ケタミン・セラピーって知ってる?アメリカで大流行のうつ病治療法!本当に抗うつ剤よりも効果があるのか?

Annals of Inquiry

Ketamine Therapy Is Going Mainstream. Are We Ready?
ケタミン・セラピーがうつ病治療の主流になりつつある。本当に効果ある?

The mind-altering drug has been shown to help people suffering from anxiety and depression. But how it helps, who it will serve, and who will profit are open questions.
ケタミンは、不安神経症やうつ病に苦しむ人たちに効くようです。しかし、その薬理作用は明確には分かっていません。

By Emily Witt   December 29, 2021

1.アメリカではうつ病治療でケタミン・セラピーが一般的になりつつある

 1972年の秋、サルバドール・ロケという精神科医が、進行中の実験について講演するために、メキシコシティの自宅から、アメリカ政府から大々的に資金援助を受けていたメリーランド精神医学研究センターに赴きました。ロケは数年前から継続的にグループセラピーを行っていました。そのグループセラピーでは、8〜9時間かけて、シロシビンキノコ、アサガオの種、ペヨーテサボテンシロバナチョウセンアサガオという薬草などが小グループの患者に投与されていました。さらに、暴力的な映画やエロチックな映画の光や音や映像などを小グループの患者たちに与えていました。彼はそれを「感覚過負荷ショー」と呼んでいました。「感覚過負荷ショー」は、患者に究極的な体験をさせることで、精神的心理的に再生がもたらされることを目的としていました。ロケの報告を聴いた者の内の1人の米国人心理学者は、非常におぞましい実験であると言及していました。ロケは、最終的にはキノコ等を投与した患者たちをスムーズに精神的に安穏な状態にすることを目的に、一般的に医療機関で麻酔薬として使われている塩酸ケタミンを投与しました。そして、彼は、キノコ等の効き目が薄れていく中でも、ケタミンが投与されると、患者たちの不安が緩和されることを発見しました。

 メリーランド州精神医学研究センターに集まった臨床医たちは、1950年代初めから、スプリング・グローブ医療センター等で、LSDをはじめとする幻覚剤の研究を行っていました。しかし、ケタミンについての知識はありませんでした。というのは、それは1962年に製薬会社パーク・デイヴィスでコンサルタントをしていたカルビン・スティーブンスという研究者によって初めて合成されたものだったからです。スティーブンスは、フェンシクリジン(略してPCP、静脈注射で作用を発揮する解離性麻酔薬)の代わりとなるような揮発性の低い薬の開発を目指していたのです。その2年後の1964年には、エドワード・ドミノという医師が、ケタミンを人体に初めて試験的に投与しました。ミシガン州のジャクソン州立刑務所の囚人たちを被験者として、ケタミンの人体実験が行われたのです。その実験でドミノが気付いたのは、ケタミンを大量に投与すると被験者は気絶してしまうが、正気の被験者に低用量を投与した場合には、奇妙な精神活性効果がもたらされるということでした。パーク・デイヴィスはその薬(ケタミン)が幻覚剤として扱われることは避けたいと思いました。そこで、ドミノの妻が「解離性麻酔薬」という言葉を考案しました。その語は、意識を保ったまま精神と肉体を分離させるような作用があるというケタミンの特徴を非常に分かりやすく示しています。1970年にFDA(米国食品医薬品局)がケタミンを麻酔薬として承認したことを受け、製薬会社パーク・デイヴィスはそれを「ケタラール」という商品名で販売開始しました。それは、ベトナム戦争の際に米軍で広く使われました。現在でも世界中の救急病院で標準的な麻酔薬として使われています。

 ロケは、ケタミンには他の用途があることに気付きました。メリーランド州での講演を終えた後、彼は講演を聴いていた臨床医たちに試しにケタミンを摂取してもらいました。その内の1人であった精神科医スタニスラフ・グロフは、「私は50年にわたって意識の研究をしてきましたが、ケタミンほど奇妙な精神活性効果を持つ物質は無かった。」と回想しています。そのことは、精神科医フィル・ウォルフソンと科学誌編集者グレン・ハーテリウスによる共著「ケタミン論文」の中に記されています。その後、グロフは試しに自分自身でケタミンの投与をしてみました。彼は不思議な感覚を味わったようです。訳の分からない感覚ですが、海を見下ろす位置にある手すりに掛けられた濡れタオルや、地球の空洞を満たす石油や、ダイヤモンドのプリズムの中に自分がいると感じたそうです。グロフは記していました、「ある時、ケタミンを摂取して私は蛙に変身するオタマジャクシになった気分になったことがありました。また、別の日に摂取した際には、巨大な雄のゴリラになって縄張り争いをしているように感じられることがありました。」と。

