2.筆者35歳の映画監督がケタミン・セラピーを体験 うつ病が改善した
2020年8月に開設されたField Trip Health(以下、フィールド・トリップ・ヘルス)のニューヨークオフィスは、マンハッタンのキップスベイ地区に位置しています。ニューヨーク市立大学バルーク校に隣接するビルの11階全体を占めています。大きな窓と4方にテラスが張り出ています。くつろげる空間となるよう白いラグ、カシワバゴムノキ、ガラス張りのランタンの形をした電灯などが置かれていてます。そのような装飾をしているのには理由があります。かつてタブーとされていた幻覚剤セラピーを主流にしようとする企業にとって、ウェストエルム(二ューヨーク・ブルックリンで誕生したインテリアストアで、シンプルでモダンなインテリアは、おしゃれで、センス抜群)のインテリアで装飾して気持ち良い空間を作ることは、セラピーでは重要なことなのです。
2020年の春に私がそこを訪問した際、フィールド・トリップ・ヘルスのヘルスケア事業担当副社長のマット・エマーが対応してくれました。彼は、オフィス内を案内してくれましたが、その時着ていたシャツは花柄のボタンダウンでした。ハイテク企業の従業員のようなビジネスカジュアルスタイルでした。フィールド・トリップ・ヘルスは、2019年4月にカナダの起業家5人によって設立された会社でした。5人の内の4人は以前、大麻を使った生薬療法を施すクリニックを多数運営する医療法人を運営していました。同社は現在、カナダと米国で10カ所のケタミン・セラピーを施すクリニックを運営しており、近い将来、さらに数カ所増やす予定です。また、つい最近のことですが、同社はオランダのアムステルダムにマジックマッシュルームを使ったセラピーを行うクリニックを開設しました。同社には研究開発を担うフィールド・トリップ・ディスカバリーという子会社もあります。そこは、シロシビン・マッシュルームの栽培と幻覚を催す医薬品の開発に主に取り組んでいます。そうした研究を、薬事関連の規制が比較的緩いジャマイカのモナにある西インド諸島大学の研究所で行っています。先日、フィールド・トリップ・ヘルスはFT-104と呼ばれる分子の特許を申請しました。前臨床実験によれば、FT-104はシロシビンと同様にセロトニン受容体を標的として作用しますが、効果はシロシビンよりもずっと短い期間しか持続しません。2時間だけトリップできるドラッグは、5〜6時間もトリップできるドラッグよりも、クリニック運営ビジネスの利益に大きく貢献する可能性があるでしょう。
エマーは、川のせせらぎ音(機械による合成)が流れる廊下を歩きながら、自然が感じられるような雰囲気の構築に務めたと言っていました。こうしたクリニックではそうすることが標準となっているそうです。受付付近では、先述のマイケル・ポーランによるベストセラー”How to Change Your Mind”(邦題:幻覚剤は役に立つのか)が売られていました。その横には、幻覚剤の研究の先駆者で、思想家、ベストセラー作家のラム・ダスの著書”Be Here Now”(邦題:ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく)も売られていました。しかし、カウンターカルチャーが感じられるようなものは他にはほとんどありませんでした。エマーは私を窓のない部屋に連れて行きました。片側の壁にはクモザルの壁画があり、クモザルがヤシの葉の間から顔を出しています。一角に大きな白い革張りのくつろぐのに最適な椅子がありました。私はそれに座って、エマーの指示に従い、リモコンのボタンを押しました。すると、椅子は心地よい音を立ててゆっくりと後ろに傾きました。私は意識が飛びそうなくらいうっとりとしました。エマーは私に言いました、「宇宙へ行かなくても、無重力に近い感覚を味わえるのです。」と。その部屋は沢山ある治療室の1つだったのです。
セラピストが普段座っている場所に座って、エマーはセラピーのプロセスを説明してくれました。患者は治療室に入ると、トリップする前にリラックスする手段を選択させられます。その次に、瞑想に導いてもらうか、軽いセラピーを受けるかのいずれかを選択することになります。それから、ケタミンが1〜2回筋肉注射で投与されます。すると気分は急激に変化します。患者は、雑音をシャットアウトするヘッドフォンと心地よい加重毛布とアイマスクを装着し、自身の内側に意識を向けながら、心地よい音楽を聴かされます(流される曲はクラシックなどが中心ですが、意図的に不明瞭に聴こえるようになっていて、脳の連想機能を刺激しないようになっています)。
私はリモコンの別のボタンを押しました。エマーは私の椅子がゆっくりと元の立った状態に戻るのを待っていました。彼の説明によれば、ケタミンを投与されたると、次に患者はトークセラピーの受けることになります。1回の治療時間は2〜3時間です。ラウンジにはマンダラの塗り絵や水彩絵の具が置いてあり、帰宅するまでくつろぐことができます。ほとんどのケタミン・クリニックとやっていることは同じで、フィールド・トリップ・ヘルスを初めて受診すると、2〜4週間かけてケタミンを4〜6回投与されます。それ以降は、必要に応じて投与量を多くすることも可能です。初回費用は750ドル、2回目以降は1,000ドルとなっています。ケタミン自体の1回分のコストはたったの7ドルほどなのですが、患者はセラピー代として高額な治療費を払うことになります。
