中国の治安維持費は国防費より多い!奇妙な反体制派監視プログラム

5.Zha Jianguo(查建国)は、諦観している

かつて、Zha Jianguo(查建国)は長年の刑務所努めから得た洞察について私に話したことがあります。中国では昔から、警官とギャングは同じようなものだと言われることがあります。それは、両者は同じくらい腐敗しているということを暗示しています。しかし、彼は両者には他にも共通することがあることを発見しました。ともに名誉を重視するということです。しかし、名誉とはさまざまな形をとります。人格や資力や博識さ等が関連します。彼によると、中国の刑務所内では、暗黙の階層が存在しています。政治犯が一番上の階層で、泥棒や他の政治犯でない犯罪者が真ん中で、性犯罪者が一番下になっています。裕福な囚人は刑務官に便宜を図ってもらうべく賄賂を贈ります。学歴の高い囚人も厚遇されます。なぜなら、刑務官が学んでいるオンライン講座の論文を書いたり、刑務官の子息に勉強を教えたり出来るからです。政治犯は、これまでの行動で示してきた勇敢さゆえに最も尊敬されています。中国の刑務所では、毎日、ケンカやリンチなどが発生し、暴力沙汰は日常茶飯事です。しかし、政治犯は、そうした暴力とは全く無縁です。他の囚人とは、暗黙裡に区別されています。
 私は、かつて同じようなことをノーベル平和賞受賞者の故Liu Xiaobo(劉暁波)から聞いたことがあります。しかし、同時に、政治犯が刑務官による虐待、拷問を受けているという報告もたくさんあります。私が知っている2人の活動家は、拘禁中に受けた恐ろしい扱いを詳しく教えてくれました。1人は北京で拘禁されていましたが、殴られたりスタンガンでショックを加えられていました。もう1人は広州でしたが、4日間昼も夜も無く連続で衰弱し意識を失うまで尋問されました。伝えられるところによると、四川省の活動家Huang Qi(黄芪)は刑務所で殴打され虐待され、病気に対する適切な治療も為されませんでした。何人かの拘束されている人権派弁護士は、麻薬を飲まされて眩暈がして朦朧としたと主張しています。その内の一人、Xie Yang(謝楊)は、彼が受けた扱い(暴力を受け眠らしてもらえませんでした)を代理人に話しました。代理人はそれを公表しました。それからしばらくすると、Xie Yang(謝楊)は捏造だったとして謝罪しました。そうした事態を見ていた人たちは、文化大革命時の自己批判と全く同じだと思いました。
 私がZha Jianguo(查建国)とHuang Qi(黄芪)の件について話し合った時、彼は北京の公安当局とはかなり違うと言っていました。Zha Jianguo(查建国)は警官たちに監視されている期間が非常に長いので、今では警官たちの考え方が概ね把握できているようです。彼は、ある囚人が受けた扱いを教えてくれました。それは、尋問中に非常に明るい光源を顔に浴びせられて汗だくにさせられるというものでした。彼は刑務官のこともその囚人のこともよく知っていましたが、刑務官たちはその囚人は意気地のない者だと見抜いていたようです。彼によれば、概して治安当局は強い者には優しく接します。弱い者だと思われると厳しい扱いを受け暴力を持って対応されます。
 彼からその話を聞いて、彼の仲間のある政治犯についての悲しい話を思い出しました。仮名でWen(文)としますが、Wen(文)は反革命組織を作り率いた罪で懲役20年を宣告されました。刑務所に入ってから11年の間に、母親が亡くなり、妻に離婚されました。たった1人の子供(娘)との面会が許されたのは1回のみでした。失意に打ちひしがれ、Wen(文)は、刑期が短くなることを期待して、罪状を認める署名をしました。そのことがニュースとして公になった後、彼に接する者たちの態度に劇的な変化がありました。刑務所の囚人たちは彼を罵倒しましたし、看守たちは彼に腐った食べ物を与え殴りました。彼は、結果的には刑期を4年短縮されました。しかし、彼はもはや誰からも敬意を持って接してもらえなくなりました。それで、あっという間に白髪になってしまいました。
 警官Liu(劉)は、Zha Jianguo(查建国)に当局に睨まれるような危険な記事を書くのをやめるよう説得しようとしていました。また逮捕され裁判で懲役刑を言い渡されたらどうなるかを認識させようとして、警官Liu(劉)はZha Jianguo(查建国)に言いました、「あなたが9年の刑期を終えて出所してからちょうど9年経ちました。もし、また9年の懲役刑をくらったら、せっかくの老後が台無しですよ。娘さんもお孫さんも悲しむと思いますよ。」と。
