2.マッキンリーの関税政策はアメリカ経済を奈落の底に突き落とした
アレクサンダー・ハミルトン( Alexander Hamilton )の時代から、アメリカは輸入品に関税を課すことで国内生産を奨励し、歳入も増やしてきた。19 世紀を通じて、アメリカの貿易政策の分かれ目は主に地理的なものであった。南部では、海外市場に農作物を輸出する農園主や農業関係者が多いため、自由貿易と低関税率が支持されていた。一方、北部では新たに育った製造業がヨーロッパ (特にイギリス) の輸入品との厳しい競争に直面していた。より高い関税が支持されていた。
マッキンリーが下院議員になった 1877 年には、工業化が急速に加速し、長らく農業に依存していた彼の出身州は石炭採掘と鉄鋼生産のメッカに変貌していた。マッキンリーは製鉄所の経営者の息子であり、彼の選挙区はオハイオ州最大の工業地帯を網羅していた。長期的には、工業化と移民がアメリカの政治を一変させていくわけだが、当時は共和党の主要な支持者には北部の実業家が多く、民主党は主に南部で支持率が高いという状況が続いていた。
下院議員となった後、マッキンリーは関税の引き上げを提唱した。当時、通商政策は議会が決定していた。議会が貿易協定の締結と関税率の決定の権限を大統領に委譲したのは、ずっと後の 1930 年代以降のことである。当時は南北戦争が終結した後であったが政情は不安定で分断が目立った。マッキンリーが通商法案を可決する機会を得たのは、共和党がホワイトハウスと連邦議会両院を掌握した 1888 年の選挙後であった。
順調に共和党内での地位を固めていったマッキンリー( 1897 年に大統領に就任)は、毛織物、綿織物、陶器、鉄、鋼鉄、金属製品など、広範な製品に対する輸入関税を引き上げるか維持する法案を作成した。民主党は、マッキンリー関税法( the McKinley Tariff Act )には批判的であった。一般的なアメリカ市民を苦しめ、相手国の報復関税を誘発すると主張した。民主党は、マッキンリーを、クリーブランドの鉄鋼王マーク・ハンナ( Mark Hanna )をはじめとする裕福な実業家たちの太鼓持ちであると非難した。共和党はこうした反対意見を無視した。1890 年 10 月 1 日にベンジャミン・ハリソン( Benjamin Harrison )大統領はマッキンリー関税法案に署名した。中間選挙まであと 1 カ月であった。
「民主党は関税支持者を守勢に追い込んだ」と歴史家リチャード・J・ジェンセン( Richard J. Jensen )は指摘する。著書「 The Winning of the Midwest: Social and Political Conflict, 1888-96 」においてである。「多くの若い民主党員が、ワゴン車で家々を回って錫製品を行商した。25 セントの商品を 50 セントで売りつけようとした。値段の高さに狼狽する主婦にマッキンリーの関税が錫の価格を引き上げたと説明した」と記述している。共和党内でのマッキンリーの人気は凄まじく、共和党指導部は一枚岩となってマッキンリーの名を冠した関税が労働者の雇用を守ると主張した。ハリソン大統領と国務長官ジェームズ・G・ブレイン( James G. Blaine )がマッキンリーの選挙区を訪れ、応援演説を行った。彼らの努力は無駄に終わった。選挙の夜、共和党は大敗を喫した。マッキンリーも落選した。
たしかに、この結果には他の要因も絡んでいた。マッキンリーの場合は選挙区割りの変更によって選挙区内の民主党議員の数が増えたことが大きかった。しかし、当時は新たな関税に対する国民の怒りが共和党大敗の大きな理由だと考えられていた。ダートマス大学( Dartmouth )の経済学者ダグラス・A・アーウィン( Douglas A. Irwin )は、2017 年に出版した著書「 Clashing Over Commerce (米国通商政策史)」の中で、野心家ではあるが当時はまだ共和党の駆け出し政治家であったセオドア・ルーズベルト( Theodore Roosevelt )がこの見解を肯定していたとを指摘している。1901 年にマッキンリーの後を継いで大統領に就任したルーズベルトは、アメリカの帝国主義については前任者の施策を引き継いだものの、関税政策は踏襲しなかった。
アーウィンは著書の中でマッキンリー関税法に関するもう 1 つの事実も強調している。それを共和党の保護主義者たちが知れば、少し心配になるかもしれない。この法律が制定された後の数年間、アメリカ経済は深刻な不況に陥ったのである。1897 年まで不況は完全には収まらなかった。この不況の主因は貿易以外の要因にあった。1893 年の大規模な金融恐慌である。結果、多くの銀行や鉄道会社が破綻した。トランプがマッキンリーを賞賛しているが事実誤認も甚だしいと言わざるを得ない。先週、私はアーウィンに電話した。「トランプ大統領はマッキンリー関税法が産業拡大の輝かしい時代をもたらしたと述べている。しかし、実際にもたらされたのは数年間の不景気、つまり不況である」と彼は指摘した。
