防潮堤の強化で海面上昇に対処できるか? コンクリートでの海岸線強化には、デメリットもあるし、限界もある!

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 既知の最古の護岸堤防は、紀元前5000年頃に作られたものである。温暖化によって氷河が溶け、地中海の海面が26フィート(7.9メートル)も隆起した後のことである。現在のイスラエルの浜辺付近にあった石器時代のコミュニティは、巨石を積み上げて壁を作った。巨石は、高さ3フィート(0.9メートル)で長さはサッカー場の長辺ほどであった。それで海岸の侵食を防ごうとした。しかし、その後の数千年間で、地中海の海水面はさらに上昇した。後に考古学者がその時の巨石を発見することとなるが、それは水深10フィート(3メートル)の海底に眠っていた。発見した考古学者は、この遺跡が示しているのは護岸堤防は無力であるということであり、それは現在にも通ずるという。レバノンやエジプトなどでも考古学者が発掘調査をして古代の護岸堤防を発見している。古代ローマ帝国のいくつかの港では、水に触れると強度を増すコンクリートのようなものを使って護岸堤防を造っていた。

 人類は世界中で海岸の侵食を防ぐべく奮闘を続けてきたわけだが、おそらくオランダ人は世界中で最も長く防潮堤の中で暮らしてきた。西暦47年にヨーロッパ西部の低地(the Low Countries)を訪れたプリニウス(Pliny the Elde:古代ローマの物理学者)は、そこに住む人たちを人工的に作った泥の山の上で孤立して暮らす船乗りと表現していた。そこらあたりでは、中世初期には防潮堤を建設し始めた。1948年に出版されたオランダ人科学者の著書「浚渫、排水、保全:オランダの技術(Dredge, Drain, Reclaim: The Art of a Nation)」には、オランダの防潮堤は優れた構築物で、侵食を見事に防いだと記されている。「以前は、潮流や嵐などによる浸食は恐ろしいもので、何とかそれに贖って耐えている状態だった。現在、オランダは海を国から追い出す戦いを始めている。その戦いはいつ終わるか分からない。また、戦いに勝利できるか否かは分からない。」との記述がある。しかし、防潮堤を作ることには副作用もある。確かに、防潮堤は土地が侵食されるのを防ぐ。しかし、ダイナミックな海岸線が失われ、それと引き換えに得られるのは、容易に変えることができず、永遠に保守を続ける必要がある海岸線である。

 海岸の侵食を防ぐ方法はたくさんある。その中のいくつかは、自然を活かす方法で、なお且つ効果的である。それは、湿地帯(marshes)を残したり、マングローブ(mangroves)を残したり、砂浜(sandy beaches)を残す方法である。それらはいずれも波の破壊力を吸収し、大惨事が引き起こされるのを防ぐ。また、重機を使って失われた砂を補充したり、岩や木材、コンクリートを置くことで海岸線を強化することができる。海岸に平行に岩をたくさん積む方法もある。いわゆる防波堤(breakwater)であるが、海岸を波による侵食から守ってくれる。海に向かって突き出すように積んだ岩山がグロイン(groin:防潮堤)であるが、これも片側に砂を閉じ込めて海岸の侵食を防ぐ。これらの方策はすべて、世界中の海岸線ですでに広く取り入れられている。

 硬い素材を使って海岸の侵食を防ぐ方法は、味気ない手段に見えるかもしれない。通常、コンクリート、岩、木材、金属が使われ、海岸に積み上げられる。しかし、そうした硬い構築物は、ぶつかった波を決して消さないし、吸収するわけでもない。そこは砂浜と違うところで、波の破壊力はそのまま反射するように跳ね返っていく。結局のところ、水と土砂の流れはゼロサムゲームなのだ。波がどこかの場所の侵食をしなかったら、代わりにどこか別の場所が侵食されるわけである。どこかに砂が溜まる場所があるとすれば、どこか別の場所の砂が削られて流されているわけである。

