Onward and Upward with the Sciences September 28, 2020 Issue
The Elusive Peril of Space Junk
宇宙のゴミ問題の解決は遠い?
Millions of human artifacts circle the Earth. Can we clean them up before they cause a disaster?
何百万もの人工物が地球の周りを回っている。大事故が発生する前に回収できるのか?
By Raffi Khatchadourian September 21, 2020
1.2015年7月16日 ISS(国際宇宙ステーション) 超高速のデブリと接近
何十年もの間、国際宇宙ステーション(ISS)は、地上から320~480キロ上空の軌道を周回しています。ISSは1950年代のテレビアンテナに似た形をした巨大な構築物で、数十万個の太陽電池と、生命維持のための装置と実験機器が設置されているいくつもの与圧モジュールなどで構成されています。総重量は約450トンです。2000年以降、常時宇宙飛行士が滞在していますが、居住エリアは6ベッドルームの邸宅と同等の広さです。人類史上、最もコストの高い住居と言って差し支えありません。また、人が住んでいる構築物の中で最も速度の速いものです。地球の自転の速度より数倍も速い時速27,700キロメートルで地球を周回しています。日の出から次の日の出までの時間はわずか90分です。
2015年7月16日の早朝、米空軍は、ISSに危機が迫っていることに気づきました。冷戦以降、米空軍は広範な宇宙監視ネットワークを維持してきました。常に世界中に散らばる追跡基地からシャイアン・マウンテン空軍基地にデータが送信されています。そこは、コロラド州の花崗岩の地下600メートルの山体中に作られた施設です。一部の情報は、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)やその他の安全保障に関わる機関にも提供されます。宇宙空間での衝突事故を防ぐために必要な情報はカリフォルニアにある米空軍第18宇宙管制隊に転送されます。
その日は午前3時までに、いくつかの追跡基地がISSに向かってデブリ(破片)群、つまり宇宙ゴミが飛んでいるのを確認しました。その宇宙ゴミは、以前から認識されているのもので、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)は非常に多くの地球周回上を浮遊している人工物をカタログ化していますが、識別番号36912として登録されていました。それは、1979年に北極圏近くのソ連軍基地より打ち上げられた気象衛星から脱落したものでした。その気象衛星は、昔のボイラーに似た円筒形のもので、設計上の耐用年数は2年未満でした。その後、何十年もデブリをばら撒き続けていました。今年の4月にもその衛星から出た他のデブリがISSに脅威を与えていました。
識別番号36912は、おそらく引き裂かれた耐熱シールドの一部がはがれたものだと思われます。比較的軽く、夕食で使う大皿程の大きさしかありません。何年もの間、ISSのかなり上方を周回していました。しかし、その質量と形状により、大気の抵抗の影響を非常に受けやすく、太陽活動の影響で大気が膨張および収縮することによって、軌道が劇的に変化しました。数週間前、大気が膨張し、識別番号36912の進路は突然下がり始めました。
そのデブリが高度を下げながら速度を増している間、米空軍は注意深く監視していました。しかし、広い宇宙のほんの小さな物体ですので、四六時中完全に追跡ができるわけではありません。それを監視出来ていたのは、アラスカとフロリダの2つのレーダー基地だけでした。それで、1週間以上全く捕捉出来ない期間がありました。7月16日に、それを再び確認できて追跡できるようになったので、米空軍の分析官はすぐに進路の予測をしなおしました。予測は、そのデブリは午前5時29分(ヒューストンの時間)に宇宙ステーションのすぐ近くを通過し、ISSに22キロの距離まで接近するというものでした。ISSでは、安全圏を「ボックス」と呼んでいますが、その中に入りそうです。ISSと衝突する確率が10,000分の1以上の場合が「レッド」状態と定義されていましたが。識別番号36192の衝突の確率はそれよりはるかに高い1,000分の1以上でした。
午前2時44分、米空軍第18宇宙管制隊はISSの飛行管制官ジム・クーニーに連絡を取りました。彼は、NASAの熟練した管制官でした。彼は、スマホに緊急事態に大音量で鳴動して彼を起こすようなアプリを入れていましたので、真夜中でしたが目を覚ましました。夜中に起こされることに彼は慣れっこでした。ほんの1か月前のことでしたが、NASAはミノタウルス・ロケットのデブリをかわすために、ISSの軌道を調整したことがありました。ミノタウルス・ロケットは、小型人工衛星を低軌道に投入するために使われる大陸間弾道ミサイルを転用したロケット(ノースロップ・ダグラス・イノベーション・システムズ社製)でした。
