2.ノーキル( No Kill )運動の隆盛
アレイ・キャット・アライアンス( Alley Cat Allies ) などの猫に限定した動物愛護団体も、ベストフレンズ動物協会( Best Friends Animal Society )などの全国展開で全ての動物種を対象とする巨大な動物愛護団体も、TNR ( trap-neuter-return :捕まえ、不妊去勢手術をし、元の場所に戻す)活動が野良猫の問題に対処するのに効果的であることが証明されている唯一のアプローチであると主張している。その主張が正しいか否かは、何を目標としているかで異なる。野良猫を各市町村が運営している保護施設から遠ざけることが目的であれば、TNR 活動の「元の場所に戻す」という行為は効果があると言える。目的が、野良猫の鳴き声や糞尿臭さに関する市民の苦情を静めることであれば、「不妊去勢手術をする」という行為は、局所的とはいえ効果的であると言える。より多くの野良猫を特定の疾病から守ることが目的であれば、「捕らえる」という行為はワクチン接種の義務化と組み合わせることでより効果的であると言える。しかし、ロサンゼルス市は、TNR 活動を積極的に推進しているほとんどの市町村と同様に、それ以上のことを実現しようとしている。同市のシティワイド・キャット・プログラム( Citywide Cat Program )の目標は、野良猫を「屋外の自然環境( natural outdoor home )」に残しつつ、TNR 活動を通じて数を減らすこととなっている。
私は、ロサンゼルス市が運営している動物保護施設 6 カ所の内の 1 つでロサンゼルス動物管理センター( Los Angeles Animal Services )のゼネラルマネージャーであるステイシー・デインズ( Staycee Dains )に話を聞いた。彼女は、TNR 活動の効果についての率直な評価を教えてくれた。「 TNR 活動が野良猫の総数を減らすのに効果的ではないことを示す多くの証拠がある。」と彼女は言った。彼女が付け加えて言ったのだが、TNR 活動は個々の猫の繁殖を防ぐのに効果的なだけである。「何もしないよりはマシなだけである」。
ゲイル・ラフとオーリー・クローが地道に行っていることは、野良猫が大量に生息しているエリアを特定し、そこに何度も行って繁殖能力のある猫を捕まえて不妊去勢手術をして元の場所に戻す、それをそこの全ての猫の生殖能力が無くなるまで続け、新たに外部から猫が持ち込まれていないか監視し続けるということである。彼女らがやっているように TNR 活動が適切に続けられれば、特定のエリアの野良猫の集団の個体数は安定するし、各個体にとっても利益は大きいと推測される。たしかにラフとクローは、彼女たちが活動しているエリアに、意味のある変化をもたらしている。しかし、より大きな規模で考えると、ほぼ変化をもたらしていないと言える。というのは、猫は繁殖力が強く、非常に急速に増えるからである。個体数を頭打ちにするためには、少なくとも総個体数の 70% に不妊去勢手術する必要がある。たとえロサンゼルス市が短期間に数十万件の不妊去勢手術費用を援助できたとしても、流動的に動き回ってどこに隠れているかわからない膨大な数の野良猫の 4 分の 3 を素早く捕まえることは不可能である。また、野良猫は外に住むべきもので街中の通りに住み着いても全く問題ないと考える者がいる限り、無責任あるいは責任を負う能力の無い者たちによって捨てられる飼い猫の数はますます増えるであろう。
TNR 活動の成功例がいくつか報告されている。しかし、いずれにおいても、何らかの重大な欠点があった。猫を追跡する方法論のみを強調していたり、猫が大学のキャンパスなどの厳格に警備されている場所に閉じ込められていたり、大量の猫を里親に渡すことによって猫の個体数削減を達成していたりするものがあった。TNR 活動で最もよく知られている成功事例の 1 つは、フロリダ州キーラーゴ( Key Largo )のオーシャン・リーフ・クラブ( Ocean Reef Club:富裕層が集う会員制コミュニティ )で行われているものである。1995 年から続けられている。この活動により、コミュニティ内の野良猫の数は大幅に減少した。しかしながら、そこはゲートで囲まれたコミュニティであり、不妊去勢手術と里親への譲渡を継続しているにもかかわらず、かなりの数の野良猫が生息し続けている。
