2.2017年6月 Zha Jianguo(查建国)拘留
2017年6月のある夜、私が夕食のためにいとこに会うために北京のマンションを出た時、ある友人(法学者)から、警察が私の兄Zha Jianguo(查建国)を拘束したという連絡をSMSで貰いました。兄は元々は私たちと夕食を共にする予定でしたが、前日に連絡してきて警察が彼のマンションの前で張り込みをしているので行くのは止めると言っていました。天安門事件からちょうど28年目であることを考慮して拘束されたようです。
私は気づかなかったのですが、逮捕の前日、Zha Jianguo(查建国)は短い記事を投稿し、政情不安と偶発的な暴動発生の可能性について記していました。WeChatのグループ配信機能で拡散されました。当時、彼は、抗議活動と取り締まりが繰り返されていたので、軍事クーデターまで起こりかねないと考えていました。逮捕当日、彼は近所の床屋に行っていました。彼は顔に蒸しタオルを置かれた状態でしたが、女店主が大急ぎで駆け寄って来て、「入口にあなたに会いたいという人たちが来ています」と言いました。彼はいつもの尾行している警官たちだと思ったので、「外で待つように言ってください」と店主に言いました。しかし、しばらくして、女店主はおびえた様子で戻ってきました。彼女は警察手帳を見せられ、すぐに顔を剃っている客を外に出すよう指示されていたのです。それで、Zha Jianguo(查建国)は事態が深刻であることを認識し、店主に謝罪してその場を後にしました。
Zha Jianguo(查建国)の逮捕を知った時、私はすぐに彼の携帯電話に電話をかけましたが、繋がりませんでした。オーランドに住む彼の娘(=私のいとこ)Huiyiに知らせた後、私はレストランに向かいました。いとこも心配していましたが、ほんの少しだけでした。おそらく、私もいとこも昔からZha Jianguo(查建国)が警察に拘束され、やがて釈放され平穏に戻るということを何度も繰り返し見てきて慣れていたからです。レストランを出る時、兄のマンションに立ち寄っていた知人からメールを貰いました。添付されていた画像を見ると、兄は手錠をしてオリーブグリーンの囚人服を着せられ、居間に座っていました。警察は家宅捜索のため一旦彼をマンションに連れて帰りましたが、再び連れ去ろうとしていました。
私は様々な活動家や弁護士に電話をかけ、翌朝Zha Jianguo(查建国)のアパートで会う計画を立てました。彼らの内の何人かは、兄が拘束されたというニュースを公表して大騒ぎするのは得策でないこと、警察と直接話をすべきであることを教えてくれました。翌朝、驚いたことに、すんなりと兄の拘束を担当している北京市公安局の警官Liu(劉)と連絡が取れました。私が自分の名前を言うと、Liu(劉)氏は私がZha Jianguo(查建国)の妹であることを知っていると言いました。彼はすぐに私に会うと約束しました。私は兄のマンションで何時間も待ちました。諦めて帰ろうとしたと時、ちょうどドアが開き、制服を着た警官数名が入ってきました。続いて兄も笑みを浮かべながら入ってきました。Liu(劉)は30代後半で気さくな感じの男で、私に丁寧な挨拶をしましたが、明らかに会話はしたくなさそうでした。そして、Liu(劉)は「家族の団欒を邪魔するほど、私たちは野暮じゃありませんよ。」と言って去っていきました。