5.ケタミン・セラピーを受けてみた!うつ病が根本的に完治するわけでは無さそう・・・
私はヒッピー文化とかに興味があったので、ケタミンを摂取してトリップしてみようと思いました。それで、ウォルフソンのケタミン・セラピーを受けることにしました。予約に先立って問診票のようなものを記入する必要がありました。家族の病歴とか、暴力を振るわれた経験や酷い心の傷を負った経験やうつ病の経験の有無などを記入する必要がありました。6月中旬、私は、ローワー・マンハッタンにあるギタ・ヴァイドという精神分析医のクリニックに行きました。ヴァイドは、キャッツキルで行われたケタミン・セラピーのトレーニング・セッションにも参加していました。クリニックに着いてから1時間ほど、私はウルフソンとヴァイドの3人で話をしました。私は、一昨年に経験した不幸な体験から立ち直ろうとして苦悩していることを打ち明けました。私は、しばしば仕事を休んだり、セラピーを受けたり、10年ぶりに抗うつ薬を服用しましたが、不安な気持ちが消えることはなく、孤独感を凄く強く感じていました。ウォルフソンは個人ごとにセラピーの内容をアレンジするため、私の話を良く聞いていました。そして、3人での話し合いが終わると、ウォルフソンは私にセラピーを始めると言ってからセラピーを始めました。私はソファに横たわると、ヴァイドが私の腕にケタミンを注射しました。
私の心は、温かいカーペットが敷かれて防音が完璧な個室にいるような感じで、静かな沈黙に溶けていくように感じられました。初回の投与量は35ミリグラムで、具体的な映像は頭の中に浮かびませんでした。入っている個室の壁が砂のように崩れ始め、砂が風に吹かれながら色々と形を変えながら渦を巻いていました。それは、映画”The Mummt”(邦題:ザ・マミー 呪われた砂漠の王女)のCGIで作られた一場面を彷彿とさせるものでした。まるで、薄暗い鍛冶屋の中で磁石に引き寄せられる鉄粉の世界に入り込んだような感覚でした。1本目の注射から12分後、2本目の注射で35ミリグラムを投与するか否かを、私は尋ねられました。尋ねる声は非常に遠くから聞こえるように感じたのですが、不思議なことに私ははっきりと聞き取ることができたのです。驚くべきことに、自分でも知らない内に、2回めの注射をしても良いと答えていたようです。ヴァイドは私の袖をたくし上げて、もう1本注射を打ちました。今、私はベルベットのような深い毛の中にいます。カーペットの中に沈みこんでいくように感じられます。原生林の中の小屋の屋根の庇の下の苔むした床の上にいて、小屋の上をシダの枝が覆っています。このまま何もない世界に身を沈めたいと思いましたが、だんだん幻覚から醒めて、意識が徐々に戻って正気になりました。注射を打たれる前は悲しかったし、不安でした。しかし、随分と落ち着いた気持ちになりました。初めて幻覚セラピーを経験したわけですが、とても満足できました。本当に楽しい経験でした。私は完全に意識が戻った時には、あまり言葉が出てきませんでした。それで、”cool”(クール)という語を連発していた記憶があります。
私は、かなり昔にパーティーでケタミンをやったことがありました。少し感覚がおかしくなり遊離するような感じや、時間が拡張するような感じが好きでした。しかし、ケタミンを注射した時の体験ははるかに強烈でした。まるで全く別の薬物を摂取したかのような感覚でした。この1年間、幻覚剤を使ってうつ病を治療するセラピーがますますもてはやされるようになっていましたが、私は懐疑的でした。しかし、ケタミン・セラピーには、うつ病治療の効果が結構あると思うようになりました。というのも、私はケタミン・セラピーを体験してみて、単に楽しいだけでなく、心の奥底にあった対処困難な苦悩が緩和され、前向きな気持ちにさせられたと感じたからです。私は、幻覚剤に救世主的な可能性を見いだすことに不安を感じていましたし、ケタミンの効果は限定的だろうと思っていました。また、ケタミン・セラピーは儲かるようなので、それを専門とするクリニックが急増していましたが、私はセラピーの質の悪いクリニックも中にはあるのではないかと疑っていました。この記事を書くためにいろいろと調べるようになってから、”Mindbloom clinic”(以下、マインドブルーム・クリニック)というクリニックのFacebook広告を受け取るようになりました。そのクリニックのケタミン・セラピーは、患者がクリニックまで足を運ぶ必要がありません。ケタミンの錠剤が郵送で送られて、セラピーを行う際には、訓練を受けたセラピストからZoomでセラピーを受けながらケタミン錠剤を摂取します。ケタミン・セラピーは相対でセラピストが対応すべきであるとして、物議を醸しているようです。そのクリニックの広告には、ケタミン・セラピーを受けた者の体験談が載っていました。それは、「ケタミン・セラピーを受ける前、私はどんなうつ病治療をしても全く効果がありませんでした。」というものでした。
ウォルフソンは、初めて話をした時に、私に言いました、「世の中が慢性的に憂鬱な状況であるために、慢性的なうつ病に悩む人たちが大量に存在しています。そのことがさらに慢性的に憂鬱な状況を作っています。」と。言い換えると、私たちの生き方が原因で、私たちはうつ病になっているのです。米国の自殺率は1999年から30%近く高くなりました。米国では、2020年4月〜2021年4月の間に10万人が薬物の過剰摂取で死亡していますが、その多くは精神的な不調が原因で故意に薬物を過剰に摂取したのだと推測されます。著書「ケタミン論文」の中で、ウォルフソンはうつ病に有効と思われる治療手段について言及しています。彼が言及した治療手段は、抗けいれん剤、興奮剤、マリファナ、運動、瞑想、快楽主義、欲求の一時的な満足、欲求の解消、オキシトシン、性的欲求、精神修養、お金、愛情、子供、活動、正義、良い仕事、尊敬、友情、教育、良書、悪書、などです。
