3.メジャーリーグのプレーヤーは不安を感じながら戦っている。
1920 年のワールドシリーズでクリーブランド・インディアンズから 3 勝を挙げ、殿堂入りを果たしたピッチャー、スタンレー・コベレスキー( Stanley Coveleski )は、自身のキャリアについて語った。「いつも不安しかない。常に不安がつきまとっていた。野球をやっていて楽しいと思ったことなど 1 度もない」。現在の野球界でもこのような不穏な気持ちを抱えているプレイヤーは少なくないと思われる。現役プレイヤーの中では、フアン・ソトの陽気な明るさはとても新鮮に思えるわけだが、稀であるからそう思えるのである。現代のメジャーリーグのプレーヤーのほとんどは、孤独でよそよそしい感じのする人物である。目の前のゲームに全力を尽くし、すべてのゲームを大切にするという決まり文句を口にする者ばかりである。発する言葉は差し障りのない淡白なものになっている。多くのプレイヤーが次に屈辱を受けるのは自分かもしれないという恐怖を感じているのかもしれない。
ドジャースのしなやかな万能スラッガー、ムーキー・ベッツ( Mookie Betts )について言及したい。彼はスタジアム内の静かな部屋に行き、集中力を高める。特にヤンキー・スタジアムではそれが大事である。というのは、ほとんど金属、コンクリートでできており、観客の歓声や電子音が大きく響き、絶えず明滅する照明も相まって、ビジターチームのバッターはタイムズ・スクエアでピッチャーと対峙しているような気分になるからである。ベッツは禅のアプローチを取り入れている。メッツとのリーグ優勝決定シリーズ第 4 戦で 4 安打 4 打点を記録した後、彼は肩をすくめて「今日はうまくいったが、明日のゲームはまったくどうなるか分からない」と言った。「野球は簡単ではないんだ」 。ヤンキースのエース、ゲリット・コール( Gerrit Cole )は、カルロス・ロドン( Carlos Rodón )や他の同僚たちから 「ロボットのように冷静に振る舞う」と評されている。ドジャースのピッチャー、マイケル・コペック( Michael Kopech )は、どんなに寒い日の午後遅くでも、短パンに素足で外野の外周を歩く。アーシング( earthing )もしくはグラウンディング( grounding )と呼ばれる、大地や自然とつながることで心と身体を癒す体調管理術である。「必ず素足で歩くようにしている。体調の良し悪しが分かる気がする」とコペックは私に言った。「ルーチンにしていて、それをやると落ち着くんだ」。
メジャーの各球団には、分析部門がある。スコアラーが何人もいて相手チームを際限なく精査しようとしている。ドジャースほど分析に心血を注いでいるチームはない。ドジャースの分析部門は多岐にわたる分析をしていて、たくさんのディレクターを抱えている。戦略( baseball strategy )、パフォーマンス科学( performance science )、システム応用( systems applications )、風土醸成( cultural development ) 、定量分析( quantitative analysis )、統合的パフォーマンス分析( integrative baseball performance )などのディレクターがいる。ロサンゼルス・タイムズ紙の取材に対し、アンドリュー・フリードマン( Andrew Friedman )編成部長は「大変大きな部門である」と語った。彼が自負するところによれば、ドジャースは能力の高いプレイヤーをたくさん獲得し、その能力を最大限に引き出す能力が高いという。そこに負傷者続出のチームがワールドシリーズに進出できた秘訣があるのかもしれない。ドジャースは会議の数がリーグトップと言われている。多くの分析部門のスタッフが緊密に協議している。そして、プレイヤーに適切なアドバイスをし、ベッツらはそのアドバイスを活かすべく日夜鍛錬し、ゲームに備えて準備している。
このような準備は、選手たちが野球で感じる不安をコントロールしようとする多くの方法の 1 つである。残念ながら、リーグ優勝決定シリーズに進出した 4 チームの中で最もプレイヤーの平均年齢が低いガーディアンズは、準備が不足していたのかもしれない。不安を吹っ切れていないプレイヤーが多かった。24 歳のリリーバー、ジョーイ・カンティージョ( Joey Cantillo )は 1 イニングに 4 つのワイルドピッチを記録した。23 歳のショートストップ、ブライアン・ロキオ( Brayan Rocchio )は 5 ゲームで 3 つのエラーを記録した。1 つはメジャーリーグではめったにお目にかかることのない平凡な内野フライの落球だった。これらの苦難の後、カンティージョやロキオが冷静に記者に対応する場面を目にすることは無かった。ソトに痛打を浴びたギャディスも同じだった。1988 年のワールドシリーズ第 1 戦でのオークランド・アスレチックスの殿堂入りしたリリーバーのデニス・エカーズリー( Dennis Eckersley )のピッチングを思い出す。ドジャースのカーク・ギブソン( Kirk Gibson )に変化球を投じてサヨナラホームランを許した。ロッカールームで、公衆の面前で酷く打ちのめされたばかりのピッチャーは、並外れた冷静さで多くの記者の質問に対応していた。
当時のことについて、「記者たちは容赦がなかった」とエカーズリーは私に語った。「僕のロッカーの周りにいた連中はみんなそうだった。狂気の沙汰さ。僕は本当に落ち込んでいた。僕はただそれを受け止めるしかなかった。いろんなことを聞かれた。『ノーコメント』と言って口をつぐむべきだったのか?いや、僕の対応は間違っていなかった。僕は、ワールドシリーズ史上で最も記憶に残るレベルのホームランを打たれたんだ。あの日、ロッカールームを最後に出たのは僕だ。僕の心は今でもそこにある」。エカーズリーは、屈辱に真摯に対応したことは「最も誇らしい瞬間の 1 つ」であると語った。今なら彼は「あの時はファストボールを投げ込むべきだった」と言うかもしれない。