6.ユニクロの野望の行く末は?
ユニクロが世界的覇権の野望を実現できるか否かは、結局のところアメリカ市場を制覇できるかどうかに大きく依存している。アメリカの消費者は、みんなと同じ服を着ることにメリットがあるという考えを受け入れるだろうか?ファッションの世界でも政治の世界でも、集団主義( collectivism:集団全体の利益や調和を個人の利益や権利よりも優先する考え方や文化)は暮らしぶりをより良くするかもしれないが、アメリカでは個人主義が優勢になることが多い。
同社はまた、「アートの民主化( to democratize art for all )」という文化的な目標を掲げている。10 年以上にわたり、ユニクロは MoMA 、テート・モダン( the Tate Modern )、ルーブル美術館( the Louvre )、ボストン美術館( Boston’s Museum of Fine Arts )で無料の公開プログラムをスポンサードしてきた。その見返りとして、同社は高尚なイメージを磨き上げることができた。有名作品を T シャツにプリントする権利も獲得した。誰もいないギャラリーや象徴的なガラスのピラミッドの下でイベントを開催する機会も得た。同社の関心が「ウェア( Wear )」だけでなく「ライフ( Life )」にもあるという理念をさらに推進しようとしている。
5 月のある夜、ユニクロはロンドンのテート・モダンに観衆を入れて UT グランプリ( the UT Grand Prix )の授賞式を開催した。UT グランプリは毎年恒例のコンテストである。世界中から応募がある。ユニクロのシャツデザインを競い合うのである。約 100 人がテート・モダンのプライベートシネマ室に詰めかけ、ストライプ柄の小さな箱に入ったポップコーンを頬張りながら、約 1 万点の応募作品の中から選ばれた 5 人の受賞者の発表を聴いた。
私が感銘を受けたのは、最年少の受賞者となった韓国出身の 17 歳の学生、アン・ドウン( Ahn Do Eun )の作品である。彼女は黄色の斑点( ellow splotches )、ピンクの筋( pink streaks )、シミのようなペパロニレッド( pepperoni reds )などの色彩で描いた抽象的な作品を「食べたいピザ( The Pizza I Want to Eat )」と名付けた。ピザが食べたくなった瞬間の心情を視覚化したユニークさが特徴である。大人の参加者とは異なり、彼女はスーツを着ていた。髪を真ん中できっちり分けていた。彼女はステージに上がり、恥ずかしそうにスマホの表示を見ながら読み上げた。「ある日、私はお父さんに叱られた。とても悲しくて怒りを感じていたが、そんな時でさえピザを食べたいと考えていた。トッピングは私の感情を示している」。
その後、美術館のアトリウムでプロセッコ( prosecco:イタリア北部産のスパークリングワイン)を飲みながら DJ が流す楽曲を楽しんだ。アトリウムの中央には、ルイーズ・ブルジョワ( Louise Bourgeois )作の大きな鋼鉄製彫刻作品が鎮座していた。蜘蛛の形をしている。かの有名な「ママン( Maman )」である。その細く節くれだった脚の一本にじっと寄り添いながら、私は物静かで控えめな服装の男性と会話を始めた。彼はアメリカの政治家が国旗のラペルピンを付けているのと同様に、ユニクロのラペルピンを付けていた。それは柳井の息子の一人、柳井康治( Koji Yanai)だった。
私は彼にユニクロについての記事を書いていると伝えた。ユニクロという会社が誤解されていると思う点があるか尋ねてみた。「これまで、当社は自社のストーリーを伝えるのが必ずしも得意ではなかった」と彼は言った。「でも、他のアパレルブランドと同じようなことをするつもりはない。当社独自の伝え方を続けていこうと考えている」。私はユニクロの経営幹部の何人かから聞いたのだが、彼らは自社をアップル( Apple )に例えている。毎シーズン、iPhone 4 、iPhone 5 と少しずつアップデートしているところが同じだという。また、日々の暮らしの必需品を提供するスーパーマーケットに例えているのを聞いたこともあった。柳井康治は、さらに踏み込んだ比喩を好む。「私たちは衣料品のインフラになりたいのである。電気、ガス、水道、ユニクロと言われるようになりたい」と彼は言った。