確固たる科学的根拠のない戦略が多くの都市で採用されるようになった。それは、いわゆるノーキル運動( No Kill movement )が台頭して以降のことである。今から 50 年前、アメリカでは、個体数管理を名目に毎月約 100 万匹の犬や猫が専用施設で安楽死させられていた。しかし、2000 年頃までに、安楽死数は劇的に減少した。原因は、ペットに不妊去勢手術をすることの重要性が一般に認識されたことにある。ベストフレンズ動物協会( Best Friends Animal Society )が主導していたノーキル運動は、その数をゼロに減らすことを目指していた。ちなみに、ノーキル運動では、安楽死を絶対に認めないわけではない。治療できない病気にかかった動物や攻撃的な動物を安楽死させることは許容されている。ベストフレンズ動物協会は、保護した動物の少なくとも 90% を生きたまま放せば、その動物保護施設をノーキルと認定する。元々、ベストフレンズ動物協会は本拠地であるユタ州で動物の保護施設を運営していた。それが、ロサンゼルスにも目を向けるようになった。そこでは殺処分率がずっと高止まりしていたため、市への抗議が殺到し、さまざまな嫌がらせも受けていた。ベストフレンズ動物協会は精力的な広告キャンペーンを開始し、常に資金が不足していたロサンゼルス動物管理センターと協力して動物愛護団体の連合組織を結成した。民間との協業を強化することで、ロサンゼルス動物管理センターは動物保護と養子縁組の活動に関わる作業を大きく軽減できた。それによってライブ・リリース率( live-release rate:保護した動物を生きたまま戻す率)を高め、コストを大きく節約することができた。
ベストフレンズ動物協会がこうした取り組みを開始した 2010 年に、ロサンゼルス動物管理センターは、野良猫のための新しいプログラムを開始した。同市は野良猫を保護施設で受け入れるのではなく、TNR 活動を促進することに舵を切った。州法の規定に基づき、同市がその活動を推進するためには環境監査を実施する必要があった。同市はそれを実施することを約束した。しかし、それが適切に為されなかったので、アーバン・ワイルドランズ・グループ( Urban Wildlands Group )という団体が訴訟を提起した。その団体の科学部長を務める都市生態学者のトラヴィス・ロングコア( Travis Longcore )は TNR 活動に懐疑的であった。共同原告には、私と関係が深いアメリカ鳥類保護協会( American Bird Conservancy )も名を連ねていた。原告側が主張したのは、TNR 活動を推進することはより多くの野良猫を路上に残すことを許可するものであり、個体数の増加を阻止できないため、元々住んでいた野生生物に対する脅威が増すというものであった。
また、ロングコアは他のことも懸念していた。それは、TNR 活動を推進することによって住民がやっかいな野生動物に対する防御手段を失ってしまうことであった。ロサンゼルスでは、長年にわたって野良猫が増え続け、今ではいたる所に住みついている。そのため、同市には野良猫の捕獲と撤去の要請が無数に寄せられている。それで、市民が市に要請をしても、対処してもらえない状況が生み出されてしまっていた。要請者の中には、重篤な病気の猫や怪我をした猫の捕獲を要請してくる者もいる。次のような内容である。
体側に巨大な腫瘍のようなものがあるぶち猫 1 匹。脊柱が歪んで不格好な猫 2 匹。
