2.
さて、どうしてこれほどまでに知識労働者が疲労感をおぼえ失望しているのか?一番最初に論じたいのは、知識労働者の職場がさまざまな要因で混乱しているのは何故かということである。新型コロナパンデミックが混乱をもたらしたことは明らかである。それは、知識労働者に新たに大きなストレスをもたらした。育児と仕事の両立がより困難になったし、家に閉じ込められることはとても窮屈だった。しかし、時が経つに連れて 1つずつ問題が解決し、少しづつストレスは減っていったはずだが、知識労働者のフラストレーションは増すばかりだった。もっと深いところに何らかの問題があるのだろう。
確かにパンデミックによって知識労働者はよりフラストレーションを感じるようになったわけだが、多くの者が認識していないかもしれないが、間違いなくもっと大きな影響を与えたことがあった。それは、知識労働者がデジタル・コミュニケーション( digital communication )に費やす時間が急増したということである。その傾向を裏付ける資料がある。先日マイクロソフトが発表したリポートによれば、同社のソフトウェアのユーザーは、メールやチャットやテレビ会議といったデジタル・コミュニケーション・ツールの利用に労働時間の 60% 弱を投じているという。ワード、エクセル、パワーポイントなどでの創造的な作業に使う時間は、残りの 40% のみである。調査対象となった知識労働者の 4 人に 1 人は、デジタル・コミュニケーションでドツボにはまった状態にある。電子メールの処理のために、毎週 1 日を犠牲にしている(正確には、毎週 9 時間!! も費やしている)。また、オンライン会議に費やす時間は、2020 年 2 月と 2022 年 2 月の間で 250% 以上も増加した。
リモートワークが急速に普及したことで、デジタル・コミュニケーションに費やされる時間が増えた。それは、当たり前のことで驚くべきことでは無いのかもしれない。思い出してほしいのだが、特にパンデミック初期の頃には、誰もがズーム( Zoom )やスラック( Slack )を使う機会が多かったはずである。それらは、急にオフィスから締め出されて孤立していた知識労働者にとって不可欠なライフラインだった。しかし、次第に仕事のリズムが安定しだし、実際にオフィスで勤務する時間が増えても、デジタル・コミュニケーションに費やす手間と時間は依然として多いままである。これは驚くべきことである。マイクロソフトの研究チームは、パンデミックが始まって以降のデジタル・コミュニケーションのデータ量の推移も調査していた。それによると、データ量はパンデミックが始まって直ぐに急増し、その後も漸増し続けているという。残念なことに、デジタル・コミュニケーションのデータ量が増加する一方で、仕事の満足度は逆に低下している。これを裏付ける研究結果も存在している。しかも、たくさんある。その 1 つは、2019 年にスウェーデンで大規模に行われたものであるが、デジタル・コミュニケーションの量の多さと健康状態の悪化との間には相関関係があるという。小規模の研究でも同様なことが明らかになっている。3 機関(カリフォルニア大学アーバイン校、MIT、マイクロソフト)が協力して行った研究では、それらで働く 40 人の知識労働者を被験者とした。2 週間心拍数モニターを付けてもらったのだが、電子メールに費やす時間が長いほどストレスレベルが上がることがわかった。
絶え間なく新しいメッセージが届き、会議が目白押しのカレンダーを見ると、知識労働者は興味が常に次から次へと移るので集中することができない。仕事の重圧を感じ、精神的にも疲弊する。重要な目標に向けて継続的に努力しようとしてもあまりやる気が出なくなってしまう。マイクロソフトが行った調査では、10 人中 7 人が「勤務日に誰からも干渉されず集中して業務する時間を確保することができない」との不満を漏らしている。メッセージが溢れかえるほど送りつけられる状況にあると、仕事とプライベートを分けることも困難になってくる。受信箱に溜まるメールが追い付けないほどのスピードで増えると、情報をシャットアウトして寛ぐことが難しくなる。仕事がどこまでも追いかけてくると感じられるようになる。
要するに、パンデミック発生以降にデジタルでのやり取りが急激に増加し、知識労働者の仕事はより単調で骨の折れる作業となり、元々混乱しつつあった知識労働者の環境がさらに悪化したということである。このような解釈が事実であるとするならば、パンデミック以降で変わってしまった状況を受け入れ、それに対応して知識労働者の働き方や環境を変える必要がある。過度にデジタル・コミュニケーションに依存しデータ量に圧倒されるような状況が続く限り(間違いなく続くだろうが)、行き当たりばったりで対応する機会が増えるので混乱した状況が改善されることはない。であるから、デジタル・コミュニケーションの削減に真剣に取り組む必要がある。