そうした処置は過去20回以上実行されたことがあり、第18宇宙管制隊は5時間半の準備時間が確保できれば、問題なく実行できます。しかし、クーニーは第18宇宙管制隊に電話をしましたが、識別番号36912が最接近するのは約4時間後であると知らされました。クーニーは、4時間では何もできないと思い、何度も情報を確認しましたが、4時間後というのは誤りではありませんでした。ISSが衝突の危険性を認識するのが、これほど直近まで出来なかったことは過去にはありませんでした。ISSを移動させるという選択肢を選ぶことは出来ませんでした。
即座に、クーニーはそのニュースに対応してヒューストンの司令部のエド・ヴァン・チセと連絡を取ってから、ミッション・コントロール・センターへ急行し、対応策を検討する会議に加わりました。選択肢は1つしかありませんでした。ISSの乗組員に衝突に備えさせるしかないということでした。各モジュール間のハッチを全て閉じさせ、救命ボートとして機能させることもできるロシア製のソユーズの居室に避難させました。当時、ISSには、3人が乗船していました。アメリカ人スコット・ケリー、2人のロシア人、ゲンナジー・パダルカとミハイル・コルニエンコです。ソユーズはISSから切り離されれば、単独で地球に戻ることが可能でした。ISSで、乗組員がソユーズに退避したことは過去に3度だけありました。
ヴァン・チセは、ISSに取り付けられたトレッドミルでジョギングしていたスコット・ケリーと連絡を取りました。ヴァン・チセは、「こちら、ヒューストン、ミッション・コントロール・センターです。この通信はプライベート・モードに切り替えます。」と無線で叫びました。プライベート・モードにするというのは、通信を非公開にするということです。通常は、地上の管制官は誰でも通信を傍受することが出来ます。ケリーは後に回顧録に記しているのですが、突然プライベート・モ-ドと言われた時、かなり驚いたようです。なぜなら、それはいつもいやなニュースの前兆だからです。ケリーは2011年にもプライベート・モ-ドで通信をしたことがありましたが、その時には、彼の義理の妹でアリゾナ州議会議員ギャビー・ギフォーズが射殺されたと知らされました。
今回の通信は、NASAの純粋な業務に関するものでしたので、ケリーは最初は少しホッとしました。それから、状況の深刻さを認識しました。やはり、ろくなことは無いなと思いました。通信は、冷静に為されましたので、彼は指示内容を一度聞いただけで十分に理解しました。今回の作戦は、グリニッジ標準時を基準として実施され、識別番号36912がISSに衝突もしくは最接近するのは12時01分であると伝えられました。ミッション・コントロール・センターは彼に指示しました。午前10時30分にハッチを閉じ始めて、11時51分にロシア人2人と共にソユーズに退避し、指示があるまでそこに待機するように言われました。ケリーはやむなくジョギングを切り上げました。
10時に、ミッション・コントロール・センターは再びケリーと連絡を取りました。もうそろそろ彼とコルニエンコがフロリダとケンタッキーのテレビ局のニュース番組に出演する時間であることを知らせました。NASAは、テレビのインタビューは20分で終わるし、退避作戦が始まるのはその30分後の予定であるので、テレビに出るくらいの余裕はあると判断していました。ケリーは回顧録に記していますが、「マジで?もうすぐ衝突しそうなんですよ?」と思いました。彼とコルニエンコは抗議することもなくインタビューをこなしました。インタビューでは、ケンタッキー・ダービーについて質問されたり、無重力下の船内の様子を披露しました。決して、重大な危機が迫っていることを感じさせないように努めました。
インタビューが終了すると、すぐにケリーはアメリカ側のモジュール全体のハッチをロックし始めました。落ち着いて、実験室、頂塔室、エア・ロック(気密式出入口)を通って、薄暗い中を口で懐中電灯をくわえながら、浮遊して進みました。彼は、ISSに向かってデブリが向かって飛んでくるのが見えるかどうかミッション・コントロール・センターに尋ねました。返答がありましたが、ISSは地球の裏側に隠れ真っ暗な状態であるので、見えないとのことでした。
「相対速度はどのくらいですか?」ケリーは質問しました。
「毎秒14キロメートル。」との応答がありました。
「えっ、もう一度言って」とケリーははっきりと言いました。恐ろしいスピードです。デブリはISSに向かって時速4万6300キロメートルの速度で接近していました。そのスピードで衝突すると、1センチメートルのボルトでも、手榴弾並みの爆発力を持ちます。識別番号36912は少なくともその10倍は大きいと思われます。ISSのシールドは設計上どれくらいの強度があるのでしょうか。NASAの宇宙物理学者ドナルド・ケスラーが言うには、万が一宇宙ゴミが超高速でISSと衝突したら、きれいに貫通して穴を開ける可能性があるということです。識別番号36912が衝突すれば、それが引き金となってISS自体がバラバラに崩壊するでしょう。