トランプが無視しているマッキンリーの記録に関する 3 つ目の重要な事実がある。それは、マッキンリーの貿易に関する見解が不変ではなかったということである。大統領選に勝利した 1896 年には、彼は依然として高関税信奉者であった。ちなみに対立候補の民主党ウィリアム・ジェニングス・ブライアン( William Jennings Bryan )は、より緩い政策を主張していた。しかし、マッキンリーの見解は変化しつつあり、経済不況によってその変化は加速した。「マッキンリーはアメリカの急拡大する工業主義がアメリカの消費者需要を上回っていることを認識していた。また、彼の大統領任期中の大不況後にアメリカ経済が復活するには積極的に海外市場を追求する必要があることも理解していた」とメリーは書いている。
マッキンリーは 1897 年 3 月の就任演説で「相互主義の原則( reciprocity principle )」を強調した。「他国の製品に特恵を与えることによって、我が国の製品のための新しい市場を開拓する」と主張した。つまり輸入障壁の削減や撤廃を主張したのである。その 4 カ月後、彼はこの原則に矛盾すると思われる法案に署名した。ディングリー法( the Dingley Act )である。課税対象品目の平均税率は一時 52% にまで引き上げられた。しかし、この法案の最も悪質な要素は、上院の超保護主義者によって生じたものである。メリーが著書に記しているのだが、「実際、マッキンリーはディングリー法の高率な関税に失望していた」。この法案が外国と相互貿易協定を結ぶための限定的な権限をマッキンリーに与えていたことだけが慰めであったという。翌年、マッキンリー政権はフランスとの協定を発表した。ワイン、蒸留酒、絵画を含むフランス製品に対するアメリカの関税を引き下げる代わりに、果物、豚肉、建築資材を含むさまざまな品目のアメリカからの輸出に対するフランスの関税を最低税率に設定するとした。
この協定以外にも同様の協定が多国と結ばれたが、マッキンリー法やディングリー法によって課された高関税を緩和する効果はあまりなかった。しかし、1901 年に 2 期目を迎えたマッキンリーは、新たな状況にはより制限の少ない新たな貿易政策が必要であるという信念に従って行動した。銃弾に倒れる前日の 9 月 5 日にバッファロー( Buffalo )で演説した際に、彼はアメリカ経済が貿易から得ている恩恵の一部を認めた。「商品の相互交換、相互交換を提供するシステムは、我が国の輸出貿易の継続的かつ健全な成長に絶対に必要である。我々は、永遠に何でも売りまくり、まったく何も買わなくても問題無いという幻想に安住してはならない……。我々は、売り手から必要な品々を購入すべきである」と彼は述べた。彼は政治家のキャリア初期に使っていた厳しい保護主義的な言葉から距離を置いたのである。「貿易戦争は利益を生まない。善意と友好的な通商政策が報復関税を防ぐ。相互主義条約は時代の精神に合っている。報復措置は合っていない」と続けた。
トランプは相互主義に賛成だと主張している。ホワイトハウスはすでにトランプが 4 月上旬に新たに広範な関税を発動すると発表している。それを 「相互関税」と表現している。しかし、トランプの相互主義の定義は奇妙なものである。「米国・メキシコ・カナダ協定( U.S.-Mexico-Canada Agreement )に基づき、アメリカはカナダやメキシコとはすでに相互主義を保っている」とアーウィンは指摘する。「トランプは 1 期目にこの協定を結んだが、彼はそれを破棄しようとしているようである。日本は輸入自動車に関税をかけていない。相互主義を重視するなら、アメリカはそれに合わせるべきである。しかし、彼は関税を下げるのではなく、上げようとしている」。
トランプ政権には、トランプの目標は恒久的な関税引き上げではないと主張する者もいる。スコット・ベッセント( Scott Bessent )財務長官が、トランプの戦略は 「エスカレーションからデエスカレーション(段階的に縮小すること)へ 」であると発言したのは有名な話である。しかし、アーウィンはべセッントがトランプの関税政策を正当化する試みに懐疑的である。「すべて関税引き上げのための脅しである」とアーウィンはトランプ大統領の主張について語った。「結局のところ、トランプは相互主義についてあまり何もしておらず、関税のメリットばかり強調している。関税自体が究極の目的になっている」。ここのところ、経済界が注視しているいくつかの経済指標は弱含みである。先週発表されたミシガン大学の消費者調査によると、消費者信頼感指数が 3 カ月連続で低下し、予想インフレ率は 2022 年以来の高水準となった。トランプの関税政策はアメリカの貿易相手国にとって大きな脅威となっているが、それ以上に多くのアメリカ人の脅威となっている。
マッキンリーはカナダ国境に近いバッファローに赴き、パン・アメリカン博覧会( Pan-American Exposition )で演説を行った。この博覧会は、アメリカ大陸の国々の発展を祝い、各国間の交易を促進することを目的とした豪華なものである。亡くなる前の最後の演説となった。「我々の切なる祈りは、神が恵み深く、われわれの隣人すべてに繁栄と幸福と平和を、また地上のすべての人々と権力者に同様の祝福を与えてくださることである」と彼は締めくくった。この言葉によって、保護主義と帝国主義を信奉してアメリカ経済を苦境に陥れた彼の評価が上がるわけではない。残念なことに、トランプはこうした言葉すら口にすることはないだろう。♦
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