3.オオヒキガエル オーストラリアで繁殖域を拡大中
オオヒキガエルの正式名称はRhinella marinaです。茶色で斑点があり、手足が太く、皮膚がでこぼこしていて、巨大です。米国地質調査所によると、「オオヒキガエルの中でも大きな個体が道路上に座っていると、岩と見間違わられることが度々あります。」とのことです。米国地質調査所で過去に確認された中で一番大きいオオヒキガエルのサイズは、長さが15インチ(38センチ)、重さが6ポンド(2.7キロ)でした。ちょうど、ぽっちゃりしたチワワ犬と同じくらいでした。1980年にブリスベンのクイーンズランド博物館でも大きなオオヒキガエルが飼育されていました。長さと横幅が同じくらいの長さで、9.5インチ(24センチ)もあり、ちょうど夕食に使う大皿と同じくらいの大きさでした。オオヒキガエルは大きな口で何でも貪欲に食べます。大きな口でマウスやドッグフードや他のヒキガエルなどを一飲みします。
オオヒキガエルは中南米が原産です。19世紀中ごろに、カリブ海に移入されました。その地域で換金作物であるサトウキビを食い荒らすカブトムシの幼虫を駆除する目的でオオヒキガエルが移入されたのです。次に、カリブ海のオオヒキガエルはハワイに移入されました。1935年には、ホノルルで102匹のオオヒキガエルが船積みされて、オーストラリアに運ばれました。その内の101匹が生き残り、サトウキビ栽培が盛んなクイーンズランド州北東部の研究施設にたどり着きました。それから1年以内に、150万個以上の卵が生み出されました(雌のオオヒキガエルは、1回の産卵で最大3万個の卵を産みます)。その後、孵化したオタマジャクシが、その地方の河川や池に放たれました。
ヒキガエルはサトウキビの害虫駆除のために導入されましたが、あまり効果がなかったのではないかと考えられています。サトウキビを食い荒らすカブトムシは、茎の地上からかなり高いところに留まっていたので、オオヒキガエルは捕らえることが出来なかったと思われます。オオヒキガエルはカブトムシを食べることが出来ませんでしたが、特に困りはしませんでした。というのは、他にいくらでも食べるものがあったからです。それで、どんどん繁殖して、始点のクイーンズランドからオーストラリアの南部で生息域をどんどん拡大していきました。1980年代には、北部でも繁殖が確認されました。2005年には、ダーウィン市(オーストラリアの北西端)の近くのミドルポイントでも繁殖していました。
生息域が拡大する途上では、奇妙なことが起こっていました。拡大の初期段階では、年間約6マイルのスピードで生息域を拡げていきました。数十年後、それが年間12マイルのスピードになりました。ミドルポイントに到達する頃には、年間30マイルまでスピードが上がっていました。多くの研究者が生息域拡大の最前線のオオヒキガエルの個体を調べた結果、スピードが上がった原因が判明しました。最前線の個体は、初めてオオヒキガエルが放たれたクイーンズランド州で生きている個体よりも脚がかなり長かったのです。また、その特賞は子孫に遺伝して引き継がれていました。ノーザン・テリトリー・ニュース紙には、脚の長いオオヒキガエルに関する記事が載ったことがあります。その記事中には、オオヒキガエルにスーパーマンのようなマントを着けさせた写真が掲載されていました。記事の見出しは「スーパー・オオヒキガエル」で、オオヒキガエルが生息域を急速に拡大し、進化を遂げていることを懸念していました。ダーウィン市では、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論をリアルタイムで垣間見ることが出来ます。
オオヒキガエルは無駄に巨大であるように思えますし、人間の視点から見ると、顔の形がゴツゴツしていて、目つきもやらしく、とても醜く見えます。そうした容姿から、ほとんどの人はオオヒキガエルが嫌いです。オオヒキガエルの一番の問題は、毒を持っているということです。オオヒキガエルは、噛まれたり、脅威を感じると、心臓の機能を阻害する乳液状の粘液を放出します。犬がしばしばオオヒキガエルの毒の被害を受けることがあります。中毒症状を起こし、口から泡を吹いたりします。重度の場合は心停止に至ります。オオヒキガエルの毒は、人間にも害を及ぼします。
