3.1970年代 ドナルド・ケスラー(NASA) スペースデブリの危険性を認識
宇宙空間にデブリが溢れることが深刻な問題であることを最初に認識したのは、ドン・ケスラーです。彼は、NASAの宇宙物理学者で、ISSのデブリに対する脆弱性を研究していました。彼の初期の研究によると、何も対策を実施しなければ、地球の近くを周回するすべての人工衛星が破壊される可能性があります。人類はますます人工衛星を活用するようになっていますから、被害はより深刻なものになります。通信システムに障害が起きますし、気象衛星も被害を受けます。GPSも使えなくなります。被害額は数十億ドル規模と思われます。人命にも影響を与える可能性があります。
ケスラーにとって、宇宙は子供の頃からの憧れでした。彼はテキサスで育ちましたが、父親に星を見るために望遠鏡を買ってもらいました。それ以来、興味が失せることはありませんでした。高校卒業後、彼は空軍に入隊し、航空総隊司令部に配属されました。1962年に、彼は物理学を研究するためにヒューストン大学に入学しました。そこで、彼は、温和な性格で自信に満ちていて数学的な才能にも恵まれていましたので、すぐに宇宙研究の最前線で活躍したいという思いを抱きました。彼は、大学を卒業する前から、学生が大学に籍を置きながらNASAでの研究に参加できるプログラムを利用して、NASAでの研究を始めました。ケスラーと共同で研究を行った航空宇宙研究者のダレン・マックナイトは言いました、「彼は素晴らしい学生でした。非常に複雑な問題の研究に取り組んでいました。」と。
当時のアポロ計画は既に弾道飛行を成功させていて、月面着陸に向けての研究が進行中でした。ケスラーは私に言いました、「当時のNASAでは、誰もが『月の後は火星だ。その次は小惑星帯を目指すんだ』なんて言っていました。」と。彼は当時まだ学生でしたが、NASAから、地球と火星の間の環境を調査するよう指示を受けていました。それで、巨大な岩の塊が衝突を繰り返している中を、宇宙船がどうやったら通過できるかを研究していました。
ケスラーは5年間で、小惑星の衝突とそれによる破片の飛散状況を計算しモデル化して表すことに成功しました。その後、彼が作ったモデルは、NASAが惑星間の空間における流星体の動きを予測する際に使われました。しかし、彼はさらに研究を進めました。1970年代までに、人類は3,000個以上の人工衛星を打ち上げました。それらは、いずれ宇宙のゴミと化す可能性があるものでした。彼のモデルによって計算すると、その時点で既に非常に厄介な状況でしたが、彼はそれ以上研究を続けることが出来ませんでした。なぜなら、NASAは組織全体の予算削減を強いられる中で、彼の所属していた部署が解体されたからです。彼はその研究を終えるよう指示されました。
ケスラーは、1973年にNASAが打ち上げた宇宙ステーション「スカイラブ」の飛行制御官になりました。その後、ジョンソン宇宙センターに転じ、スペース・シャトルが地球の環境に与える影響を研究しました。彼はその仕事が好きではありませんでした。彼はまだ30代でしたので、自分の居場所を見つけようとしていました。
1970年代半ば、米国はエネルギー危機に見舞われたため、ジョンソン宇宙センターの所長クリストファー・コロンバス・クラフトは、新たな野心的な使命を思いつきました。それは、巨大な太陽光発電装置をいくつも宇宙空間に打ち上げて、太陽エネルギーを刈り取って、それをマイクロ波ビームで地球に送るというものでした。クラフトは意志が強く非常に大胆な人物で、米国の宇宙開発計画に不可欠の人物でした。ニール・アームストロングは彼のことをミッション・コントロール・センターの主であると言っていました。。彼の新しい思い付きは、前例のない規模の技術が必要です。地球周回軌道に打ち上げれらる太陽光発電装置は、1つでも何百万トンの重量になります。たとえそれを作ることが出来たとしても、高エネルギーのマイクロ波が安全なものか否かは誰にも分かりませんでした。ケスラーは言いました、「マイクロ波ビームがオゾン層や飛んでいる鳥などに影響を及ぼすのではないかという懸念について調べていました。それが人体に降りかかった時にはどんな影響があるかという懸念もありました。」と。
