5.CRISPRを利用して遺伝子ドライブを起こす
哺乳類の中でCRISPRによって遺伝子ドライブを起こさせる初の実験対象となるのは、おそらくマウスだろうと思われます。マウスは「モデル生物(普遍的な生命現象の研究に用いられる生物)」として有名です。マウスは、すぐに成長するし、手間なく育てられますし、既にそのゲノムの解析はかなり進んでいます。
ポール・トーマスはマウス研究のパイオニアです。彼は、アデレートにあるサウスオーストラリア州保健医療研究所の研究室にいます。その施設は、上から見るとV字型の建物で、側面はメッシュ状(網目は1メートル四方程度の大きさ)の金属で覆われています。地元の人たちによる通称は「チーズおろし器」です。私が現地で見た時には、むしろアンキロザウルスに似ていると感じました。遺伝子編集ツールとしてCRISPRに関する論文が世界で初めて発表されたのは2012年のことでした。すぐに、トーマスはそれは遺伝子研究に間違いなく大きな変化をもたらすだろうと認識しました。トーマスは私に言いました、「私たちはすぐにそれに飛びつきました。」と。1年も経たない内に、彼の研究室はCRISPRを使用して、てんかんを患うマウスを生み出しました。
人為的遺伝子ドライブに関する最初の論文が発表されると、これにもトーマスはすぐに飛びつきました。彼は言いました、「CRISPRに興味があり、マウスの遺伝子にも興味がありましたので、人為的遺伝子ドライブの技術を研究する機会を逸することは考えられませんでした。」と。当初の彼の目標は、人為的遺伝子ドライブを機能させることができるかどうかを確認することでした。しかし、彼の研究室の研究資金は潤沢とは言えませんでした。しかし、それらの実験は非常にお金のかかるものでした。
トーマスがまだ実験の準備をしている段階で、GBIRDという名称の団体からの接触がありました。GBIRDは、gee-bird(ジーバード)と発音します。Genetic Biocontrol of Invasive Rodents(遺伝子工学的有害げっ歯類防除)の頭文字を取った団体でした。その団体はどんな感じかというと、環境保護意識を高く保ちつつ先進的な遺伝子研究を推奨しているようでした。ちょうど、モロー博士(映画化もされた有名なウェルズの小説の主人公、残酷な動物実験を行った)が加わったFriends of the Earth(環境NGO)といったところです。GBIRDのウェブサイトを見ると、「力を合わせて、私たちの世界を次世代のために守りましょう。それは、きっと、出来る。」との文言があります。また、アホウドリのヒナが大好きな母鳥を見つめている写真が掲載されています。
GBIRDはトーマスに助けを求めてきました。マウスに絶滅させることを目的とする遺伝子ドライブを起こさせたかったからです。自然淘汰で絶滅するのを待つことなく、その前に絶滅させることが目的でした。遺伝子ドライブによって、そのマウス種が絶滅するほど有害な特性を持つ個体を増やそうという構想でした。既に、イギリスの研究チームが、ガンビエハマダラカの絶滅させることを目的とした遺伝子ドライブを引き起こすことに成功していました。その研究チームは、遺伝子ドライブを引き起こすガンビエハマダラカを量産してアフリカの大地に放すべく研究を続けています。
トーマスが教えてくれましたが、種を絶滅させる遺伝子ドライブを引き起こすマウスを生み出す方法は、いくつも有るようです。そのほとんどで、性別に関する遺伝子を利用しています。彼が特に熱心に研究していたのは、X染色体不活性化マウスを生み出すという方法でした。ほぼ全ての哺乳類(マウスも同様ですが)の個体は、2つの性染色体を持っています。持っている2つの性染色体がいずれもX(XX)であればメスですし、XとYが1つずつ(XY)であればオスです。精子には、性染色体が1つだけ載っていて、XかYのいずれか1つが受精卵に受け渡されます。卵子の中の2つの染色体はいずれもXで、1つのX染色体が受精卵に引き継がれます。トーマスが研究しているのは、遺伝子編集をしてX染色体を不活性化させる遺伝子を持つマウスを生み出すことです。それが可能となれば、精液の中にある精子の半分にはX染色体が載っていますが、それは不活性化されることによって受精する機能がなくなり、Y染色体が載った精子のみが受精します。生み出される子孫の染色体はXYとなり、全てオスです。逆にY染色体を不活性化させるよう遺伝子編集を行えば、生み出される個体の染色体はXXとなるので、全てメスになります。いずれにしても、世代を重ねるごとに、片方の染色体を不活性化する遺伝子を持つ個体の割合は高くなり続けます。そうして性別のアンバランスも拡大し続けます。最終的には、メスだけか、オスだけになるので、子孫を生み出すことは不可能になります。
トーマスが言うには、遺伝子ドライブをマウスに引き起こさせて絶滅させる方法の確立には予想よりも時間がかかっています。それでも、彼が思うに、10年以内には誰かがその方法を開発するでしょう。X染色体を不活性化する方法かもしれませんし、これまで誰も予想しなかったやり方で遺伝子編集を行う方法かもしれません。コンピューターを使った数理モデリングによる分析によれば、遺伝子ドライブを利用して種を絶滅させる方法は、非常に有効であることが示唆されています。遺伝子ドライブを引き起こすマウス100匹を、普通のマウスが5万匹いる島に放すと、数年以内にマウスの個体数はゼロになります。つまり絶滅します。「信じられないほど効果的です。でも、それは全てが上手くいった場合の楽天的な数値だと思います。そこを目指して取り組んでいくべきです。」と、彼は言いました。