オーストラリアに元からいる固有種のヒキガエルは数種類ありますが、いずれも毒を持っていません。したがって、オーストラリア固有の動物は、その毒を警戒するような進化は遂げていません。それで、オオヒキガエルは繁殖しまくりました。外来種が新天地で激しく繁殖するということは、珍しいことではありません。アメリカでは、アジアのコイが爆発的に繁殖しています。天敵がいないからです。オーストラリアでは、オオヒキガエルが固有種の脅威となっています。なぜなら、有毒なオオヒキガエルを食べてしまう動物が多いからです。オオヒキガエルを食することによって個体数が激減した種は非常に多く多岐にわたっています。淡水ワニや黄色い斑点のあるオオトカゲ(長さ1.5メートル)、青い舌のトカゲ。小さなディノサウルスのようなヒガシウォータードラゴン、コモンデスアダー(毒ヘビ)、キングブラウンスネーク(毒ヘビ)などです。最も影響を受けて数を減らしているのは、可愛らしい有袋類であるフクロネコです。フクロネコは体長30センチほどで、口先がとがった顔で、茶色の毛に覆われ、背中には白い斑点模様があります。フクロネコの子供が母親のおなかの袋がら巣立つと、母親の背中に載せられます。
オオヒキガエルの生息域拡大のスピードを遅らすために、オーストラリアではいろんな種類の対策がたてられました。独創的なものもありましたし、そうでないものもありました。あるオオヒキガエル捕獲機は、オオヒキガエルの鳴き声を出しておびき寄せる仕組みでした。クイーンズランド大学の研究班は、オオヒキガエルのオタマジャクシをおびき寄せることが出来る餌を開発しました。ヒキガエルをエアライフルで撃ったり、ハンマーで殴ったり、ゴルフクラブで叩いたり、車で引き殺したりするという方法も実行されました。ホップ・ストップという商標名で、特殊な化学物質を噴霧できる製品も製造されました。製造しているメーカーによれば、噴霧後3秒でオオヒキガエルは麻痺し、1時間後は死に至ります。ヒキガエルを殲滅するための民兵組織のようなものを作ったコミュニティもありました。そうした組織の1つであるキンバリー地区オオヒキガエルバスターズは、オーストラリア政府に提案をしていました。それは、オオヒキガエルを駆除した者に報奨金を与えるということでした。その組織のかかがるスローガンは、「全国民がオオヒキガエル退治に立ち上がる時だ。さすれば、奴らを殲滅できる。」というものでした。
ティザードがオオヒキガエルに関心を持った時、彼はオオヒキガエルを実際に見たことはありませんでした。当時はビクトリア州南部のジーロング市に住んでいましたが、オオヒキガエルがまだ繁殖していない地域でした。しかし、ある日の会議で、彼の隣席に両生類の研究をしている女性分子生物学者が座りました。その分子生物学者が言うには、いろいろな対策を実施しているが、オオヒキガエルの繁殖拡大に減速は見られませんでした。彼女は言いました、「何でカエルの駆除くらい簡単に出来ないんでしょうかね。全てが解決するような革新的な方法が生み出されると良いんですけど。」と。そういわれても、ティザードは頭を抱えるしかありませんでした。
ティザードは言いました。「オオヒキガエルの毒素は代謝経路で生成されると推測されます。その際には、酵素が関与しています。私たちの研究室では、既に遺伝子を壊す技術を使いこなすことが出来ます。その技術を利用して、毒素を作るよう指令を出している遺伝子を壊すことが出来る可能性があります。」と。非常に幸運なことでしたが、つい最近、クイーンズランド大学ロブ・カポンという化学者が率いる研究班が、毒素の生成に重要な役割を果たしている酵素の分離にしました。
ティザードは、院生のケイトリン・クーパーに実験の手助けをさせました。彼女は肩まで茶色い髪を伸ばし、いつも笑顔でした。留学生で、マサチューセッツ州出身でした。これまでオオヒキガエルの遺伝子編集を試みた人は誰も居ませんでしたので、クーパーは自分でその方法を考えなければなりませんでした。彼女が考案した方法は、オオヒキガエルの卵を使います。卵を洗った後、微細なピペットを使って卵に穴を開けて酵素を注入します。それを素早く行わなければなりません。細胞分裂が始まる前に終わらないといけないからです。彼女は言いました、「注入する作業を素早くするための練習には、かなり時間を割きました。」と。
クーパーは、注入の練習の一環として、オオヒキガエルの遺伝子を編集して色を変える研究に着手しました。オオヒキガエルの色素に関して重要な役割を果たしている遺伝子に関連する酵素は、チロシナーゼです。チロシナーゼによって、メラニンの生成を制御しています。クーパーの予測では、その色素遺伝子を無効化にすると、オオヒキガエルの色が元々の暗い色とは異なる明るい色になると思われました。彼女は、いくつかの卵子と精子をペトリ皿上で混ぜ、それにより出来た胚にさまざまなCRISPRに関連する化合物を注入して、しばらく待ちました。奇妙なまだら模様のオタマジャクシが3匹生まれました。その内の1匹は死にました。他の2匹は両方ともオスでしたが、まだら模様のオオヒキガエルに成長しました。2匹はそれぞれ名前が付けられ、”スポット”と”ブロンディ”と名付けられました。ティザードは、その実験の結果には満足していました。
