本日翻訳し紹介するのは The New Yorker の Web 版に 4 月 14 日に投稿された Dexter Filkins によるコラムでタイトルは、” Israel’s Momentous Decision ”(イスラエルの重大な決定)となっています。
スニペットは、” After Iran’s dramatic but largely ineffective attack, Benjamin Netanyahu’s response will have tremendous consequences. “(イランの大規模ミサイル攻撃が効果を挙げなかったことで、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の対応は抑制的になる可能性がある)となっていました。
さて、このコラムは、4月14日(現地時間)にイランが多数のミサイルをイスラエルに撃ち込んだことを受けて記されたものです。既に伝えられているようにイランは事前にミサイル発射をイスラエルに通告していますし、ミサイルも一斉発射ではなく撃墜しやすいように五月雨式で発射していました。攻撃は仕掛けたが、イスラエルに被害が出ないように最大限配慮するという微妙なものでした。
イランは、直近で革命防衛隊のモハマド・レザ・ザヘディ( Mohammad Reza Zahedi )准将を暗殺されていたので報復しないことにはメンツがたたない状況でした。だから大量のミサイルを発射したのです。しかし、イスラエルの報復は怖いので被害が出ないような形での攻撃となった。イスラエルは建国以来やられたら数倍にしてやり返すという鉄則を忠実に守っていますから、イランも怖かったんでしょう。案外、ヘタレだったりします。
イランはジハードとか聖戦という言葉をよく口にしていますが、それなら死を恐れず総攻撃をしかけろよと思わなくもありません。案外、イランの指導者たちの宗教心は薄く、世俗的( secular )な人たちなのかもしれません。しかし、今回のイランの攻撃には大きな意義がありました。それは、イランが初めてイスラエル領土内にミサイルを撃ち込んだという既成事実を作ったということです。私は、イランは勇気があるなとか、無茶しおるなとか、恐れ知らずだなと感じました。しかし、パンドラの箱を開けてしまったのではないでしょうか。
被害がほぼ無かったとはいえ、領土内にミサイルを撃ち込まれたイスラエルは、決してイランを許さないでしょう。イスラエルは、イランの配慮に呼応したのか、直後のイランへの反撃ではかなり手加減をしました。とはいえ、イスラエルは何かの機会にイランを二度と立ち直れないほど叩きのめすでしょう。今回はバイデンに必死に宥められて従っただけで、いつか必ずやります。何故か?イスラエルは今までも攻撃を受けたら必ず 10 倍返しをしてきました。そうすることが最大の抑止力であるからです。それをしなければ、他国が容易に攻撃を仕掛けてくるようになり、あっという間にイスラエルという国は無くなってしまいます。知らない土地に突然やってきて、勝手に住んで国を作ってしまったので、周りの国々は隙があれば追い出したいと常に考えているからです。まあ、誰だって自分の土地を勝手に奪われたら、奪い返したいと思いますからね。
今回、イスラエルのネタニヤフ首相はバイデン大統領の説得に応じて大規模な反撃はしませんでした。ネタニヤフ首相は本当は大反撃をしたいのに、イライラしていることでしょう。私はネタニヤフには映画「仁義なき戦い」を見ろと言いたい。きっと役立つはずです。そもそもイスラエルは旅と盃したことが間違いなのです。つまり近隣との争いで有利に立とうとしてアメリカを引き入れたことが間違いなのです。そして、今こそネタニヤフはイランに「仁義なく戦い」の名セリフを吐くべき時なのです。「おどれも吐いた唾、飲まんとけよ」。今、私の頭の中では津島利章作曲の仁義なき戦いのテーマ曲が高らかに流れています。
では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をご覧ください。
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