The Control of Nature March 6, 2023 Issue
Phosphorus Saved Our Way of Life—and Now Threatens to End It
リンは人類の繁栄を助けた。そして今、人類の脅威となりつつある
Fertilizers filled with the nutrient boosted our ability to feed the planet. Today, they’re creating vast and growing dead zones in our lakes and seas.
栄養素で満たされた肥料が、人類が食物を作る能力を高めました.。今日、肥料によって湖沼や海に広大なデッドゾーンが作り出されています。
By Elizabeth Kolbert February 27, 2023
1.
1802年の秋にドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)は、リマ(Lima)の西にあるペルーの主要港カヤオ(Callao)に到着しました。フンボルトは、リマの経度を調べるために、水星の通過に合わせて同地を訪れていたのです。3フィート(91.4センチ)の望遠鏡を使って水星を観察する予定でした。彼は波止場にあった砦のようなところの上に観測機器を設置しました。水星が通過するまでの数日間は、時間つぶしのために船着き場の周辺をふらついたりしました。黄色い粘土のようなものを積んだ船から漂う強烈な悪臭に、彼は好奇心をそそられました。フンボルトは、地元の人たちから、それが近くのチンチャ諸島(Chincha Islands)の鳥の糞であると教えられました。そして、それがその地域の農家で珍重されていることも聞きました。フンボルトは、この鳥の糞を母国に持ち帰ることにしました。
今から約1万年前、人類が農業を始めた時、彼らはすぐに難題に直面しました。農作物が育つには栄養素が必要ですが、成長して収穫すると土壌から栄養素が失われ、そこは次の収穫には適さなくなってしまうからです。そこで当時の農民たちは、耕作地を順番に休ませたり、動物や自分たちの糞尿を地面に撒いたり、土壌の回復作用があるマメ科の植物を植えたりして、この問題を解決してきました。しかし、なぜそうした手段が有効なのかということについては、明確には理解できていませんでした。フンボルトの時代には、パリやロンドンの碩学な者たちが、農作物に必要なものは何かということを解明し始めていました。あるプロイセンの化学者が、フンボルトが持ち帰った黄色い粘土質のものを分析したところ、2つの必須栄養素が高濃度に含まれていることが分かりました。窒素(nitrogen)とリン(phosphorus)でした。カンザス大学の歴史学者グレゴリー・クッシュマン(Gregory Cushman)は、その時のことを”ミラクルグロ”(訳者注:”Miracle-Gro”はアメリカの廉価な肥料のブランド)と評していたわけですが、グアノ(Guano:糞の化石)は土壌の疲弊という古代から続く問題の解決策となったのでした。
ペルーの先住民は、何世紀にもわたってチンチャ諸島でグアノを採取してきました(「グアノ」という単語は、ケチュアの糞(Quechua wanu)が語源です)。ヨーロッパ人は、チンチャ諸島から有用なものを搾取すると決めました。しかし、ナポレオン戦争が起こったり、シモン・ボリバル(Simón Bolívar)がアンデス5カ国を独立に導いたりしたので、搾取が始まったのはその数十年後のことでした。また、先住民の権利はペルー政府によってすべて消滅していました。1840年にペルー政府は一部のヨーロッパの商人と独占契約を結び、その後15年間で100万トン以上のグアノがペルーからイギリスへと運ばれました。グアノの収穫という過酷な労働は、主として奴隷のような条件で働く中国人労働者によって行われました。
1840年代半ばになると、アメリカの農民たちもグアノを欲しがるようになり、アメリカが安定したグアノの供給を確保できないことに激怒するようになりました。1850年にミラード・フィルモア(Millard Fillmore)大統領がそうした状況の改善に乗り出しました。彼は、グアノが非常に重要な物資になったので、連邦政府がその権限で行使しうるあらゆる手段を用いて入手する義務があると宣言しました。1856年の春に当時ニューヨーク州選出の上院議員であったウィリアム・ヘンリー・スワード(William Henry Seward)が、後にグアノ諸島法(Guano Islands Act)として知られることとなる法案を提出しました。この法案は同年末に法制化されました。アメリカ市民は他国政府による法的管理(実効支配)下になく、糞が堆積している島、岩、珊瑚礁を発見した場合は、それを領有することができるという内容でした。この権益の保護のためにアメリカ合衆国大統領に軍隊を指揮する権限が与えられていました。
その結果、世界の辺境の地が次々と開拓されることになりました。それから3年以内に、アメリカは北太平洋のミッドウェー環礁(Midway Atoll)を含む50近い島の領有権を主張するようになりました。ボルチモア・アメリカン・コマーシャル・アドバタイザー(Baltimore American and Commercial Advertiser)紙は、これらの島々を”新たな黄金郷(El Dorado)”と表現しました。「本物の金が有るわけではないが、アメリカの荒廃した耕作地を黄金の穀物で覆うだろう」と表現していました。余談ですが、上院議員だったスワードは後にアラスカを購入することを計画しました。評論家たちはアラスカを”スワードの保冷庫”と呼んで揶揄しました。これになぞらえて、ある歴史家は、アメリカが領有権を得た島々を”スワードの離れ家”と呼ぶべきであると提案しています。
ペルーからのグアノ輸出は1870年にピークを迎えました。その後、急激に減少しました。ヨーロッパ中の農場に輸出されたグアノは、何百万羽もの鳥が何百世代にもわたって蓄積してきたものでした。グアノが輸出されるようになっても、鳥が減るわけでもなく糞をし続けるわけですが、新たに増える糞は蓄積していた量に比べたら微々たるものでした。当然、需要に見合うだけの糞を鳥たちがするわけではないので、グアノが積もっていた所は、ほどなくして掘り尽くされてしまいました。アメリカはグアノが無くなった島々への関心を失いました。それで、ほとんどの島々は最終的に他の国に譲渡されました。ミッドウェー諸島など一握りの島々だけが、今もアメリカの領土です。
こうしてグアノに対する熱狂は終焉を迎えたわけです。しかし、この熱狂の終わりは、もっと大きな熱狂の始まりであったのです。当時、化学者たちが窒素やリンの鉱床を次々と発見しました。それはグアノに取って代わるものでした。1つの資源が枯渇して、また別の新たな資源が1つ発見されたのです。あるいは、新たに1つ発明されたのです(窒素の場合)。現在、農家は、種苗や耕運機を買うのと同じように、肥料を容易に購入できます。その結果、世界は栄養素で溢れかえっています。しかし、同時に、新たな問題が生み出されています。地球環境を汚染することなく食料を供給するにはどうすればよいのでしょうか?