クーパーは次に、オオヒキガエルの毒性を無くすにはどうすべきかを考え始めました。オオヒキガエルは、肩の後方にある毒腺に毒を蓄えまていす。その毒腺の中の毒は、普段は強力な毒性を有していません。しかし、オオヒキガエルが脅威を感じると、酵素が働いて毒性が100倍に高まります。その酵素は、カポンが分離に成功したものです。ブフォトキシン加水分解酵素です。クーパーはCRISPRを駆使して、ブフォトキシン加水分解酵素の産出指示に関与している遺伝子を改変しました。その結果、毒性の少ないオオヒキガエルが生み出されました。
クーパーは、私に2匹のオオヒキガエルを見せてくれました。疾病対策センターで見せてもらいました。セキュリティーが万全で、気密性の高い扉を何枚も通らなければなりませんでした。私も白衣を着せられ、靴にもスッポリ覆うようなカバーを付けさせられました。クーパーは、私が持参していたボイスレコーダーも消毒液で拭きました。実験棟内には、「厳重警戒エリア」の標識があり、ルール違反には高額な罰金が課せられるとの警告が記されていました。私がオーディン社のキットを使ってCRISPRの実験をする際のセクリティーの緩さとは大違いでした。そのことは、口にしない方が良いだろうことは明白でした。
いくつものドアを越えて、さまざまな動物が飼われているエリアにも行きました。いくつかの区画に分かれていて、区画のサイズはさまざまでした。病院の匂いと、ふれあい動物園の匂いがする気がしました。マウスが飼われている檻が置いてある区画がありました。その近くは、毒性が弱められたオオヒキガエルがプラスチックで作った池の周りを飛び回っていました。12匹いました。全て生後10週で、体長7.6センチ程でした。どの個体も健康そうでした。池を作るに当たっては、オオヒキガエルが成長しやすいようにさまざまな工夫をし、必要なものが装備されていました。人工植物、水槽、光源(ランプ)などです。オオヒキガエルにとっては快適な環境のようでした。オオヒキガエルの1匹が舌を突き出し、コオロギをかじっていました。ティザードによれば、オオヒキガエルは雑食性で何でも食べるとのことです。また、共食いもします。大きなオオヒキガエルが小さなオオヒキガエルと出会うということは、ご馳走を見つけたということを意味します。オーストラリアの大自然の中に、この毒性の弱いオオヒキガエル12匹を放った場合、おそらくすぐに全滅するでしょう。トカゲや毒蛇などの両生類の餌食となるか、既に数億匹は繁殖していると思われる毒性の弱められていないオオヒキガエルの餌食となるしかないでしょう。
ティザードは、オオヒキガエルについて研究していましたが、学習効果という語を思い出しました。フクロネコに関する研究を実施し、訓練することでフクロネコはオオヒキガエルを避けられるようになることが示唆されました。訓練では、催吐剤を練り込んだオオヒキガエルの足を餌として与えられたことで、フクロネコにオオヒキガエルが毒を持っていることと認識させることによって、オオヒキガエルを忌避するようにさせました。毒性を弱められたオオヒキガエルは学習効果の実験で使うのに非常に向いている、とティザードは確信しました。というのは、もしも実験で弱毒化したオオヒキガエルが捕食されたとしても、捕食者が死ぬことは無いからです(少し具合が悪くなりますが)。
フクロネコを訓練するための実験で毒性を弱めたオオヒキガエルを使うには、行政の許可が必要でした。他の実験で使う場合も同様です。私がクーパーとティザードに会った時、彼らはまだ許可申請をしていませんでした。彼らはすで別の実験をすることを検討し始めていました。クーパーが検討していた実験は、オオヒキガエルの特定の遺伝子(卵を覆うジェルの創出に関与している遺伝子)を編集することでした。それが出来れば、産み出された卵は受精出来なくなるだろうと考えまていした。
クーパーは私にその実験の計画を説明してくれましたが、私は素晴らしい計画だと思いました。ティザードも同様に思っていたようで、オオヒキガエルの生殖能力を無くすことが出来る点が特に素晴らしいと考えていました。
私はオオヒキガエルが飼われている実験区画で、2匹の毒性を弱めたオオヒキガエル(スポットとブロンディー)が人工池に佇んでいるのを見ていました。人工池の周りには自然環境に模すために手の込んだ細工がいろいろとされていました。2匹はほぼ生後1年で、これ以上は大きくなりません。胴体の真ん中あたりには分厚い脂肪が纏わりついていました。ちょうど相撲取りの腹のようでした。スポットは全体が茶色で、後肢だけ黄色がかっていました。ブロンディも茶色でしたが、後肢が白っぽく、前肢と胸にも白い斑点がありました。クーパーは手に手袋をして、人工池からブロンディーを取り出して、「このオオヒキガエル、とても奇麗でしょう。」と言いました。掴まれたブロンディーはクーパーにおしっこを見舞いました。ブロンディーは「ざまあ見ろ」という顔つきをしているように私には見えました。私はとてもブロンディーを好きにはなれません。そもそもオオヒキガエルですから。好きになれる者がいるとしたら、遺伝子編集を行った分子生物学者くらいでしょう。