ち、兄は刑務所に入っています。刑務施設の収容人員が増えると受刑者も増えるという懸念が巷に広まっていることは理解しています。しかし、現在刑務所に入っている者に対しては人間らしく扱う責務があると認識しています。サド・デュマは言いました、「刑務所廃止論者の中には、非常に厳しいものの見方をする者もいて、明日にでも刑務所を閉鎖しないと大変なことになるなどと主張しています。しかし、沢山の受刑者が今現在も刑務所内にいます。刑務所を閉鎖して彼らを外に放り出すことなど不可能です。受刑者の命を守り、人間的に扱い、彼らの尊厳を守るという責務を放棄してはいけません。それはとても不道徳なことです。」と。