ケリーは集中していました。ミッション・コントロール・センターは、彼に機器工具類と医療キットを持っていくよう指示しました。彼は、それらと私物を手にしました。私物も手にしたのは、1997年にミール宇宙ステーションに勤務していた米国人宇宙飛行士マイク・フォールのことを思い出したからです。フォールがスペクトル(ロシアのミール宇宙ステーションの5番目のモジュール)にいた時に、補給船が速度超過の状態で接近してきて衝突しました。酸素の漏出を防ぐため、スペクトルのハッチは閉められました。それで、フォールは妻や子供たちに贈る金のペンダント等の私物と完全に切り離された状態になりました。「ハッチが閉まって、向こう側の重要な物と永遠に別れを告げなければならなかった時のフォールの気持ちを思うとやりきれないね。」とケリーは言いました。
アメリカ側の全てのモジュールのハッチをロックした後、ケリーはロシア側の施設でコルニエンコとパダルカに合流しました。ISSの司令官であるパダルカは、モスクワの司令部がISS内のムードを尋ねた時、自信を示そうと努力し、「重要なのはファイティング・スピリットですよ。」と答えました。ケリーは、5つのロシアのモジュールのハッチがいずれも閉められていないことに気づきました。(パダルカとコルニエンコの回想によれば、閉まっていたということですが。)ケリーは回顧録に記しています、「ロシア人はハッチを閉じていませんでした。彼らはそれが時間の無駄だと考えていたようです。基本的に、2つの可能性しかなく、衝突しないか、粉々になるかしかないんです。ハッチを閉めても閉めなくても、死ぬ時は死ぬし、助かる時は助かるんです。」と。
ケリーは、ロシアの2人が昼食をとっているのを見て驚きました。コルニエンコは言いました、「食べたかったんです。ロシアには格言があるんです。それは、”戦争だろうが何だろうが食事は時間通りにとれ”というものです。」と。ソユーズ内の食糧備蓄は3日分でしたが、それで2人がどれだけ生き延びられるかは誰にも分かりません。問題の時間まで14分しか残されていない中で、ケリーは2人が宇宙食を食べているのに加わりました。その宇宙食は見た目がキャットフードのようでした。いやはや、どう見てもキャットフードでした。やはり、味もかなりそれに近いものがありました。
ヒューストンでは、ミッション・コントロール・センターの管制官たちが緊張して待機していました。壁一面の大きさのスクリーンには、ISSの軌道予想、ISSの内部のライブ映像などが映されていました。エド・ヴァン・チセはコンピューターのマウスをいじくりまわしていました。NASAの職員の1人は、口に手をかざしてモニターを見つめていました。別の者は緊急マニュアルを開いたままで座ったまま、私に言いました、「私たちは何をすべきかを知っていますが、結果がどうなるかは分かりません。非常に酷い結果になる可能性が無いわけではありません。人命が失われる可能性もあります。」と。
11時51分、ISSの3人はソユーズのカプセルに乗り込みました。それは、ISSの頂上にあって、シリンダーの両端をつまんだような形をした、狭いスペースです。スイッチやつまみがいっぱいあります。「外が暗かったこともあり、カプセルの中も通常時より暗かった。」とケリーは回顧録に記しています。彼は寒いと感じたので、着ていたNASAのスウェットシャツのフードを目のあたりまですっぽりとかぶりました。
3人はソユーズのハッチを密閉したままにするように指示されていましたが、ロックはしていませんでした。というのは、デブリがソユーズに衝突した場合には、急いでISS側に戻る必要があったからです。コルニエンコは、どんな場合にも対応できるようにロックをいつでも操作できる状態にしていました。3人ともそれぞれ自分のするべきことを考えていたので、静寂が訪れました。ケリーは回顧録に、「その時、ソユーズの中では空調の音と自分の息をする音しか聞こえなかった。」と書いていました。緊張が高まる中、パダルカは「衝突したら、ひとたまりもないな。」と言いました。コルニエンコは、「ダ(イエス)」と言いました。
モニターに時間が表示されていて、3人は12時01分が来るのを、息をひそめて待ちました。ケリーは、コルニエンコが窓の外を見つめていることに気づきました。ケリーはコルニエンコに言いました、「何も見えないだろう。」と。それに対して、コルニエンコは言いました、「時速3万マイルで、小さなデブリで、外は暗いんだから何も見えないさ。でも窓の外を見て、耳をそばだてて、神経を集中していて、気づいたんだ。我々は衝突したとしてもそれを認識することなんて出来いんだ。その瞬間、気化してしまうんだからね。」と。
3人は再び沈黙しました。しばらくの間、ケリーは自分のiPodを聴いていました。彼は、正午に近くなるにつれ緊張が高まり、正午の数秒前には顔が引きつってきました。正午から30秒が過ぎて、そして、1分経過しました。12時01分になりましたが何も起こりませんでした。パダルカはモスクワと交信し、「モスクワ、聞こえますか?」と言いました。
「感度良好です。異常はないですか?」と応答がありました。
パダルカは、「12時02分になりました。とても静かです。」と言いました。約3分間の沈黙の後、パダルカは再び呼びかけました、「モスクワ、私たちはこのまま待機しておくべきですか。」と。
交信には多少雑音が混じりました。「全て終了です。」と返答がありました。識別番号36912はISSの付近を通過しました。その後、米空軍が明らかにしたところでは、接近時の距離は2.4キロメートルしかありませんでした。瞬きする間もない距離です。3週間後、そのデブリは大気中で燃え尽きました。