ケタミンは、十分な間隔を開けて使用すれば一般的には安全であると考えられています。しかし、毎日吸引したり、長期間注射したりすると、効かなくなってしまい、欲求不満、禁断症状、尿路および腎臓に恒久的な損傷を与える可能性があります。また、長期および短期記憶機能に障害が出る危険性があります。フィールド・トリップ・ヘルスのベン・メドラーノが、ケタミン中毒の危険性について私に教えてくれたのですが、ケタミンに依存しやすい性格の人がいるそうです。宇宙物理学者でイルカの研究もしていたジョン・C・リリーなどが該当するそうです。また、メドラーノは、ケタミンに依存しやすい性格の人はかなり多いと主張しています。米国政府はケタミンの中毒性のリスクを中~低レベルに分類しています。ケタミンは、昔からパーティーやクラブで服用されてきましたから、ケタミンの過剰摂取はリスクが非常に高いことは世間では広く知られているようです。1994年に出版された”The Essential Psychedelic Guide”(邦題:幻覚ドラッグ必携ガイド ‐ サイケデリックス)に、幻覚剤研究者のD・M・ターナーが記しています、「ケタミンを試しに服用してみた結果、ケタミンが尽きるまでノンストップで服用してしまう人がいます。そうなる人の割合はかなり高いのです。実際に、私が長年知っている友人で、そうなった人がいます。その人は、幻覚剤の常用者でしたが、過去に薬物依存とか過剰摂取という問題を抱えたことはありませんでした。」と。ターナーは1996年の大晦日にバスタブで死亡していたのですが、ケタミンを注射した後に誤って溺死したのです。
ケタミン・セラピーを行っている多くの臨床医は、「ケタミンなどの幻覚剤が目的であると疑われるような患者は受け入れていない。」とか「責任ある臨床医やセラピストの指示の下でケタミンを摂取するのであれば、依存症のリスクはほとんどありません。」と言っていました。私はそれを聞いて少し安心しました。とはいえ、新型コロナのパンデミックの影響もあるのでしょうが、このところ頻繁にケタミンの過剰摂取による死亡例を耳にします。ウォルフソンは、私が出会った医師の中で、最も真剣に私の心の脆さを理解しようとしてくれました。彼はケタミンを摂取し続けて命を絶ったリリーのことを回想して著書の中に記しています、「セラピストとしてこの仕事をしている者は誰でも、薬物やドラッグに依存しすぎて、大きな過ちを犯し、人間関係に支障をきたし、遂には自殺してしまう者を目にしています。」と。幻覚剤等に依存してしまう人たちにとって最もよく知られているリスクは、ウォルフソンが言うには、幻覚剤の効果が無くなってしまうことです。そうなると、心の奥底の苦悩が緩和されることも無くなり、うつ症状が改善する可能性も無くなってしまうのです。
ウォルフソンとヴァイドは、必要なだけ待合室で休んでいて良いと言ってくれましたが、私はクリニックから出たいと思いました。それで、午後遅くにクリニックから出て、通りをふらつきながら歩きました。私は、以前、夜が明けてからナイトクラブを出ることも多かったのですが、ふらついたのはその時以来でした。腕は新型コロナのワクチンを1度に2回接種したと思えるくらい痛みました。ユニバーシティ・プレイス沿いのアパートがぼんやりと揺れているように見えたので、通りを渡ってネイルサロンに入り、ペディキュアをしてもらいました。目的は椅子に座ることでした。40分間、座って何も考えず休憩しました。ポリッシュが乾く頃には、私はふらつくほどではなくなりました。吐くのを避けるために昼食を抜いたので、餃子の食べられる店を見つけて入りました。それから、イーストビレッジで友人と会いました。金曜日の夕方で街は賑わっているようでした。春休みの終盤でしたので、普段よりも賑わっているように見えました。
次の日、私はいつもと違う気分でした。長い間、先延ばしにしていたことをこなして、何週間も、何ヶ月も私の心の中を独占していた事柄に執着するのを止めました。おそらく、ケタミン・セラピーのおかげだったと思いました。しかし、その時私が思っていたのは、精神が良好な状態になったのは、ケタミンを摂取してトリップしたことによる恩恵ではないとおいことでした。そもそも、どんな種類の治療やセラピーも、私の精神状態には何の影響を及ぼさないと思いました。私の精神は私の肉体と同様に、私の意のままに操れるように思えたました。私の心は、私がそうであってほしいと願えば、そうなるように思えました。私は過去に、カフェインを飲んだり飲まなかったり、運動や睡眠、瞑想、抗うつ剤、健康的な食事、ビタミンB12、マグネシウム、アンフェタミン、ヨガなどで、精神の状態を健全にしようと試みたことがありました。私の精神は、そのような手段で変えようとすると抵抗するのです。それで変われなかったのだと思います。精神が非常に健全になったという感覚があったのですが、それは何かをした結果ではないし、何かの刺激によってもたらされたわけでもないのです。ずっとこの状態が続くように思えました。この状態が変わってしまうのが怖くて、アルコールはもちろん、コーヒーさえも飲みませんでした。非常に精神が平穏であるという感覚が2週間ほど残っていましたが、やがて消えてしまいました。その時の記憶はしばらく残っていたのですが、今では全て忘れてしまいました。
以上