この地区には皮膚病に感染している野良猫が多い・・・(中略)・・・。また、小さな野良猫の内 1 匹は早急な治療が必要な状態である。結腸が約 2 インチ( 5 センチ)肛門から突き出ている。
残念なことに、要請内容の多くは、読むと困惑せずにいられないような内容である。次のような内容である。
1 匹の凶暴な野良猫が乱暴狼藉を働き、私の飼い猫を傷つけている。我が家の猫の 1 匹は、先週ひどい怪我を負ったため、安楽死させるしかなかった。
多くの野良猫が私の家の敷地内をうろつき回っている。ところ構わず糞尿を垂れ流している。臭くてたまらない。これでは呼吸ができない。
多くの野良猫が私の庭を訪れる鳥も殺しまくる。美味しいところだけ齧り取られた鳥の死骸がそこら中に散乱している。
野良猫( 7 匹から10 匹くらい)が中庭に置いていた椅子のクッションを引き裂いた(直ぐに交換品を注文したけど、500 ドルもかかった。・・・(中略)・・・。1 匹の野良猫が我が家の芝生の上で嘔吐していた。我が家には、小さな孫がいて、いつも庭で遊んでいる。この状況を看過することは、健康上の問題を引き起こすと懸念される。
多くの野良猫が夜になると我が家の目と鼻の先で喧嘩して、大きな鳴き声をあげている。奴らは、かわいいリスを美味しい餌と認識し、せっせと殺している。先日、裏庭で手足がもぎ取られ内臓がぶら下がっている 1 匹のリスを発見した。このあたりの野良猫は私の家の花壇の用途を正しく認識していない。そこで、いつも気持ちよさそうに用を足している。
ロサンゼルスでは、野良猫を捕まえた市民はロサンゼルス動物管理センターにそれを引き渡す義務があった。動物管理センターでは、その野良猫が人に懐かない場合、安楽死させる以外の選択肢はなかった。しかし、同市の野良猫への新たな対処方針は、その状況を変えるためのものであった。その主な目的は野良猫の殺処分数を減らすことである。
前述の訴訟において、原告側は訴訟の中で、ロサンゼルス動物管理センターが必要な環境監査を実施せずに TNR 活動を推進したことと、それによって野良猫の捕獲要請への対応がますます困難になっているを示す証拠を提出した。2010 年には裁判所が永久差止命令を出し、同市に対し、TNR 活動の推進を中止し、以前の状態に戻すよう命じた。差止命令が出されたことにより、ロングコアはその地域の猫愛護団体から永続的とも言える敵意を買うこととなった。ちなみに、ゲイル・ラフは今でも彼に対する怒りに満ちている。彼女は、「なぜ野生動物を大切に思う人が、私が TNR 活動をするのを嫌がるのか?」と言った。私は、ロングコアに、彼が教授をしている UCLA のキャンパスで会った。彼が言ったのは、差止命令はボランティアによる TNR 活動を禁ずるものではなく、同市がボランティアを支援するために資金を浪費することを禁ずるものでもないということである。彼が同市の方針に反対した理由は、同市の方針に不備があるからであった。「多くの人たちにとって、自分の権利が一部の狂信者によって蔑ろにされたことは信じがたいことであった。」と彼は言った。「同市の方針によって、子供たちがノミや猫の糞尿だらけの場所で遊んでいる場合、保育園等が市に野良猫の駆除を要請することができなくなっていた。それが正しく同市が望んでいたことだったのだ。だから、訴訟を提起して、そのことを証明するしかなかったのだ」。
出された差止命令に対応するため、同市は最終的に正式な環境影響調査報告書の作成に取り組むことを決めた。2019 年に出された報告書草案には、市内の飼い主のいない猫の数に対する TNR 活動の長期的な影響を示す数学的モデルが含まれていた。その予測によれば、市が毎年 2 万件の不妊去勢手術を行うという目標を達成した場合、野良猫の数は 30 年間で 13% 減少するという。30 年という長い期間には計り知れないことも数多く発生することを考慮すると、その予測を完全に信頼するのは困難である。この環境影響調査報告書を出すにあたって同市が最も主張したかったのは、野良猫の数が増えないという点である。だから、数字は後付で取ってつけたようなものであり、元々それほど信頼度は高くないのかもしれない。2020 年 12 月に同市議会は 10 年以上前に提案されたものとよく似た野良猫対策プログラムを承認した。大きな違いは、やっかいな野良猫を駆除する権利が明示的に示されていることだけだった。