2020年の初め、私の知り合いの35歳の映画監督が、フィールド・トリップ・ヘルスでケタミン・セラピーを申し込みました。彼女は、パンデミックの際に幻覚剤治療についての知識を得たようです。彼女はマイケル・ポーランの著書“The Wild Kindness: A Psilocybin Odyssey.”(本邦未発売)を読んでいましたし、ポッドキャストもたくさん聴いて知識を増やしていました。彼女は以前にLSDと幻覚キノコを試した経験がありました。その時、彼女は少しトリップして、広大な宇宙と繋がっているのを感じました。また、自分の背後に浮かんでいる雲も見えて、月も普段より立体的に見えたそうです。彼女は、トリップしてもっと様々なものを見てみたいという気持ちを持っていました。彼女は軽度の不安神経症や強迫性障害を経験したことがありました。それで、彼女は抗うつ薬を服用していて、10年以上セラピーを受けていました。しかし、彼女は自分が重度の精神的な問題を抱えているとは思っていませんでした。彼女は私に言いました、「現在の私は何の問題も抱えていません。だから、もっと自分を高めたいと考えています。」と。彼女は有名なもぐりのセラピストの幻覚キノコを使ってトリップするセラピーを受けたいと思ったのですが、2年も待たなければなりませんでした。そこで、彼女はGoogleで色々と調べた結果、フィールド・トリップ・ヘルスに辿りついたのです。フィールド・トリップ・ヘルプを選んだ理由は、単に一番容易に見つけられたということです。彼女はケタミン・セラピーを受ける前に2回面談を受けました。1回めは、ケタミンとは何かということと、ケタミンの薬理作用について説明を受けました。2回めは、彼女は色々と質問されたりして調べられました。彼女が言うには、どうやら、セラピーを受けた後で気が狂う、もしくは自殺する可能性が無いかを調べられたようです。
彼女の初回のセラピーは6月(2020年)に予定されていました。そのセラピーを受けた週の終わりに、私は彼女と話をしました。セラピーは、彼女が予想していたものより強烈なものだったそうです。彼女が2回受けた事前面談はバーチャルで行われたため、フィールド・トリップ・ヘルスのクリニックへ実際に行ったのは初めてでした。セラピストの助手に椅子に案内されたのですが、ヘルメットのようなものが頭の上に降りてききました。照明は瞑想ムードを盛り上げるような色彩でした。また、ガラステーブルも有りました。その下にはトレーがありました。トレーには砂が敷き詰められており、その上をモーターが内蔵されていると思われる自走式の金属球が模様を描いていました。彼女は言いました、「その部屋に入っただけで、もうトリップしているような気がしました。」と。機械から流れる本物の川のせせらぎのような音が流れていることも彼女は気に入りました。
彼女は、長い廊下の先にある、ジャングルをテーマにした壁画が描かれた部屋に通されました。高級でくつろげる抗重力チェアに座った後、背もたれ部分がゆっくりと歯医者の椅子のように倒れました。1人の看護師が血圧を測った後、ケタミンの入った注射器が置かれたチベット製のブロンズ製のボウル(チベットで神事の際に鳴らすもの)を彼女に差し出しました。彼女は言いました、「私は、笑いをこらえるのに必死でした。笑ったら看護師やセラピストを馬鹿にしているようで悪いと思ったんです。でも、どても滑稽に思えたんです。」と。ケタミンを注射された後、彼女はアイマスクを着けて、しばらく待たされました。その間、彼女は、家にいるトイプードルのことを思い出したりしました。それで、心配になり、担当のセラピストに家にいる犬のことが心配であると伝えました。しかし、よくよく考えたら、その日はパートナーが仕事から早く帰ってきて、犬の世話をしてくれることになっていたことを思い出しました。それで落ち着きを取り戻しました。そして、彼女はもう1度注射されました。すると、頭の中を解読不可能な象形文字や古代の文字などのイメージが駆け巡り始めました。そして、彼女はもう1人の自分がいるように感じました。もう1人の自分は、監督した映画の記者会見で記者から質問を受けている最中でした。彼女は解離性障害(自分が誰かという感覚が失われる)に似た症状に陥りました。彼女は、まるで段ボール箱の中にいて、光は小さな光から漏れるだけのようだと感じました。もっと光を大きくするために穴を必死で拡げたいと思いました。彼女はアイマスクを外して自分の手を見て、自分が人間であることに気付きました。しかし、自分がどこにいるのか、誰なのかということは思い出せませんでした。それから、酷い吐き気に襲われました。ケタミンの投与で激しい吐き気が引き起こされることは、ごく稀にあるようです。彼女はその直後、予約していた2回目のセラピーをキャンセルしました。「私は今でもあまり元気のない感じです。」と彼女は私に言いました。
しかし、数週間後、彼女は気が変わって、セラピーをまた受ける気になりました。2回目のセラピーでは、ケタミンの投与量を少なくしたので、薬の効きも穏やかになりました。彼女には、日本の招き猫の人形が波間で揺れているのが見え、その中に自分の母親の顔を見つけ出そうとしました。その1日か2日後、彼女は、繰り返しこれまでに経験したことがないような感覚を持つようになりました。全く新しい感覚でした。彼女は私に言いました、「新しい感覚でした。何でか分からないけど、上手くいきそうな感じがしたわ。」と。それは、希望に満ちて安らいだ感覚でした。そして、ある日、その感覚は消えてしまいました。彼女は言いました、「なぜか急にその感覚が消失してしまったのよ。でも、その感覚を他人に説明するのはとても難しいのよ。本当のところ、どんな感覚だったか自分でも本当は分かっていないような気がするのよ。」と。