ケタミン・セラピーって知ってる?アメリカで大流行のうつ病治療法!本当に抗うつ剤よりも効果があるのか?

3.ケタミン・セラピーを試してみたテレビ作家ザッカリー・ライス 20年来のうつ病改善

 長年に渡って患者にケタミンを投与し続けてきて幻覚剤を使うことに抵抗が無いセラピストたちは、現在のケタミンがもてはやされるている状況に少し戸惑っています。また、少なからぬ不安を抱いています。「ケタミン論文」の共著者である精神科医フィル・ウォルフソンは、1990年に初めてケタミンを自ら服用し、その20年後に特定の患者にのみ投与し始めました。彼は、それ以前には、セラピーでMDMAを使っていました。しかし、1985年にMDMAがスケジュール1薬物(医学的な効用が確認されておらず濫用の可能性が高い)に分類されたことを受けて使うのを止めました。現在、彼は70代ですが、多くのセラピストにケタミンの使用法を指導しています。フィールド・トリップ・ヘルスでも指導しています。彼自身のクリニックでは、ケタミンをトローチ剤の形で摂取して行うセラピーが受けられます。また、筋肉内注射によって摂取するもっと強力にトリップするセラピーも受けられます。彼は、ケタミンがどのように機能するかについて研究したことがあり、神経科学理論に精通もしていますが、それは還元主義的だと言及していました。つまり、非常に複雑で理解不可能なのに、誰もが理解できると勘違いしているということです。彼は言いました、「人間の脳などには神経可塑性が備わっていて、環境や外部からのあらゆる刺激に対して反応して変化する能力をがあります。大きな愛を抱くことも、山に登ることも、ひどい悲劇に見舞われることも、いずれも樹状突起に変化をもたらします。樹状突起が変化することで人間は環境に適応できるのです。人間が適応のために変われるのは、樹状突起が外部からの刺激を受けて変われるからなのです。」と。(樹状突起とは、神経細胞が外部等からの刺激や情報を受け取るために、細胞体から樹木の枝のように分岐した先端部分です。)私がウォルフソンと話をした日の前日は、ウォルフソンの息子の命日でした。30年以上前に16歳で白血病で命を落としたそうです。

 ウォルフソンは、銀髪でした。彼は、何十年もカリフォルニアに住んでいるのに、ニューヨーク訛が抜けていませんでした。彼は、ケタミンが抗うつ薬に分類されるようになったことに対してはあまり納得していませんでした。彼が私に言ったのは、セラピーによって変化が起こるのは単なる幻覚剤の作用によるものではないということです。また、診断カテゴリーもある程度しか役に立たないということでした。彼は、ケタミンがセラピーで重要な作用をするのは、短期間しか幻覚を起こさないことにあると信じています。アヤワスカや幻覚キノコを投与されて、さまざまな幻覚が引き起こされて物語のようなものが見えるように感じられるのとは異なり、ケタミンの投与では、幻想が引き起こされ短時間の空虚な経験をしたように感じることが多いのです。彼は言いました、「ケタミンの投与は本当に意味がないんです。幻覚でぼんやりとした気分になるだけなのです。ケタミンを投与されても主体的な体験をした感覚は得られないし、現れる幻覚の中で何か意味のようなことを感じることは無いのです。特に樹状突起に変化を起こすような刺激がもたらされることは無いのです。もしもケタミン・セラピーを受けて効果があるとしても、それはケタミンによって引き起こされた幻想が刺激となって神経可塑性ゆえに脳が変わったわけではないでしょう。そうではなく、幻覚が無くなった後に、強迫観念から心が解放されたことによって神経が変わるのだと推測されます。」と。

 ケタミン・セラピーを、私の友人の映画監督のように抗うつ薬が効いて自分で対処可能なレベルのうつ病を患っている者が受けても、あまり顕著な効果はないことが多いようです。しかし、慢性的に治療抵抗性のうつ病(抗うつ薬に反応しないうつ病)を患っている人たちには非常に効果が大きいようです。28歳のテレビ作家ザッカリー・ライスは、10歳のときからセラピーを受けていました。16歳のときにうつ病と診断され、20代前半で急性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と強迫性障害の診断を下されました。18歳で抗うつ剤を服用し始め、それ以来、13種類の薬を処方されました。自殺未遂を起こしたこともあります。2020年3月に新型コロナのパンデミックが拡大し始めると、彼は再び自殺願望を抱くようになりました。彼は、在宅で電話でセラピストや精神科医と話をしました。もはや薬を増やしても何の解決にもならないことを懸念されたので、セラピストたちはライスに2つの選択肢を提示しました。1つは入院することで、もう1つはケタミン・セラピーを受けることでした。当時、ライスはケタミンに関する知識は殆どありませんでした。彼がケタミンについて知っていたことは、ゲイがパーティーで齧るドラッグであるということと、馬の精神安定剤として使われていることだけでした。