 グロフらがケタミンを試しに摂取していた頃、幻覚剤の研究をすることは法的には違法とみなされつつありました。1968年、米国政府はLSDの所持を違法としました。その3年後、リチャード・ニクソンは「麻薬戦争」を宣言しました。薬物乱用は、「公の敵のナンバーワン」であると宣言しました。1974年には、ロケはメキシコで数ヶ月間収監され、ケタミン等に関する講演の回数を減らしました(ロケは1995年に亡くなりました)。また、メリーランド精神医学研究センターでは、1970年代半ば頃には、さまざまな経緯があって、幻覚剤の研究は為されなくなりました。

 しかし、医療用に使われるケタミンは合法であったので、反体制的な精神科医たちはケタミンの研究と実験を続けていました。1980年代にケタミン愛好者で最も有名だったのは、医師で脳科学者のジョン・C・リリーでした。彼は、人間とイルカのコミュニケーションを研究したことでも有名です。また、アイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)を開発したことでも有名です。リリーは後にケタミン中毒になりました。カリフォルニア州北部の僻地にあるエサレン研究所でリリーと会ったことがある脳科学者から聞いた話では、リリーが1日に何度もケタミンを注射をしていたのは明らかで、ほとんどの時間をフォルクスワーゲンのミニバスの中で過ごしていたそうです。リリーは、1960代前半に地球外生命体からの指示が有ったのでケタミンを摂取するのを止めたと言っていました。しかし、その後、再びケタミン摂取を再開してしまったようです。彼は2001年に86歳で亡くなったことが明らかになっています。近頃では、ケタミンはダンスフロアなどで人気の薬物となっています。パーティーなどで参加者が、しばしば控えめに低用量のケタミンを吸引することがあります。高揚感を得て他者と楽しく交流することが目的です。摂取すると、知覚が歪められたような感じになります。経験者に聞くと、風景が輪切りの状態に見えたり、視野内の物質を上下左右前後の6面から同時に見ることができるように感じたりするようです。とはいえ、有頂天な気分や多幸感ももたらされるようです。クラブに通う者たちは、ケタミンを高用量で摂取すると、幻覚や偏執性妄想が起こり世界から離脱した感覚が強まることを認識しています。ケタミンの使用者はそうした体験をスラングで「Kホール」と呼んでいます。それは、恐ろしいことで避けるべきことだと認識されています。ケタミンは1990年代には自由気ままな人たちの間で特に流行しました。その1990年代の終わり頃に、米国政府はケタミンを規制物質法上のスケジュールIII物質に分類しました。それによって、ステロイド剤やコデイン入りタイレノールと同レベルの厳格な管理が必要となりました。

 一方、エール大学で臨床医たちが統合失調症の症状を研究する際にケタミンを使用していたのですが、ケタミンには人の気分を改善する効果があることに気付きました。それから、沢山の研究機関がケタミンがうつ病の治療薬として有効か否かを研究し始めました。2006年に、米国国立精神衛生研究所は、ケタミンの静脈内への単回投与は迅速な抗うつ効果を発揮すると結論付けました。その後、約300件の臨床試験が行われました。現在では、広く知られていることですが、ケタミンには数日から数週間に渡ってうつ病の症状を緩和する効果があります。その間は、トークセラピー(会話療法)が効果的であることが多いと言われています。ケタミンは、俗に言う「ダーティドラッグ」に該当します。それは、抗うつ剤としての薬理作用があるのですが、付随して雑多な薬理作用も持ってしまっているという意味です。ケタミンのうつ病に対する薬理作用についてはいくつかの説があり、今でも定かにはなっていません。おそらく、脳内の特定の受容体と神経伝達物質のグルタミン酸に対して作用しているのだろうと推測されています(ケタミンは、新しいニューロンが生成される際にタンパク質のレベルを調節する役目を果たしているという説もあるようです)。2010年には、うつ病等で希死念慮(具体的な理由はないが漠然と死を願う状態)の強い者へのケタミンの適応外処方が推奨されたことにより、米国中にケタミン・クリニック(ケタミンをうつ病患者に投与するクリニック)が開設され始めました。最近では、ケタミンに関する研究や議論では、うつ病に対して有効であるか否かという点には、ほとんど焦点は当たっていません。ケタミンに関する議論の中心は、どのように作用しているのか、どの投与方法が最も効果的かということです。また、多くの製薬企業や医療関係者は、1980年代に特許が切れた物質から最大限に利益を得るためにはどうするのが最善であるかということを議論しています。

 そうして雨後の筍のように出来たケタミン・クリニックの一つ、ニューヨーク・ケタミン・インフュージョンズは、ハーバード大学で麻酔科医として勤務していた経験のあるグレン・ブルックスが2012年に開業しました。ブルックスは、ときどき白衣を着て、キャンディーの瓶が置かれている机のある診療室で診療しています。彼は、30年以上医師をしていたのですが、親戚の薬物問題をきっかけに、薬物依存症の治療に関わるようになりました。しかし、その数ヵ月後には、彼は人々が薬物摂取に走るような幼少期のトラウマに対処する際には、精神科医は全く無力であることに気付きました。そんな時、ケタミンに関する初期の研究でうつ病の治療薬として有効であるという論文を目にしました。それで、うつ病を治療することが可能であるという希望を持つと同時に、潜在的なビジネスチャンスがあると思いました。

