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南北戦争が終結した頃、ロバート・ウッド・ジョンソン(Robert Wood Johnson)はマンハッタンのドラッグストアで店員をしていました。顧客の症状に合わせてものを売りつける手腕に長けていました。ジョンソンは、薬剤師として成功していたジョージ・シーブリー(George Seabury)とともに事業を始めました。英国の無菌手術のパイオニアであるジョセフ・リスター(Joseph Lister)の名を冠した無菌の縫合用糸とガーゼを販売しました。その後、ジョンソンはシーベリーと袂を分かち、兄弟2人とともにジョンソン・エンド・ジョンソンを設立しました。同社の製品には、クララ・バートン(Clara Barton)が立ち上げた人道支援組織である赤十字社が使っていた赤い十字を型どった標章が貼り付けられていました。米下院が赤十字社以外がその標章を使用することを禁止しようとしたのですが、できませんでした。(最終的に、ジョンソン・エンド・ジョンソンは赤十字社を商標侵害で訴えるまでに至りました。)
ジョンソン・エンド・ジョンソンは、自社の先進的なイメージをさらに向上させるために、自社製品をアピールすることも兼ねた医療用パンフレットを何百万部も配布しました。1902年に配られた「出産における衛生管理(Hygiene in Maternity)」というタイトルの付いたパンフレットには、自宅で出産する際に必要となるものがセットになったキットが掲載されていました。キットの中には、衛生石鹸、腹帯、へその緒を保護するテープ、滅菌バッグが入っていました。また、当時開発されたばかりの製品であったベビーパウダーも入っていました。それは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの初代製品開発部長のフレデリック・バーネット・キルマー(Frederick Barnett Kilmer)が考案したものでした。キルマーは、粘着包帯やおむつかぶれによる炎症を鎮めるためにタルクが有用であることに気づいたのです。キルマーが開発したパウダーは、活発な乳児が蹴っても倒れないような四角い缶容器に入れて販売されました。ロバート・ウッド・ジョンソンの孫娘の写真がその缶容器に印刷されたこともありました。
ベビーパウダーが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの年間売上高に占める割合はわずかです。しかし、その製品は世界中の家庭で使用され、同社が家族に優しいブランドという名声を築く礎となりました。ある調査会社が調べたのですが、1930年から1990年の間にアメリカで生まれた子供の約半数にベビーパウダーが使用されたそうです。1998年の同社のマーケティング資料では、ベビーパウダーは同社の最も重要な資産(#1 asset)であると記されていました。また、同社のブランドが消費者からの信頼を得るために不可欠なものであると説明されていました。ベビーパウダーに対する需要は旺盛で、同社は供給量を確保するためにタルク鉱山を買収したほどでした。また、その鉱山で産出されたタルクの一部は屋根材や塗料用に販売されることもありました。その鉱山はバーモント州にあるのですが、そこのタルク鉱石の多くはアスベストを含んでいると推測されています。(バーモント州の多くの地質学者が、当時採掘されたタルク鉱石にはアスベストが多く含まれていたと指摘しています。)
微量でも危険とされるアスベストは、世界中に存在しています。建材やブレーキパッドなどに使われていましたし、河川の水の中や土壌にも存在していることがあります。タルカムパウダーの中にアスベストが入っているとしても、繊維は微細で、タルクと非常に似ているため、検出はほぼ不可能です。ジョンソン・エンド・ジョンソンは1940年代以降、製品の製造過程の監視に努めており、その一環で自社のタルク鉱山や他の供給業者から購入したタルクを定期的に検査してきました。その結果、ほとんどの検査でアスベストは検出されませんでした。しかし、同社の内部資料によると、数十回の検査において、同社のタルクからアスベストが検出されていたようです。透閃石(トレモライト)、白石綿(クリソタイル)、緑閃石(アクチノライト)といった鉱物が検出されていたのです。
ジョンソン・エンド・ジョンソンから、その件に関して当誌(New Yorker)に回答がありましたが、同社の社内検査で過去に使用していたタルク鉱石でアスベストが検出されたことは1度も無いということでした。しかし、同社の研究員たちは、アスベストとタルクに関連する疾病を懸念していました。その中の1人であるT・M・トンプソン博士(Dr. T. M. Thompson)は、1969年に上層部に宛てたメモの中で、「多くの小児科医が当社のタルクを大量に吸い込んだ赤ちゃんや母親の肺に悪影響が出る可能性について懸念を表明している」と指摘していました。彼は同僚たちにも懸念を伝えていました。肺線維症やその他の疾病が同社のタルクを使った製品の吸入に起因するという訴訟が頻発する可能性があると認識していたからです。彼は、万が一、そのような事態になった場合、自分たちの立場はどうなるか心配していました。その際には、社内の法務部門の誰かに相談するしかないと思っていました。