長年、柳井正は 70 歳になったら CEO を退任すると公言していた。彼が 70 歳になる 2019 年の誕生日は、とりあえず何の変化も無く過ぎ去った。2023 年に、名目上は日常業務の指揮権を長年に渡って副社長を務めてきた人物に譲ったものの、あらゆる観点から見て、依然としてあらゆるレベルの意思決定に積極的に関与しているようである。ユニクロ社内では、彼を崇拝するカルト的な人物像が築かれている。彼は朝 7 時に出勤し、妻と過ごすために 4 時までに退社することで知られている。
2024 年秋のパリのファッションウィーク( Fashion Week )で、私は柳井に会った。ユニクロは、名高いヴァンドーム広場( Place Vendôme )のすぐそばに展示スペースを借り、創業 40 周年を記念した回顧展「ライフウェアの芸術と科学( The Art and Science of LifeWear )」を開催していた。展示の一角では、数々のテクノロジーに手で触れることができた。イミテーションのダウンが入った容器に手を突っ込むのは、意外に楽しい体験だった。同社のイベントはファッションに真摯に取り組む傾向がある。このイベントも例外ではなかった。最初に柳井によるスピーチがあったのだが、ヘッドセットを介して日本語からリアルタイムで通訳されていた。様々な図表を用いていた。「私たちは、歴史上最も大きな変化の時代を生きている。そのスピードはかつてないほど速い」と彼は主張した。続いて、ワイト・ケラーとロジャー・フェデラー( Roger Federer )が「人生をより良くするものは何か?( What Makes Life Better? )」というテーマで 45 分間にわたって対談した。 ワイト・ケラーは、インスピレーション( inspiration )、フェデラーは優しさ( kindness )と答えた。電解質膜( electrolyte membranes )と炭素繊維複合素材( carbon-fibre solutions )についての言及もあった。
その後、私は近くのユニクロのオフィスへ連れて行かれ、柳井と短時間だが話し合った。私は何人かの秘書担当者に丁寧に恭しく迎え入れられた。明るい部屋の中で、柳井はソファに座り、両脇にはフォーマルな服装をした通訳が座っていた。柳井はクルーカットでワイヤーフレームの眼鏡をかけていた。濃紺のスーツにポケットチーフ、ポルカドットのネクタイを締めていた。「最近はスーツを着ている人はあまり見ないね」と彼は笑いながら言った。「時代遅れだから。でも、今日は私がホストだから礼節を欠くようなことはしたくない」。
柳井は社外では、遊び好きでいたずら好きな預言者といった印象を与える。ユニクロの服が生活をより良くする具体的な例を挙げてもらえるかと私が尋ねると、彼はジャケットのポケットからラミネート加工したカードを取り出して次のように答えた。
ユニクロはスタイルの要素。 Uniqlo is the elements of style.
ユニクロは生活のための道具箱。 Uniqlo is a toolbox for living.
ユニクロはあなたの価値観に合った服。 Uniqlo is clothes that suit your values.
ユニクロは未来の装い。 Uniqlo is how the future dresses.
ユニクロは超実用性の中にある美しさ。 Uniqlo is beauty in hyperpracticality.
ユニクロは絶対的な服。 Uniqlo is clothing in the absolute.
私は、半分冗談でそのカードを貰いたいと言った。すると、驚いたことに、彼はそれをくれた。私は,
柳井が本当に大切にしていることを聞き出したような気がした。文字通り彼が胸にしまっていたことを持ち帰るわけである。そう感じながら私はそこを去った。
後で知ったのだが、2012 年のフォーブス( Forbes )誌の記事で、記者が柳井からラミネート加工されたカードを受け取る様子が描写されていた。決して私だけ特別扱いではなかったのである。柳井の歓待は非常に丁寧であったが、英国王室のマナーと似ているところもあると感じた。エリザベス女王( Queen Elizabeth II )はいつでも会話の際に即妙に「あらまあ( Quite )」と同じ返しをしていたと言われているが、柳井も誰に対しても小さなカードを渡すという同じ応対しているのである。ある意味、それはまさにユニクロ独自の哲学を実践したと言えなくもない。エレガントで、安価で、誰のためでもないと同時に皆のためでもある。♦
以上