 ライスがセラピストらと電話で話したのは金曜日でした。それから3日後の月曜日には、ライスはブルックリンハイツにあるEmber Health clinic(以下、エンバー・ヘルス・クリニック)に行きました。エンバー・ハイツ・クリニックは、2018年にニコ・グルンドマンという救急医によって開設されました。その妻で戦略コンサルタントのティファニー・フランキーも開設に携わりました。エンバー・ヘルス・クリニックのホームページ等の案内や資料を見ても、幻覚剤セラピーを実施していることは載っていませんでした。グルンドマンは患者にカウンセリングする時、幻覚剤という語はできるだけ使わないようにしていました。というのは、幻覚剤という語を聞くと患者の中には怖がったり警戒してしまう者もいたからです。とはいえ、そのクリニックでは、まさしく幻覚剤であるケタミンが使われていました。というか、そこでは、ほとんど全ての患者がケタミン・セラピーを受けていたといっても過言ではなく、精神に変容を生じさせるべくやたらとケタミンが投与されてました。クリニックではいくつもの敷物とソファが置かれ、ハーブティーが出されます。グルンドマンは「自宅のように落ち着けるでしょう。」と言いました。エンバー・ヘルス・クリニックでは、ケタミンは体重1キログラムあたり0.5〜1ミリグラムを筋肉注射ではなく静脈注射で投与されていました。グルンドマンは常に最新のエビデンスに基づいたアプローチを心がけていると言っていました。また、エンバー・ヘルス・クリニックでは、クリニック内では精神科医による精神療法は行っていないものの、精神衛生の専門家が積極的に治療している患者のみを受け入れていました。

 ライスはそれまで幻覚剤を飲んだことがありませんでした。彼は、常用している薬との重複投与や相互作用を常に心配していたからです。摂取する際に問診表を記入しました。それを見れば、彼が重度のうつ病であることは明確でした。ケタミンを投与される前、もしケタミンが効かなかったら、幻覚剤ではない別の薬が処方されるだけだろう、と彼は思いました。また、医師がいるクリニックにいるわけだから、間違っても死ぬことはないだろう思いました。

 ライスはアイマスクとヘッドホンを着け、点滴を付けて、心臓モニターに繋がれました。幸せな瞬間を思い浮かべるようにと言われたので、彼はヨセミテ渓谷の外縁に立って、友達と夕日を眺めたことを思い出しました。その時のことを振り返って、彼は言いました。「まるで映画館の照明が急に暗くなったようで、現実の世界が消え去ったかのように思えました。時速5千マイルでヨセミテ渓谷の上を飛び、ハーフドーム(ヨセミテ渓谷の東端に位置する大きな岩。花崗岩ドーム)に激突し、ハーフドームは砕け散って宇宙に向かって四散し、僕は宇宙空間に浮かんでいたんだ。」と。ライスが幻覚に浸っている時、セラピストが威厳がありながらも心地よい声で、いろいろと語りかけました。セラピストはライスに、自分の脳内の見学ツアーに参加してみないかと言いました。その後、ライスは、自分の脳の中で働いている全ての人に挨拶をしました。その後、ツアーは脳の中から離れました。次に彼の人生でうつ病を発症する原因となった経験を思い出してみることになりました。うつ病の引き金となったと思われる彼にとって最も深いトラウマとなったことなども思い出しました。そして、沢山の自分を愛してくれた人たち、沢山の自分にとって大切な人たちを思い浮かべました。セラピストは言いました、「もう彼らを怖がる必要は全くありません。あなたは生きていていいし、全て解決したんですよ。これからは、全て上手くいきますよ。」と。ライスは言いました、「自分の心の中でポジティブなことを考えられるようになったのは、20年ぶりでしたよ。」と。幻覚状態の最後の方ではライスは異次元のサファリの中にいました。サファリで象がくるくる回っているのをライスが見ているところに、ジープのような車が走って来て、その運転手の脳とライスの脳が合体しました。ライスは幻覚から醒めて正常な意識を取り戻した時、笑ったり泣いたりしていました。

 彼はお茶をもらい、幻覚の中で見たことを書き留めました。そして、エレベーターに乗って階下へ降りてブルックリンの街へ繰り出しました。外では誰もがマスクを着用していました。鳩が彼にフンを落としました。公園に入って、鳥を見ていると、その美しさに涙が出ました。それから家に帰り、何年も先延ばしにしていた家事や雑用をこなしました。彼は、「初めて人生に踏み出すような気分がした。」と言っていました。また、映画を作る時の色調補正に例えたのだと思われますが、「ケタミンによって私の心の中は色調補正されました。全体を覆っていた灰色のモヤモヤが除去されて、ありのままの現実がくっきりと明るく見えるようになったのです。」と言っていました。

 ライスは10日間で4回セラピーを受けました。それ以来、毎月1回セラピーを受けています。セラピーは毎回内容が異なります。全く幻覚が現れない時もありましたし、自分がWindows95のスクリーンセーバーの中にいるような感覚になったこともありました。「私はケタミン・セラピーによる幻覚の中で死んだこともあります。私は神としか思えない者に会ったこともあります。」と彼は言いました。セラピーは1回500ドルですたが、費用の6割は保険でカバーされています。彼は、日々の業務をこなしきれないと感じ始める時に、セラピーの効果が薄れてきたと感じるようです。「ケタミンが私の命を救ってくれたと言っても、大げさではありません。20年以上も精神療法を受け、抗うつ薬を摂取してきましたが、何回かのケタミン・セラピーの方が私には効果がありました。おかげで精神衛生上の不具合は全く無くなりました。」と彼は言いました。