 ブルックスは、ケタミンを麻酔薬として使われる時よりも少ない低用量で静脈に投与していました。ごく一部の患者に解離性障害が見られました。今年の春の雨の降る日曜日に私はブルックスのクリニックを訪ねたのですが、その時に彼は、「診療室では特に治療らしきことは行っていない。」と言っていました。しかし、薄暗い部屋の中では、何人かの患者が点滴に繋がれてケタミンを投与されている状態でカウンセリングを受けていました。「ケタミンを投与することで、シナプスを新生させ、樹状突起スパインを成長させているのです。」と彼は言いました。ブルックスは、ケタミンの精神活性効果から気をそらすために、友人を連れてくるか、ポッドキャストを聴くよう患者に推奨していました。彼は、患者にカウンセリングしていましたが、それ自体には大した意味は無いと言っていました。

 ケタミン・クリニックがたくさん出来た頃には、そのような治療は典型的なものでした。単にケタミンだけを投与する形の治療が広く行われていたのです。しかし、1970年代のドラッグ中毒者が沢山生み出されていた時代には、ケタミンはどちらかと言えば悪いイメージを持たれていました。それが、全く対照的と言えるのですが、一転して治療薬として良いイメージを持たれるようになったのです。そうした状況を受けて、幻覚剤を製造開発するスタートアップ企業が続々と生まれました。2018年にマイケル・ポーランによるベストセラー”How to Change Your Mind”(邦題:幻覚剤は役に立つのか)が出版されたのを皮切りに、精神疾患治療では幻覚剤を使う治療法が主流になったのです。それで、Compass Pathwaysコンパス・パスウェイズ社:英国のメンタルヘルスケア会社)やMindMed(マインドメド社:米国の幻覚剤を製造しているバイオテクノロジー企業)などの上場企業が、幻覚剤治療に関して様々な特許を取得し始めました。昨年の秋のことですが、精神疾患の治療用の幻覚剤の開発力の高い米国のバイオテクノロジー企業のatai Life Sciencesアタイ・ライフ・サイエンス社)は1億2,500万ドルもの資金を数人の投資家から調達しました。ピーター・ティール(米国の起業家、投資家でPayPalの創業者)も投資していました。今年の6月に同社は上場し、株式時価総額は30億ドル以上に達しました。

 ここ数年、私は自分の周りで多くの人が抗うつ剤の摂取を止め、LSDや幻覚キノコを低用量摂取し始めるのを見てきました。幻覚剤の効用を大げさに伝えるニュース報道も度々目にしました。しかし、効用があることを証明するようなデータは一度も目にしたことがありません。それは、ポーランの著書にも無いのです。抗うつ剤の摂取を止めた人の多くは製薬業界に懐疑的で、人生にもっと楽しみを見い出そうと必死だったのでしょう。それで、藁をも掴む思いで低用量の幻覚剤を摂取しようと考えたのでしょう。そうした人たちは、ほとんがどが中産階級に属しているようです。おそらく、中産階級に属する人に特有の上昇志向が、現状の方法を打ち捨てて新たな方法に賭けるという行動に繋がっているのでしょう。ところで、私は何人もの医師と話をしました。さまざまな報道によって、パンデミック禍で抗うつ剤としてケタミンを摂取した者が相当増えたことが明らかになっています。しかし、残念ながら、ケタミンを吸引に抗うつ作用があるということを示す臨床データは何も無いというのが大方の意見でした。

 また、ケタミンは、LSDや幻覚キノコ等とは異なり、全米で医薬品として承認されています。ですので、ケタミンは米国の医療機関が幻覚剤で収益を上げるための唯一の手段となっています。2019年に、FDA(米国食品医薬品局)はジョンソン・エンド・ジョンソン社の”Spravato”(スプラバト)を承認しました。スプラバトは、ケタミンの鏡像異性体から出来ています。ケタミンほどの効果は期待できませんが、ジョンソン・エンド・ジョンソン社に大きな収益を生み出す可能性が高いと推測されます。現在、うつ病患者で、極端な躁状態や重度の精神病症状がない場合には、手元に数百ドルの資金さえあれば、スプラバトによる治療を様々な形で受けることが可能です。大きな病院で麻酔専門医に静脈に点滴してもらうこともできますし、個人経営の精神科クリニックで腕に注射してもらうこともできます。また、パンデミック対応で遠隔処方の規制が緩和されていますから、口腔トローチ剤をスタートアップ企業から郵送してもらうこともできます。ちょっとした都市まで行けば、スプラバトを処方してくれる精神科クリニックは直ぐに見つけられるはずです。Facebookで探したらいくつもヒットするでしょう。少しお金はかかるかもしれませんがが、精神科医の指導を受けて、うつ状態を脱するために合法的に幻覚剤を貰うために、少し遠出をするのも良いかもしれません。