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ジョンソン・エンド・ジョンソンは、裁判でいつも負けていたわけではありません。それどころか、タルクに関連して訴えられた裁判のほとんどで、最終的には勝訴していました。しかし、稀に負ける時には、大きな敗北を喫しがちでした。2016年、ミズーリ州での陪審員裁判では、卵巣癌で死亡した女性の遺族に7,200万ドル、同病相で生存している2人の女性にはそれぞれ5,500万ドルと7,000万ドルを支払うよう命じられました。2020年には1,000件以上の訴訟を起こされ、総額1億ドル前後で和解しました。それ以外の訴訟案件では、22人の女性に総額40億ドル以上の賠償金を支払うよう命じられました。控訴審で、賠償金の一部が減額されたり、判決が覆されたりすることもありました。昨年、同社が証券取引委員会(Securities and Exchange Commission)に提出した資料を見ると、主にタルク関連の訴訟のために39億ドルを積み立てていることが分かります。
その頃までには、タルク訴訟の大部分はいわゆる広域係属訴訟(製造物責任訴訟などの複雑な訴訟の処理プロセスをスピードアップするために設計された特別な連邦法手続き)という形で争われることがほとんどになりました。広域係属訴訟では、数千人の原告と数百人の弁護士が関与します。そのほとんどは、医薬品による薬害や製品不良による被害・損害や消費者データの漏洩に関するもので、大企業を相手取って損害賠償を求めるものです。理論的には、広域係属訴訟は、他の集団訴訟よりも経済的、効率的であり、より公平であるとされています。複数の訴えを特定地区の単一の連邦地方裁判所に移送して、正式な審理 (trial)前に証拠開示(deposition)などを行うプレ・トライアル(pretrial)を併合する手続をすることで、訴訟を合理化し、連邦裁判所を混雑から解放し、双方の時間と費用を節約することができるのです。また、単独の訴訟よりも一貫した判決を下すことができるため、一部の原告が巨額の賠償金を得る一方で、ディーン・バーグのように一銭も得られないという宝くじのような結果を避けることができます。
しかし、実際には、広域係属訴訟に関与している者のほとんど全員が、それを嫌っています。ほとんどの被告は、原告の審査が甘いことに不満を漏らします。一説によると、原告の内の30〜40%は不適格、あるいは不正であることが後に判明すると言われています。タルク関連の訴訟の原告団は卵巣癌の女性を大々的に募集していましたが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの推定によれば、原告団に加わる女性を募集するために、毎月総額で450万ドルもの広告費を費やされていました。一方、原告側にも不満があって、まとめて審理されるので個々人の事情は全く反映されないという点と和解金・賠償金の40%以上も弁護士費用を取られる点への不満が大きいようです。弁護士費用は非常に高額で、費用の中では弁護士報酬が高く、豪勢な食事、出張費用(時にはプライベートジェット費用も発生)を含んでいます。そして、原告と被告のいずれもが、広域係属訴訟の判決が出る遅さについて不満を抱いています。広域係属訴訟では結審までに何年もかかることがあります。その間、原告側にも被告側にも巨額の費用が発生してしまいます。いずれの側も報道担当や分析担当などを雇いますし、法曹関係者や専門家やアナリストなども抱えています。一致団結して勝訴することを目指すわけです。時には大々的に「世界平和」という壮大な御旗を掲げて戦いに邁進しているような例も見受けられます。
2016年10月4日に、ジョンソン・エンド・ジョンソンに対する広域係属訴訟が同社をはじめとする多くの製薬企業が本社を置くニュージャージー州で行われることが決まりました。最終的に3万8,000人以上の卵巣癌患者がこの訴訟に加わりました。フレダ・ウォルフソン判事(Freda Wolfson)が割り当てられました。彼女は十分な時間をかけて事前審議を行いました。膨大な原告の中から、慎重にサンプルとすべき原告を選び出しました。サンプルは少数精鋭にすべきで、ある程度数は絞り込まれました。そうすることで、当事者間で和解金を詰める際にも話が早く進みますし、それによって結審までの時間が短縮できました。
コーネル大学のロースクールで集団訴訟に詳しいアレクサンドラ・ラハヴ(Alexandra Lahav)の指摘によると、2000年以降に医薬品に関して製造物責任を問う広域係属訴訟は100件以上起こされているのですが、その中で男性のみが被害を受けた案件はたったの4件だけでした。ジョンソン・エンド・ジョンソンの案件を含め、ヤーズ(Yaz:バイエル薬品が開発した低用量ピル)などの避妊薬や経膣メッシュ(transvaginal mesh:女性患者の骨盤臓器脱や腹圧性尿失禁を治療するために使用されるネットのような手術器具)などの医療機器など、22件が女性のみが対象の案件でした。また、女性のみが原告である裁判では、男性の裁判に比べて1件当たりの原告数が圧倒的に多くなっていました。ラハヴが推測しているのですが、このような差があるのは、男性よりも女性の方が規制当局の規制は緩すぎて十分ではないという認識をもっていることが多いという事実が反映しているようです。ラハヴは私に言いました、「女性、特に女性の生殖器に関する健康被害は過去に何度も起きていて、医薬品や医療機器等の製品が十分にテストされていないこと、副作用が無いか十分にチェックされていないこと、より多くの有害事象があると推測されることが歴史的に何度も証明されています。どうも製薬企業等には、十分に製品のテストを実施しないまま市場に投入し、女性の身体でリアルタイムで製品テストを行っても問題無いという認識があるようです。」と。万が一、その製品テストで問題が発生すれば、企業には賠償費用などが発生します。しかし、それほどの額にはならないようです。ラハヴによれば、女性が原告となるケースでは、1人当たりの賠償額は男性よりも少なくなりがちだそうです。それは、原告側と被告側の双方の弁護士たちも認めています。