4.アリゾナ州では大統領選当日に妊娠中絶に関する住民投票もある
フェニックス中心部にあるコバルト( Kobalt )というカラオケバーでは、NFL の試合がテレビで放映されていた。コマーシャルブレーク中に、民主党の CM が流れた。フェンタニル( fentanyl )が国境越しに流入するのを阻止すべきと訴えていた。その直後に共和党のほとんど同じ内容の CM が流れた。カラオケバーは日曜の午後にしては珍しく混雑していた。法案 139 号の支持を訴える運動を始める前に説明を聞くボランティアでいっぱいだった。法案 139 号は、妊娠 15 週目までの中絶の権利を州憲法に明記するものである。言い換えればロー対ウェイド事件( Roe v. Wade )を復活させるものである。
女性が人工中絶する権利獲得を目指す運動を推進するアリゾナ・フォー・アボーション・アクセス( Arizona for Abortion Access )の代表のクリス・ラブ( Chris Love )が、三つ編みを首から持ち上げ、タオルで額をなでた。投票が終わったらカンクン( Cancun:メキシコのリゾート地)に直行するつもりなのか、と私は尋ねた。「実はカボ・サン・ルーカス( Cabo San Lucas )に行くのよ」と彼女は言った。「この 2 年間、休暇をとっていないの。でも、行くのは 1 月なの」。投票結果が公認され、投票結果が正式なものになる頃である。「投票結果を混乱させようとする人たちがいる。結果が確実なものになるまではここを離れられない」。
ロー対ウェイド判決が覆されて以降、アリゾナ州における人工妊娠中絶の法的地位は流動的な状態が続いている。この混乱の多くは、ほぼすべてのケースで人工妊娠中絶を禁止した 1864 年の法律に起因するものである。今年初め、共和党が支配するアリゾナ州議会は何度も混乱し紛糾したものの 19 世紀に制定されたこの法律の廃止を議決し、15 週以降の人工妊娠中絶を事実上禁止した。法案 139 号が投票用紙に記されれば、民主党が有利になるという予測もあるが、ラブは彼女たちの活動は超党派による取り組みであり、その点を意図的に強調していると語った。「伝統的に共和党支持者は人工妊娠中絶を許容しない傾向が強いし、アリゾナは共和党支持者が少なくない。けれども、この法案に対する支持は強いと感じている」と彼女は言った。「これは保守的な価値観と結びついた問題である。政府が人工妊娠中絶するか否かを決めることを誰も望んでいないのです」。今年初めの世論調査によれば、アリゾナ州の有権者の約 3 分の 2 は、州憲法に中絶の権利を明記することを支持している。
アリゾナ・フォー・アボーション・アクセスは、資金が潤沢で強力なキャンペーン活動を展開している。活動資金報告書によると、7 月下旬の時点で 2,300 万ドル近くを集めている。対照的に、この提案に反対する PAC( Political Action Committee:政治活動委員会)は 100 万ドル弱の資金しか集めていない。日曜日の集会でラブは、この活動に加わっている 12 の団体を称賛した。Catholics for Choice、YWCA of Southern Arizona、Chicanos Por La Causa などである。
ルイジアナ州育ちの看護師メリッサ・ハーン( Melissa Hahn )は、活動の資料が詰まったトートバッグに水筒を入れ、履き慣れた靴を履いて、午後の戸別訪問に備えていた。「以前はガールスカウト活動に熱心だった」と彼女は語った。
今回の個別訪問は、主として無党派層をターゲットにしていた。バンガロー風邸宅が立ち並ぶ高級住宅街に、ハーンは白い SUV を走らせた。「先週、初めて戸別訪問をした。ロバート・ケネディ・ジュニアがどれだけ好きか、話し始めた人がいた」と彼女は言った。「私たちはそれを変えようとしている」。彼女は指定された住所を表示するアプリを立ち上げ、歩を進めた。最初の家は何十もの十字架で飾られていた。ハーンは緊張したやりとりを覚悟したが、家には誰もいなかった。きれいに手入れされた庭にハリス支持の看板を掲げた家があったが、彼女のリストに載っていないので通り過ぎた。もっと先のブロックでは、シャツを着ていない男が、寝起きまなこで胸をボリボリと搔きながらドアを開けた。ハーンは驚いた様子だったが、くじけることなく話を始めた。「ロー対ウェイド判決は決して覆されるべきではなかったと思う」とその男は主張した。ハーンの表情が明るくなった。男は、全国的に中絶が禁止されない限りは、心配はしていないと続けた。「問題はないと思う」と彼は呆れたように言った。ハーンはさらに彼と話そうと考えたようだが、思いとどまった。「ありがとう」と言って彼女は去った。
私と彼女は、車に戻ってエアコンの冷たい空気を浴びた。私はハーンが意気消沈していると予想した。1 時間も戸別訪問を続けたが、熱狂的な支持者と話したのは 1 人だけだったからである。しかし、彼女に落ち込んだ気配は見えなかった。大統領選の激戦州で多くの有権者と話すといろんなタイプの者に出くわすが、そうしたことに慣れているようだった。1 年前に彼女は法案 139 号を投票用紙に載せるための署名集めに参加したのだという。最初に活動したのはアリゾナ・ステート・フェア( Arizona State Fair )だった。「まさに試練の場だった」と彼女は言った。彼女がいたグループが使っていたブースの後ろにはロザリオを売る店があり、その両脇はベビー服を売る店と愛国者をテーマにした T シャツを売る店だった。落胆したところもあったのだが、フェアが終わるころには、彼女や他の運動員たちは愛国者 T シャツの販売者を説得し、自分たちの嘆願書に署名させることができた。「 T シャツ売りの男が言ったのは、自分に銃を持つ権利があるのと同様に、女性には自分の身体でやりたいことをする権利があるということだった」とハーンは言った。「これがアリゾナである」。♦
以上