ケスラーは、米国環境調査局から、地球周回軌道の太陽光発電装置の環境への負荷を調査するように依頼されました。ケスラーは、地球にマイクロ波ビームを送ることの影響には大して関心はありませんでした。しかし、その調査をすれば以前していたような研究を生かすことができると思いました。彼は、軌道上の太陽光発電装置が崩壊して破片がばら撒かれる危険性とその影響は重大であるという報告をしました。それは、スペースシャトルの運行の著しい脅威になると主張しました。その調査結果は、非常に注目されました。
ケスラーは研究に没頭していく中で、気づいたことがありました。それは、NASAでは地球周回軌道上のデブリ群について誤った認識が支配的であるということでした。NASAが警戒しているデブリ群は、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)がカタログに載せたものだけでした。アポロ計画の初期の研究者たちは、そのカタログに載らないような破片は非常に小さいものなので、衝突の可能性は無視出来るほど些細なものであるという判断を下していました。デブリ群は、環境に与える影響などたかが知れています。問題なのは衝突の可能性です。しかし、NASAではカタログに載ったものしか気にしていませんでした。
ケスラーは、デブリの衝突の可能性を研究して気づいたのですが、非常に小さな物体でさえも無視は出来ません。非常に小さなデブリでさえ、人工衛星を粉々に砕き、より高速の破片をまき散らす可能性があります。もしもそうした物質の数が増えると、衝突が衝突を生む連鎖が起きるでしょう。衝突により破片がより小さくなり、無数に数が増えて、蚊柱のようになったものが、高速で飛びます。それは、全くの悪夢で、今では「ケスラー・シンドローム」として有名です。そうしたものが飛ぶことが増えれば、地球近傍の宇宙空間は危険で人工衛星など投入できなくなります。ケスラーが研究したところ、理論的には、いずれ地球も火星のような輪っかを持つようになるでしょう。火星の輪っかとは異なり、人工物の破片で出来た輪っかです。
1976年、ケスラーは部外秘の資料を作成しました。人工衛星の打ち上げ頻度とデブリについての長期的な予測をしましたが、楽観的、現実的、悲観的の3種類の予測がありました。現実的な予測は、15年以内にデブリの衝突が連鎖的に連続して起こる状況が始まって、2020年には地球周回軌道上は高度によっては非常に危険な状況になるので、太陽光発電衛星は打ち上げてから10年以内に破損するというものでした。最悪の予想は、衝突の連鎖はすでに始まっているとの仮定で、2020年時点でデブリは現実的な予測の10倍と推定され、200年以内に、過去に打ち上げられた人工衛星等は全て破壊され、さらに数百万ものデブリが飛び散ることになるというものでした。
クラフトは、その予測を机上の空論であると見なし、受け入れませんでした。ケスラーの予測は過去の実験データに基づいていましたが、確率論的に計算しただけに過ぎないと見なされたのです。ケスラーはそれでも予測を続け、さらに多くのデータを分析しました。ケスラーは、上司全員から、その研究を止めるべきであると言われ、その研究は何の役にも立たないとの忠告を受けました。 ノースダコタ州の空軍レーダー基地がより感度の高い観測をするための設備増強をしていることを知ったので、ケスラーはそれに加わって、カタログ化されていない大量のデブリを発見しました。NASAでの同僚であったバート・クールパレと協力して、ケスラーは今までの予測をさらに精度を上げるよう取り組みました。結論は、やはり、デブリは隕石とは比べ物にならないほど大きな危険をもたらす可能性があるというものでした。再度、クラフトへデブリの危険性を説明しました。しかし、彼が指示されたのは、それに関する研究に勤務時間の10%以上を割くなということでした。米国環境調査局の局長は、ケスラーのことを役に立たないことを研究している人物と評していました。
