2.
MIT の文化には、かなり排他的なところがあった。もし、あなたの論文等のアウトプットの論点が曖昧なものであれば、直ぐに追い出された。博士課程には「研究能力要件」という曖昧な基準が存在しており、論文や著書を出していない学生が上の段階に進むのを困難にするハードルとなっていた。このような排他的なアプローチは、超エリートを育成しようとする機関にとっては理にかなったものである。しかし、一般的な職場に簡単に持ち込めるものではない。エリック・ディメインのような人物ばかりで構成されている組織は、ほとんど存在していないからである。
それでも、MIT で計算理論を研究した後に一般大衆向けの著作を出すようになった私は、MIT という狭い世界で得た教訓が、意外と世間一般でも役に立つのではないかと考えている。あまりにも多くの人たちが、集中力を過小評価している。生産性ではなく忙しさを重視してしまっている。ホワイトボードと何時間もにらめっこしたり、モンスター・マインドの持ち主たちと向き合ったりしなくても、これらのことには注意すべきである。ある意味、MIT は常識の通用しない不合理で特殊な場所だった。その特殊さゆえに、私たちが心の奥底で重要だと認識していたものを浮かび上がらせることができたのかもしれない。
私の最新作「スロー・プロダクティビティ( Slow Productivity )」は、表向きは仕事についての本である。この本では、活動的であることが生産性を高めるという概念を否定し、その代わりに、より人間らしいペースで生み出される真の価値に基づく、よりゆっくりとした代替案を推奨している。この本を書いた時、かつてスタタ・センターで私の回りをうろついていた風変わりな計算理論グループの研究者たちに私がインスパイアされていたことを認識できていなかった。しかし、実際には、インスパイアされていたのである。数十年経った今でも、彼らから学んだことは的を得ていると確信している。そう、何より重要なのは集中力である。♦
以上