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「癌を克服するためには、早期発見と診断こそが、最も効果的な手段である」と、英王立癌研究協会( Cancer Research UK )のあるグループが 2020 年のランセット・オンコロジー誌( The Lancet Oncology )の論説欄で宣言した。癌検診の必要性を、シンプルな物語の形で紹介している。女性の乳房にしこりができ、マンモグラフィーで発見され、生検( biopsy )で悪性度が確認され、外科医が転移する前に切除する。その女性の命は救われる。
さて、ここでマンモグラフィー検査を受ける医療機関を訪れた 2 人の女性を想像して欲しい。2 人とも全く同じような腫瘍が見つかる。いずれも早期乳癌と診断され、手術を受けることになった。2 人とも現代医学が手遅れになる前に介入してくれたと確信し、安堵して帰宅する。片方の女性は、そんな瞬間を思い出しながら言った、「自分の体の中に乳癌があると分かった瞬間から、一刻も早く摘出したいと望んだ。翌週の予約が取れるまで、1 時間おきに受診した医療機関に電話をかけ続けた」。
問題がある。マンモグラフィーが映せるのは腫瘍の影だけである。腫瘍の性質を予測することはできない。つまり、マンモグラフィーは癌の体を見せてくれるが、その心は見せてくれないのである。マンモグラフィーでは腫瘍の悪性度が高いのか、すでに転移しているのか、それとも不活性のままなのかは分からない。患者は、その画像から将来を予測して方針を決めたりすることはできない。それについては何の手がかりも得られない。
この女性、早く手術を受けたいと願っている女性が早期発見されたことを受けて早々に手術を受けたとしよう。しかし、癌細胞が転移してメスの届かないところまで広がっていたことが判明する。厳格な手術をしたものの、何の利益ももたらされない。彼女は利益が何も無く、ただ外科手術による怪我を負っただけである。これは、古くから医療現場に伝わる格言「何よりもまず、害をなしてはならない( First, do no harm )」と正反対である。
もう一方の女性は逆の状況に直面している。彼女の腫瘍は一見不吉に見えるが、実際には進行が遅く、非侵襲性で、命を脅かすようなものではない。しかし、彼女も手術を受け、麻酔から醒め、回復期を迎える。手術によって、何の害も及ぼさない腫瘍が摘出される。これもまた、害あって利なしである。
この比喩は、現在の癌健診( cancer screening )の根本的な欠陥を示している。私たちは癌の物理的な存在、つまり物質的な形態を特定することには長けているが、その性質、侵襲性の有無、成長するか否か等については、依然としてほとんど何も把握することができない。ゲノム検査( genomic assays )や組織病理学的判定( histopathological grading )が用いられているが、早期段階で検出される腫瘍のほとんどは生物学的には曖昧なままである。検査をして癌らしきものが発見できたとする。手術で治癒すべき種類の早期癌である可能性がある。あるいは、ゆっくりと進行し、害を及ぼす可能性は低いものである可能性もある。あるいは、最も懸念されるパターンであるが、すでに転移していて、局所的な介入が意味をなさなくなっている可能性がある。これら 3 つの可能性があるわけだが、残念なことに、どの可能性に直面しているのかを完全に見分けることはできない。
さらに事態を複雑にしているのは、偽陽性( false positives )が蔓延していることである。実際には癌がないのに癌を示唆する検査結果が示される事例が頻発している。結果として、不必要な手術が行われ、不安が助長される。まったく害でしかない。この危険な現状を打破するには、ある興味深い人物に目を向けるべきである。啓蒙時代( Enlightenment-era:18 世紀にヨーロッパを中心に起こった理性を唯一の権威とするさまざまな思想・科学・文化運動が花開いた時代)の聖職者で、数学者でもあった人物である。今、彼の思想が私たちを暗闇から救い出してくれるはずである。