2.世の中には膨大な種類の医療検査がある
医学には限界というものがあります。ボストンでは冬に歩道が凍っている時に、足を滑らせて、転倒する際に地面に手を打ち付けて運び込まれる患者が沢山います。そんな時、私は医師としての経験から患者を一目見ただけで手首が骨折しているか否かを判断することができます。しかし、医師として患者を診る時に、そんな単純な場面はほとんどありません。患者の症状を認識出来たとしても、その原因を特定するのは容易なことではありません。表面に現れる症状や徴候の裏で、躰のあちこちで様々なことが起こっていて、酵素や遺伝子や染色体などが複雑に関与しているのです。1912年に米国医師会が指摘したのですが、内科学というのは「雲をつかむような学問」で簡単なものではないのです。適切な治療法を選択するには、疾病の原因を見極めることが重要なのですが、それがとても難しいのです。どんな症状でも原因と思われるものがいくつもあります。どうすれば、医師はその中から正しい原因を突きとめられるのでしょうか?悲しいことにそれは簡単なことでは無いのです。
もちろん、原因を特定するために最も有効なのは、検査をすることです。検査するということは、何かに原因があると疑って検査してみて、その推測が正しいか否かを確認するという作業です。”検査(test)”という語は、ラテン語の”証言する”という意味の”testari”という語が由来であるとされています。しかし、偉大な19世紀の辞書編纂者であるアブラム・スマイス・パーマー牧師は、古いフランス語の”test”が語源であると指摘していました。”test”は、灰吹法(高熱で鉱石から貴金属を抽出する方法)の際に使用される容器”るつぼ”のことでした。パーマーが1882年に書いていますが、あるものを”test”するということは、それを高熱の”るつぼ”の中に放り込んで、その中に含まれている金属を分析するという意味でした。救急科に運び込まれる患者は、”るつぼ”に放り込まれるものと同じで未分類です。救急科の医師は表面の症状は見えているものの、原因とかは全く認識していません。ですので、様々な検査を実施して、何が原因なのか何が問題なのかを知ろうとするのです。
現在、新型コロナウイルスの感染が拡がっている最中ですが、医療現場で行われる検査について以前よりもより深く考えるようになりました。医療現場の検査がどのように機能しているかについて、多くの人々がかなり単純化した形で認識しています。検査技術は高度になっており、かなり正確だと考えている人が多いようです。確かに、検査することによってウイルスに感染しているが無症状性の者を見つけ出したりすることも出来ます。検査する目的は、感染者と非感染者を迅速に区別することで、それによって学校や職場や公共のイベントで有効な防御策を講じることが可能になります。多くの大学では、新型コロナウイルスの検査結果を利用して、キャンパスに学生が戻った時にさまざまな寮に振り分けて、陽性者と陰性者が接触しないようにしました。多くのスポーツチームも、検査結果を利用していて、選手や関係者の外部との接触を遮断する「バブル」方式を採用していました。多くの人たちが、PCR検査をして陽性であれば、次に陽性検査を実施して陽性であれば、更に詳細で高価な検査をするものだと認識していますし、そこまですれば、陽性であっても陰性であっても明確になるものだと思っています。
医師が各種医療検査を実施する際には慎重に行いますし、段階的に検査を進めます。実際、医師は常に検査を行っていますが、ほとんどの検査は高度なテクノロジーを駆使したものではありません。医師が実施する検査の中で最も重要なものは、とても簡単な検査で、いわゆる視診というものです。患者の状態を目でつぶさに見ることが重要なのです。「医者が患者を”みる”」という時の”みる”というのは、”診る”という意味もありますが、まさしく患者を良く”見る”という意味も根底にはあるのです。良く見ることで多大な情報が得られますので、患者が重篤であるのか安定した状態であるのかといったことを素早く判断することが可能です。多くの医師は、患者が診察室に入ってくる様子を見ただけで重大な病気を患っている場合には、それを認識することが出来ます。また、病名や原因の特定は出来ないものの、重篤か否かということも認識することが出来ます。
医師は患者と会話して様々な情報を得る必要があります。いわゆる問診です。西暦100年頃にエフェソス(古代トルコの都市)でギリシャ人医師のルーファスが患者の既往歴を調べるための問診方法を確立し、論文に記しました。彼の確立した問診方法は、現在もほぼほぼ同じ形で使われています。私も医学生の時に学びました。問診によって患者から痛みの強さ、位置、持続期間、特徴などを聞き出すことが重要なのです。そうは言っても、私は医学生の時はその重要性はあまり認識出来ていませんでした。しかし、研修医として現場に出るようになって改めてその重要性を認識しました。私は指導医から言われました、「問診を十分に行って下さい。それで、患者から出来るだけ情報を得て下さい。そうすると、病相の見立てに自信が持てない時もある筈です。そんな時こそ検査をするのです。必要な検査、例えば血液検査等をすることで、見立てが正しいか否か確認できるでしょう。」と。
ルーファスの時代から数百年で、新たな検査方法がいくつも考案されました。尿検査は中世ヨーロッパで考案されました。1090年公布のエルサレム法では、医師は尿検査を実施することを義務付けられました。実施しなかった場合には、公開鞭打ち刑に処されました。血圧測定が初めて為されたのは、1733年のことでした。英国の牧師が馬の動脈に真ちゅう製のパイプを挿入したが始まりでした(彼は、馬が苦しみ始めた時、血圧が急激に上昇することを発見しました)。1750年代には、オーストリアの医師レオポルト・アウエンブルガーが現在でも使われている画期的な検査法を考案しました。打診法です。彼の父親がワイン樽を軽く叩いて、中身がどれくらい残っているかを調べているのを見て、彼は同様の方法で肺炎など特定の疾病を特定することが可能であることに気付いたのでした。健康な者の肺を2本の指でトントンと叩くと、太鼓に厚い羊毛の布を被せた時のような音がしますが、何らかの疾患がある肺を叩くと全く異なった音がすることを彼は発見したのでした。
近年でも様々な検査手法が開発されています。聴診器や体温計や血圧計や心電図といったものが考案され、現在ではそれらは標準的な医療検査用ツールとなっています。また、血液凝固時間の測定も可能になりましたし、白血球濃度を測定することも可能になりました。結核、ジフテリア、コレラ、腸チフスの診断用検査キットも開発されました。このように非常に沢山の検査手法が開発されてきたわけですが、そんな中でも最も画期的なものは何であるかと問われたら、誰もが間違いなく1895年に開発されたX線検査だと答えるでしょう。私の書斎には1910年に出版された医学専門者が1冊あるのですが、その中にX線検査に関する記述があって、「革新的な電気機器であり、X線検査によって、医師は患者の躰の広範囲を診断することが出来るようになり、内部構造を正確に認識することが出来るようになった。」と記されています。X線検査が普及したことにより、医師がより正確な診断を下すことができるようになったというのは事実でしょう。しかし、X線検査が登場して明らかになったことは、検査手法が増えたけれども、病相を正しく診断するのは依然として難しいということです。また、どんな検査でも正確に診断が下される時もあれば誤った診断が下されることもあるということも分かってきました。