同社の研究員が懸念したのは肺疾患だけではありませんでした。1971年、ウェールズの研究チームが生殖器系癌患者を調査したところ、子宮頸部と卵巣の病変のほとんどにタルクが含まれていることが判明しました。この研究は、医学誌「Journal of Obstetrics and Gynaecology」に掲載されました。タルクと卵巣癌の関係を示唆した最初の論文でした。ジョンソン・エンド・ジョンソンの幹部は、すぐに同社の研究員数名をカーディフに行かせました。そして、その論文を書いた研究チームのメンバーと面会させました。その時のやり取りの詳細が残っているのですが、ウェールズの研究チームは、タルクが肺に吸い込まれた後、血流に乗って生殖器に入り込んだ、あるいは膣から生殖器に入り込んだのではないかと推測していました。ジョンソン・エンド・ジョンソンは、この研究チームが調べた病変のサンプルを入手して、さらにテストを行いました。同社が研究員を雇って調べたところ、病変のサンプルにはタルクが含まれていることが確認されました。また、サンプルの中のいくつかにはアスベストが含まれていることが分かりました。なお、ジョンソン・エンド・ジョンソンは、その時の病変のサンプルは汚染されていた可能性があると主張しています。
当時、ジョンソン・エンド・ジョンソンは、タルクに関する他の研究も行っていました。1967年、同社はフィラデルフィアのホームズバーグ刑務所で、囚人を対象にしていくつもの実験を行っていました。ほとんどが黒人でした。同社の社内文書に詳細が記されていました。被験者たちは化学熱傷剤を塗られて水疱ができ、その傷口に1日3回タルクがまぶされていました。その4年後には、タルクと2種類のアスベストを注射して、炎症がどのように進むのかを測定するという実験も行われていました。アレン・ホーンブラム(Allen Hornblum)が1998年に出版した著書「Acres of Skin」に書いているのですが、ジョンソン・エンド・ジョンソンが囚人に対して行った実験は、他にもたくさんあったようです。 さまざまな実験が行われていました。囚人で実験台になる者に傷1つにつき5ドルを支払って、同社の傷薬を塗ってもらい、その吸収性と粘着性をテストしました。また、囚人に3ドルを支払って、24時間にわたって定期的にシャンプーを目に落とし続けました。その実験の結果が、同社を代表するベビーシャンプーであるノーモアティアーズ(No More Tears)を完成させるのに役立ちました。
やがて、タルクが風評被害をもたらすのではないかと心配する者が同社内にも出てきました。バーグが訴訟を起こす前年の2008年には、同社のクリエイティブディレクターであったトッド・トゥルー(Todd True)が”Best for baby”という表題の付けられたメールを複数の同僚に送りました。そのメールの文面には、「現在使われている成分を維持することで、同社のブランドが傷付く可能性、赤ちゃんに最適であるという製品イメージに悪影響が出る可能性についての調査は十分に行われたのでしょうか?他のブランドのように、タルクの代わりにコーンスターチを使用することを検討したことがありますか?コスト以外に、ベビー用製品にタルクを使い続けることにどんな価値があるのでしょうか?」と記されていました。 その3日後、彼は再びメールを送信しました。そのメールで、ベビー用製品に使われているタルクは他の成分に置き換えるべきであると提案していました。また、そうすることで、問題は簡単に解決するだろうと記していました。
しかし、ジョンソン・エンド・ジョンソンはベビーパウダーの主成分を直ぐには変えませんでした。その代わりマーケティング戦略を変えました。1960年代に多くの小児科医がタルカムパウダーによる赤ちゃんの窒息の危険性を心配し始めたことがありました。また、アスベストが少量でも発癌性があることがさまざまな研究で明らかになりつつありました。そうした状況を受けて、ジョンソン・エンド・ジョンソンは大人向けに積極的にタルクを使ったパウダーを売り込み始めました。ある広告では、ミネソタ・ツインズのハーモン・キルブリュー(後に殿堂入りした)を起用しました。キルブリューは、「ママから教わったよ。本当に乾かすにはタオルで拭くだけではダメだってね。」というセリフを口にしていました。また、消臭効果のあるボディ・パウダー(製品名Shower to Shower)を市場に投入しました。後にそのパウダーをピンクのボトルに入れて女性向けに売り出しました。「洗い流すまで爽やかさが持続する」ことをアピールしていました。2007年に国際がん研究機関(International Agency for Research on Cancer)がタルクパウダーについて警告を発したことを受けて、ジョンソン・エンド・ジョンソンは、マーケティングの方針を大きく変更しました。太り過ぎている人、アフリカ系アメリカ人をメインターゲットに据えるようになったのです。その後、アフリカ系アメリカ人だけでなく、ヒスパニック系の需要を取り込むべく非白人向けの販促を強化しました。アフリカ系やヒスパニック系の人たちが多く住む地域にある教会、美容室、理髪店等でサンプルを大量にばら撒きました。2010年には、アメリカ南部に住む18歳〜49歳の痩せていないアフリカ系アメリカ人をメインターゲットとして、ボディ・パウダーを売りまくりました。体臭を抑えることはもちろんですが、暑い気候でもさらさら感が持続し股や脇が擦れないことをアピールしました。ジョンソン・エンド・ジョンソンは、アメリカとカナダではタルクを含むパウダーの販売を2020年に止めました。しかし、それ以降も中国やインドネシアやパキスタンやインドでは販売を続けています。それらの国では、アメリカのブランドを使うことが大人の女性や10代の女の子にとってステータスシンボルとなっていましたので、よく売れます。今からほんの数週間前にジョンソン・エンド・ジョンソンはタルクを使った製品の製造販売から完全に撤退することを発表しました。しかし、それはすぐにではありません。販売店の棚から製品を引き上げるわけではありません。来年まで、タルクを使ったパウダー類は海外向けに出荷されます。それで、売り切れるまで販売され続けるのです。