 社会学者のサマー・グレイ(Summer Gray)によれば、コンクリート等の防潮堤は実用的な解決策というよりも、技術主義的イデオロギーの産物だという。かつては植民地を持つような大国が、世界中の植民地で防潮堤を作った。「防潮堤はそれがもたらす潜在的な利益の割に、環境に及ぼす害が大きい。侵食される危険性が、他のもっと脆弱性が高い場所に転移するだけである。砂浜を消滅させる。結果として、さらに防潮堤が必要になるという連鎖を生み出す。」と、彼女は新著「防潮堤の闇(In the Shadow of the Seawall)」(カリフォルニア大学出版会刊)に書いている。グレイは、オランダの西インド会社(the Dutch West India Company)が南米ガイアナの沿岸の低湿地帯に入植した経緯を、ある章で丹念に描写している。入植した農園主たちは、アフリカ人奴隷を酷使し、防潮堤の建設とサトウキビ栽培を行った。それから長い年月が経ち、ガイアナでは、誰もがその時に作られ今では老朽化した防潮堤を必要不可欠なものだと考えている。かつての低湿地帯は、大いに発展している。海水が防潮堤を越えるような嵐が発生すると、どうしてもっと高くしていなかったのかと考えがちです。不思議なことに海岸線をどの様にしていくかという議論にはならない。

 19世紀になると、防潮堤がもたらす予期せぬ影響が認識され始めたとグレイは書いている。1899年にイングランド南部ロムニー湿原(Romney Marsh)を守るディムチャーチ護岸堤防(Dymchurch wall)の管理責任者であったエドワード・ケース(Edward Case)は、当地の領主が湿原に領地を築いた時に、領民は何世紀にもわたって護岸堤防内に押し込められ悪戦苦闘することになったと指摘した。「その地は湿原で耕作に不向きであったことを考慮すると、…(中略)…護岸堤防を守る努力などせず、土地を放棄して離れるべきであった」とケースは見ていた。波がその護岸堤防の前の土砂を繰り返し押し流した後、彼は直観に反する主張をした。つまり、護岸堤防の目的は侵食を防ぐことであるが、むしろ助長しているという。護岸堤防の根元では、絶え間ない水の揺れによって土砂がかき回される。そして、その土砂は海に押し流される。今日では、この現象は、洗掘(scour)として知られている。時には、水が砂を侵食しすぎて護岸堤防が倒壊することもある。

 スティーブン・ロバート・ミラー(Stephen Robert Miller)という作家の著書「岸を越えて :津波、台風、干ばつ、そして自然制御の妄想(Over the Seawall: Tsunamis, Cyclones, Drought, and the Delusion of Controlling Nature)」では、バングラディシュの事例が紹介されている。バングラディシュは水と土砂の流入が豊富で絶えず変化する肥沃な農業地帯を作り出されているが、防潮堤は諸刃の剣であったという。ミラーは記している、「この地域は水に悩まされる世界というより、水によって定義される。」と。しかし、バングラデシュを植民地化した時、イギリスはいたるところに堤防を築き、広大な農場を作り、鉄道線路を張り巡らして水辺の景観を分断した。イギリスが去った後、多国籍資本の開発業者がさらに一歩踏み込み、たくさんの堤防を構築し低湿地帯に103個の島状の干拓地を作った。それらは、オランダ語で埋め立てられて強化された干拓地を意味するポルダー(polders)と呼ばれている。作られた堤防は人命と財産を守るわけだが、同時に多くのバングラデシュ人が高潮の被害を受けやすい地域に住むことになった。サイクロン(tropical cyclones)に襲われる度に、沿岸地域では甚大な被害がでるようになった。ミラーが指摘しているのだが、逆説的ではあるが、より強固な護岸堤防があるエリアでより多くの死者を出す洪水がしばしば起こっているという。「堤防が安全をもたらすというのは幻想である。」と、クルナ大学の環境専門家ディリプ・ダッタ(Dilip Datta)は言う。「堤防は最大の利益に反する」。

 イーストカロライナ大学(East Carolina University)の海洋生態学者レイチェル・ギットマン(Rachel Gittman)に護岸強化に対するこれらの批判について聞いてみたところ、彼女は防潮堤が批判される別の理由を提示してくれた。彼女によれば、自然の海岸線はもともと洪水に対する強力な緩衝材として機能しているという。そのままで、潮流や嵐のエネルギーを吸収できる。湿地帯やマングローブの再生が海岸線を守る最善の方法であることが多いのはそのためである。これとは対照的に、海岸線に防潮堤を張り巡らして沿岸の居住地を守る方法では、自然の海岸線が持っている力を発揮できなくなるため、沿岸圧搾(coastal squeeze)と呼ばれる現象が起こる。「自然の海岸線が持つ機能がゆっくりと枯れていくのです。」と、彼女は言った。「その機能がなくなると、海岸線は護岸堤防を構築する前よりも脆弱になる」。