 Zha Jianguo(查建国)は2回離婚しています。彼には娘が1人いますが、何年も前にアメリカに移住しました。最初はオーランドで職を得て、ディズニーワールドで働きましたが、最終的には夫と一緒に、不動産と賃貸管理の2つの小さな会社を立ち上げました。現在、2社には合わせて数十人の従業員がいます。彼女と夫には娘と息子が1人づついます。Zha Jianguo(查建国)は、娘夫婦が移民として成功し、起業家精神を発揮していることは誇らしいことだと語っていました。彼にとって、毎年娘夫婦と2人の孫がフロリダから会いに来るのが何よりの楽しみです。しかし、娘からの再三の要請にもかかわらず、彼は決して中国からフロリダに行こうとはしません。理由は、彼は出国したら2度と中国の土を踏めないだろうと思っているからです。
 他の人たちは違う選択をしました。Zha Jianguo(查建国)のかつて民主党で行動を共にした同志たちを含め、ますます多くの活動家や反体制派の人たちが中国から脱出しています。当局から絶え間ない攻撃に耐えられないからです。米中貿易戦争によって現在は経済の不確実性が高まっているので、多くの裕福な中国人は不安を感じています。国外に移住して資産も国外に移し、国外にも基盤を築くことで、リスクを避けようとしている人もいくらかいるようです。ネット上では、楽観的な意見、悲観的な意見、前向きな意見、絶望的な意見などさまざまな意見があり、貿易交渉は決裂するのではないかという噂もあります。万が一決裂した場合にも備えておくべきだという警告もちらほら見られます。
 最近多くの者が出国しているという事実を知って、Zha Jianguo(查建国)は愛国心の本質をついたいつもより感情のこもった内容の投稿をしました。彼の見解では、愛国心は国土や国民を愛することから生じます。国家や統治体制を愛することから生じるものではないのです。彼は、友人たちが国を去ると決心したことに理解を示し、より自由な国での新しい生活が素晴らしいものになるよう望んでいます。彼は、そうした友人たちの間で広く流布しているモットー「自由があるところはどこでも、私の祖国である。」が嫌いではありません。しかし、それは彼のモットーではありません。彼のモットーは「私は決して去らない。」と言うものだと思います。彼は、決して去らないし、活動を止めることは無いでしょう。
 Zha Jianguo(查建国)は、警官Liu(劉)の説得を注意深く検討した後でも、決して国外に逃げず活動を続けるという決心が揺らぐことはありませんでした。彼は私に、いつでも、何年間でも、刑務所に戻る準備はできていると繰り返し言っていました。当時、私自身の心は穏やかではありませんでした。なぜなら、私は認識していたのですが、公安当局はこの時期、クリスマスの頃に活動家を投獄することが多いからです。報道機関の人員体制が手薄な時期を狙っているのです。習近平が政権を握って以降、Zha Jianguo(查建国)の知人の民主党関係者が何人も刑務所に送り返されていて、しかも彼らの量刑は重いのです。広く称賛されている活動家で、民主党の湖北省支部の創設者Qin Yongmin(秦永民)は、現在65歳ですが13年の刑に服しています。4回目の刑期で、通算すると既に26年間も刑務所に入っていることになります。2017年7月、ノーベル平和賞受賞者のLiu Xiaobo(劉暁波)は、4回目の刑期(11年)中に肝臓癌で亡くなりました。反体制派の人たちは死を悼みましたが、多くの西側諸国の政府や海外の報道機関はあまり反応を示しませんでした。
 Zha Jianguo(查建国)はそうした事態を冷静に見ていました。彼は、ずっと以前から、世の中は容易には変わらないこと、報道機関の関心は何に対しても長くは続かないことを認識していました。彼は私に穏やかに言いました、「私が9年とか12年とか13年の刑を言い渡されたら、外の世界のことは忘れて、刑務所内の生活だけ考えるようにします。家族や愛する者たちのことはしばらくは忘れないでしょう。まあ、時間が経てば忘れてしまうかもしれませんが。本を読んだり、囲碁をしたり、他の囚人と仲良くしたりします。そうやって毎日を精一杯生きようと思います。外のことは何も考えないようにします。」と。私は彼の決意がとても固いことを認識しました。かつて誰かが言った「最近のあなたのお兄さんはまるで仏さまのように見えます。」という言葉が頭に思い出されました。