その数カ月後、ベストフレンズ動物協会とロサンゼルス動物管理センターは、同市の動物保護施設の 2020 年のライブ・リリース率が 90% を超え、ノーキルに認定されたと発表した。ベストフレンズ動物協会は、2025 年までにアメリカ国内のすべての動物保護施設がノーキルに認定されることを目指して活動している。ロサンゼルスでの大勝利を宣言し、焦点を他の多くの都市に移した。しかし、この宣言はいささか時期尚早だった。それ以後、同市のライブ・リリース率は約 85% まで低下した。同市のノーキルを達成するための野良猫対策プログラムは苦戦を強いられている。ロサンゼルス動物管理センターは、このプログラムの目標は近い将来に達成されると主張している。しかし、公表された統計によれば、今年( 2023 年)の同市全体のシティワイド・キャット・プログラムで不妊去勢手術費用の助成が受けられるバウチャーの発行枚数は、わずか 1 万枚である。この数字と、環境影響調査報告書で実施すると想定していた手術件数の 2 万との差はあまりにも大きい。同市はバウチャーを受け入れている 20 の診療所をリストに挙げているが、電話したところ、その内の 8 つはバウチャーを受け付けないか、もしくは予約が取れなかった 。たとえ TNR 活動が野良猫の個体数削減に効果的であるとしても、シティワイド・キャット・プログラムが目標を達成できるかどうかは不透明である。
ゲイル・ラフは、ロサンゼルス動物管理センターと同市の対応を非難している。というのは、法的紛争を早期に解決しなかったからである。また、ベストフレンズ動物協会のことも非難している。それは、寄付を募ったり、派手に宣伝活動を行ったのに、TNR 活動には全く資金を提供しなかったからである。「彼らはお金儲けしか考えていない。」と彼女は言った。「ベストフレンズ動物協会がこの混乱を引き起こしたのである。不妊去勢手術をしなければ、ノーキルは達成できないに決まっている」。
ノーキル運動に幻滅しているのはラフだけではない。殺処分率を低く維持するために、多くの市町村の動物保護施設は動物をあまり良くない環境下に置き続けている。また、里親を見つけられそうにない動物は、市町村運営でない保護施設へ誘導し、そこに殺処分という汚い仕事を押し付けている。殺処分を行っている施設は、嫌がらせを受けることも多く、労働者もなかなか定着しない状況に陥っている。市町村運営の動物保護施設は、ますます特定の動物の受け入れを拒否するようになっている。代わりに民間の施設を市民に紹介するケースが増えている。正しくロサンゼルスはそうした状況にある。多くの同市の動物愛護団体や里親仲介団体は、さまざまな猫であふれかえっている。同市で長年にわたって野生動物管理に携わっている職員が匿名を条件に私に言ったのだが、ノーキルと認定されなければならないというプレッシャーが非常に強いという。とにかく殺処分を回避することが最優先されているという。そのため、多くの温和でない犬や人に懐かない猫も無理やり里親に引き渡されている。それらは、あまり疑い深くないように見える里親に引き渡されている。また、虐待癖があったり精神的に問題を抱えた人物でも基本的には身元調査無しで里親になることが可能である。何匹でも犬や猫を受け入れることができる。というのは、殺処分数を減らしていることによって、里親に相応しい家の数は増えない一方で、動物の数が激増しているからである。すべての動物を暖かい家が待っているわけではないのである。「ノーキル運動は素晴らしい理念に思えます。」とその職員は言った。「しかし、それは神話でしかない」。