その後、1978年にソビエトの偵察衛星コスモス954が周回軌道から落下しました。それは、60ポンドの濃縮ウランを積んだ原子炉を擁していました。コスモス954はカナダ北西部の上空で崩壊し、放射性物資を数百マイルにわたってまき散らしました。その残骸を回収するための作業は、化学防護服の着用が必須で、極限状態(氷点下40度以下)で、非常に困難でした。
コスモス954の崩壊事故は世界中から注目されました。それで、各国の宇宙開発に携わっている者が故障して運用を終えて漂っている人工衛星に関する情報を競うように求めるようになりました。突然、米国務長官が宇宙空間の危険性を話題とするようになりました。ある核兵器研究者が米下院で証言させられ、ケスラーの予測が現実となったらぞっとするような事態になるだろうと言いました。コスモス954は地球周回軌道上で何かと衝突したのではないかとの疑念を抱いていたので、国連宇宙部はケスラーに意見を求めました。当時、米国はソビエトとSALTⅡ(第二次戦略兵器制限交渉)に関しての交渉中でしたが、バート・クールパレはコスモス954についての情報を共有し対応策を検討しました。
ケスラーは、自分は今後デブリの研究を専属ですることになるか、全く携わらないかのいずれかだろうと思いました。ケスラーは、クラフトに面談をしたいとの希望を伝えました。面談したいと思ったのは、スカイラブが危険な状況にあることを認識してもらいたかったからです。スカイラブは、当時は宇宙空間で最大の人工構築物でした。しかし、既に軌道を外れ何年間も放置された状態でした。ケスラーの上司のある人物は後に言いました、「スカイラブは、それが引き起こす影響を十分に吟味されること無く打ち捨てられました。」と。スカイラブがコスモス954のように地球に激突するのは時間の問題でした。同時に何かと衝突してデブリをばら撒くという可能性もありました。スカイラブが地球に衝突するか、何かにぶつかって粉々に砕けるのは時間の問題でした。既にスカイラブを運んだロケットは大西洋に落下していました。
ケスラーがクラフトと面談をした時、NASAの要人が何人も同席しました。ケスラーがデブリの研究をすることに異を唱えていた人たちもいました。彼は、この面談で皆を説得できなければ研究を続けられないだろうと確信しました。それで、彼は言うべきことだけは、はっきり言おうと決意しました。実現可能な解決策を提案することに決めました。当時のデブリの最大の発生源は人工衛星用打ち上げ用のデルタロケットであることを説明しました。いくつもの役目を終えたデルタロケットが宇宙空間で他の物体と衝突していました。それを防ぐための簡単な解決策があることをケスラーは説明しました。それは、早急に地球周回軌道から取り除くということで、ロケットを打ち上げた者が責任を持ってするべきだと説明しました。
クラフトは、これまでの考え方を改め、ケスラーを擁護するようになりました。それで、ケスラーにデブリに関する研究を続けるよう指示しました。それに掛かりっきりで他の業務はしないように指示し、資金の投入もすると約束しました。クラフトはケスラーに言いました、「その研究を続けないなんてクレイジーだね。研究を続けてくれ。これまで以上のスピードで進めてくれ。」と。
3か月後、スカイラブは落下しながらインド洋上空を通過しました。NASAの記録によると、それは青い火球のようで、多くの星が煌めく夜明け前の空を横切ったようです。その後、火球は赤橙色に変わり、砕けて5つなって散らばりました。豪州南西部で、早朝に、燃え盛りながら落下する物体が目撃されました。パースでは、ソニックブーム(超音速飛行により発生する衝撃波)で窓がガタガタ鳴った家も沢山ありました。スカイラブは崩壊した後、豪州内陸部の広範囲に大量のデブリを降らせました。人的被害はありませんでした。西オーストラリア州のシャイア・オブ・エスペランスの町の住民は、後にNASAから片付け費用として400ドル相当の補償を受けました。