The Complicated Life of the Abortion Pill
中絶薬の数奇な運命
A French doctor’s invention and post-Roe America.
フランスの医師の発明した中絶薬は、ロー対ウェイド判決が覆った影響を受けるのか?
By Lauren Collins July 5, 2022
1.
今年の3月に、ダニー・ベントレーという共和党員がケンタッキー州の下院議員に立候補し、リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖における個人の自由と法的権利のこと)を州民から奪うことになる法案を提案しました。薬剤師であり、その法案の起草にも携わったベントレーは、中絶薬の重要な有効成分である合成ステロイドのミフェプリストン(成分名:RU-486)は誤って使われており、使用禁止にすべきだと主張しています。ミフェプリストンは、一般的には中絶薬として認識されており、妊娠初期に2度服用することで外科的手術なしに安全に堕胎することができるとされています。ベントレーは、ミフェプリストンは第二次世界大戦中に開発されたもので、当初はXyglam Bと呼ばれていたものであり、その名前は強制収容所で使われていた毒ガスのZyklon Bにちなんだものであると主張していました。また、ベントレーは、「それを開発したのはユダヤ人であり、純粋に金儲けが目的であった可能性が高い。」と指摘していました。
実際には、ミフェプリストンは、1980年代に開発された成分です。フランスの製薬会社ルーセル・ユクラフ社が開発した38,486番目の分子です。そレが理由で、RU-486と名付けられたのです。ミフェプリストンが、Xyglam B や チクロンB(Zyklon B) と呼ばれたことはありません。ミフェプリストンは、それらの物質と何ら関係ないにもかかわらず、ベントレーが出鱈目な主張をした意図は不明です。とにかく中絶に反対する団体の役に立ちたい一心だったのでしょう。ルーセル・ユクラフ社の親会社はドイツ企業でした。また、その企業の親会社もドイツ企業(子会社がチクロンBの製造と販売に関与していた)でした。
実は、ベントレーの主張には正しい点もありました。たしかに、RU-486はユダヤ人の科学者によって開発されたものでした。その人物は、1926年にストラスブールで生まれました。名前はエチエンヌ・ブルムでしたが、1940年代にフランスのレジスタンスに参加した際にエミール・ボリューと名乗るようになりました。彼は、波乱万丈の人生を送りました。ファシストの追手から逃れ、芸術界の著名人と交友し、ローマ法王を激怒させ、生化学と神経科学の分野で70年にわたって研究を続け、リプロダクティブ・ヘルス・ライツのための闘いの中心人物の一人でもありました。彼は、今では中絶薬の父として有名です。先月、最高裁がドブス対ジャクソン女性健康機構事件で、ロー対ウェイド案件の判決を覆しましたが、そのちょうど2週間前に、私はボリューをパリにある彼の研究施設に訪ねました。彼は、ベントレーが彼の業績を誤って認識していたことを伝え聞いても、大した問題ではないと言っていました(ベントレーは、名誉毀損防止団体からの苦情を受け、自身の発言を謝罪していました)。彼は、もっと酷い非難を受けたことがあるからです。かつて、バチカン教皇庁が、RU-486を殺人薬として非難していました。アダムとイブの息子カインが嫉妬して弟アベルを殺害して決して神に許されなかったのですが、RU-486も同様に罪深いものであるとして糾弾されたのです。ボリューは、そうした非難は気にしないようにしていました。しかし、アメリカでリプロダクティブ・ヘルス・ライツが脅かされていることについて、彼は酷く心を痛めていました。彼は「非常に問題が多いと思います。」と言いました。また、ドブス対ジャクソン女性健康機構事件の裁判の判決について、「法的にも政治的にも道徳的にも保障されているはずの女性の基本的な権利にを脅かすものである。」と言っていました。
ベントレーの提案した法案は、共和党が多数を占めているケンタッキー州議会をあっさり通過しましたが、連邦裁判所の差し止め命令によって一時的に阻止された状態です。しかし、共和党は州憲法を改正し、法案に法廷で異議を唱えることを困難にする法案を通そうとしています。
中絶薬は、排卵を遅らせるモーニングアフターピルとは全く別のもので、通常2段階に分けて服用するものです。まず、ミフェプリストンを服用し、プロゲステロン(排卵直後から分泌量が増える、妊娠の準備のためのホルモン)の作用を止めます。それによって、妊娠の初期段階を混乱させます。それと並行して、ミソプロストールを服用するのですが、それによって人工的に自然流産と同じような子宮収縮が誘発され、大量の出血とけいれんが引き起こされます。全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America)によれば、中絶薬を使った中絶は、ほとんどの人にとって、妊娠初期の流産と同じくらいの身体の負担だそうです。2020年にアメリカで行われた中絶の内、中絶薬を使った中絶は54%を占めていると推測されています。アメリカで、初めて、中絶薬が妊娠を終わらせるための最も一般的な手段となったようです。
ミフェプリストンは、米国で使用が認められて以降、過剰な規制が行われていると指摘する専門家は少なくありません。その使用に伴う有害事象の発生率が非常に低いことが知られていますから、本来、それほど規制すべきものではないのです。新型コロナのパンデミック禍の際に、食品医薬品局(FDA)は、薬剤師のみが薬を販売できるとする規則を一時停止しましたが、それはその後恒久化されました。中絶薬は自宅で服用できるため、それを使って中絶することで交通費や託児費用を節約することができます。また、仕事や学校を休むことも回避できます。中絶薬は、安全で、かつ、非常に効果的です。薬局で手軽に購入することもできます。当局が誰が購入したかを追跡することは比較的困難です。先日、私の同僚のJia Tolentinoが当誌に投稿した記事に記していましたが、中絶薬が使えるおかげで、世の中の女性は自らの手で比較的安全に中絶できるようになったのです。もし使えなくなれば、コートハンガーの時代(以前、女性はワイヤー・コートハンガーを使って堕胎を試みていた)に逆戻りです。
ピッツバーグ大学法学部でリプロダクティブ・ヘルス・ライツを専門に研究しているグリア・ドンリーは私に言いました、「これまでずっと中絶するにはさまざまな手続きが必要でした。以前は、中絶できるのは医師だけで、手続きに不備があるとどこの医師も中絶してくれなかったわけです。ですので、手続きを踏まずに中絶することはほぼ不可能でした。しかし、現在では中絶薬が存在しています。各州が中絶を法律等で禁止しても、以前と同じように中絶をできないようにすることはほぼ不可能でしょう。」と。ボリューが開発した白い小さな錠剤は、裁判所の判決の不公平と不公正を改善するものではありません。しかし、その判決によってリプロダクティブ・ヘルス・ライツを否定された推定3,300万人のアメリカ人女性にとっては、最も頼れる拠り所なのです。