状況を改善する方法はたくさんある。最初のステップとして考えられるのは、企業経営者が新たな基本ルールを設定することである。たとえば、今後は電子メールは全員が知るべき情報の伝達と、一度の返信で済む質問の送信にのみ使用する、と宣言するのである。この宣言をする際の前提となるのは、詳細を確認して詰めていく作業はオフィスや現場で顔を突き合わせて行うということである。この宣言と同時に、新たな会議が爆発的に増えるのを防ぐため、管理職はオフィスアワー( office hours )を導入するべきである。特定の時間帯をオフィスアワーと定め、毎日その時間帯にはすべての従業員が在席するようにし、誰もがアポなしで面と向かって、あるいはテレビ会議やチャットや電話で話し合えるようにするのである。15 分以内で終わりそうな内容はオフィスアワー内で話し合うようにすることで、煩わしい会議の回数を最小限に抑えることができる。電子メールのやり取りを延々と続けることから誰もが解放される。
即座に対応する文化に慣れ親しんだ知識労働者にとっては、回答を得るために待たなければならないという概念は急進的で、実行不可能にさえ思えるかもしれない。しかし、この方法を実際に試した人たちがいる。彼らが実感したのは、誰にとってもより良い時間配分に繋がったということである。「ほとんどの場合、待つことは大した問題ではないことがわかった。」と、世界が注目するソフトウェア開発会社ベースキャンプ( Basecamp )の創業者であるジェイソン・フリード( Jason Fried )とデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン( David Heinemeier Hansson )は、自社にオフィスアワーを導入した後に主張していた。「当社の優秀な知識労働者が取り戻した時間は膨大で、より業務に集中できるようになった」。
さて、スラック( Slack )のようなインスタント・メッセージアプリは、知識労働者の働く環境を良くするものなのか、それとも悪くするものなのか? 進行中のチャットを常にチェックする必要があるわけで、頻繁に電子メールが届くとか会議ばかりしているよりもさらに混乱を生み出す可能性がある。こうしたアプリ等を使わないのは不可能なように思えるが、決してそんなことはない。約 30 人の従業員を雇用し、企業間電子商取引プラットフォームを提供する企業であるコンヴィクショナル( Convictional )は、非常に大胆な決断をした。スラック等のチャット・サービスを完全に利用しないと決めたのである。同社の CEO であるロジャー・カークネス( Roger Kirkness )が 2021 年に IT 業界誌「プロトコル( the Protocol )」(現在は廃刊)のインタビューで説明したところによれば、この決断はスラックや頻繁な会議で絶え間なく作業を中断させられることに多くの従業員が憤っていたことに対処したものだという。カークネスは語った。「最も価値のある仕事のほとんどは、社員が気を散らさずに集中している時に為される」。
カークネスによると、コンヴィクショナルに新たに加わる知識労働者の中には適応するのに苦労する者もいるという。スラックの代用として電子メールを使おうとしたり、矢継ぎ早に議論を起こそうとしたりすることがあるという。同社はそうした”ハッスル指向( hustle-oriented )”のマインドセットは捨てるよう知識労働者に奨励している。また、同社は元々ほぼ全員が完全にリモートワークであったが、カークネスは対面の会議を定期的に行うように変えた。感情的なつながりを促進するのが目的であった。リアルタイムで顔を突き合わせての会議や打合せに依存しない環境では、それが失われてしまう。この会社がチャットやインスタント・メッセージアプリなしでどのように運営されているかを詳細に述べることは避けたい。それは重要ではないからである。ここで重要なのは、知識労働者のコミュニケーション方法を大きく変革することが可能ということである。これは、どこの企業でもできることである。あるツールが広く普及しているとしても、それを使わなければ絶対に仕事ができないなんてことはないのである。