WFNH(work from near home)がお勧め。WFNHで集中できるのはカクテルパーティー効果のおかげ。
パンデミックで自宅で仕事をすることも多くなりましたが、誰でも家から離れて近所のどこかで仕事をしたという経験があるのではないでしょうか。誰もが認識していると思いますが、知識労働者が重要で複雑な問題に取り組む時、集中力が長続きしないことは多々ありますし、そんな時は、周りの環境が非常に重要です。アンジェロウはホテルに籠って創作に集中する方法を確立しましたが、彼女はホテルの部屋に入ると雑念が消えて創作に集中できると言っていました。さて、家で仕事をする場合、そこには見慣れたものが溢れています。人間の意識というのは見慣れたものに引かれてしまいます。それによって、集中して考えて仕事をしなければならないような時にも、神経のバランスが微妙に不安定になってしまいます。自宅で仕事をする際、ホームオフィス(単なる寝室のことが多いですが)の外で洗濯カゴが有るのを見てしまうと、人間の脳は家事のことばかりに気が行ってしまうのです。たとえ電子メールや、もうすぐ始まるズームミーティングの準備や、その日の内に終えるべき仕事に集中しなければならない場合でもです。そうした現象は、人間の脳の関連付け機能によるものです。どうしてかというと、洗濯カゴを見ると、人間の脳は無意識下で家事を連想してしまうのです。認知心理学者ダニエル・レヴィティンによれば、家事を連想してしまうと、そこに神経が集中し、やるべきことへの興味が失せてしまう状態となってしまいます。アンジェロウは、ホテルの壁を殺風景にして脳の関連付け機能をオフにすることで、他のことに気が行くこと無く詩を創ることに集中できたのです。
また、在宅勤務する際には、仕事の邪魔になる要因は沢山あります。人間の脳は非常に巧妙に出来ていて、沢山の情報から必要の無い情報だけを脳内に入れないようにしています。しかし、たとえ邪魔な情報であっても自分に関係するとなると、無視することは困難になります。認知心理学の始祖のE.コリン・チェリーは「カクテルパーティー効果」という現象があると主張しました。それは誰にでも経験のあることだと思いますが、沢山の人がそれぞれ雑談している騒がしいカクテルパーティーのような状況においても自分の名前などは自然と注意が向いて聞き取れます。また、にぎやかなカフェにおいても、自分の周りで会話している人が自分が良く知っている話題を話している時だけ気が散るものの、何時間も集中して効率よく仕事をすることができます。見方を変えると、自宅で仕事をするということは、カフェで仕事をしていて周りの客全員が気になる話題を話していて気が散る状態と同じだと言えます。ベンチリーは暖房機器工場の2階でガタガタと操業音がうるさい中で創作に励んでいた頃、彼の家には2人の幼い子供がいたのです。ですから、うるさい工場に行った方が気が散らなかったのです。工場のハンマーをガンガン叩く音もベンチリーにとっては自分の子供の泣き声ほど気を散らすことは無かったのです。
これまでは、ほとんどの知識労働は、企業や団体等の職場で行われてきました。執筆業は企業等以外で知識労働が為される数少ない例の1つでした。コロナウイルスのパンデミックによって、自宅で知識労働が為されることが急激に増えました。最近行われた人事責任者に対して行ったアンケート調査の結果では、来年の秋になっても米国では従業員の25%以上はリモートワークをするだろうということでした。アンジェロウが壁が無味なホテルの部屋にこもった際やベンチリーが暖房機器工場にこもった際の動機は、家よりも集中して仕事ができる場所を確保したいということでした。しかし、現在、アンジェロウやベンチリーと同じ動機を持った人が、パンデミックによって、急激に増えそうな状況になっています。このインパクトは非常に大きいのではないでしょうか。多くの労働者がすぐに在宅勤務を止めて会社に行って勤務するようになることは無いでしょう。かといって、現在自宅でリモートワークしている多くの労働者に永久にそれを続けさせれば、非常に生産性が低下するでしょう。現在、我々は他の選択肢を考えなければならない状況に陥っています。前述した作家たちの例を参考にすれば、おのずと選択肢が見えてきます。自宅の近くで働くというのがそれです。
私の提案は次のとおりです。リモートワークを許可する際には、従業員が自宅周辺で仕事できる場所を見つけ出すことを奨励するだけでなく、それに掛かる費用を補助することも必要です。補助額はべらぼうに多くなくても良いのです。前述した作家たちの事例が参考になります。家よりも集中して仕事できるようにするために、仕事をする場所は見た目がカッコいい必要など無いですし、装備や空調設備が整っている必要もないのです(それこそ、壁と屋根さえあれば良いのです)。最近では、シェアオフィス、レンタルオフィス、コワーキングスペースがいろんなところにあります。路面店の店舗の2階や3階、賃貸マンションが転用されていたり、車庫を改造したりと様々な形態で増えています。設備や装備が豪華でなくても全く問題ないのです。それでも自宅のキッチンテーブルや寝室の机の上でノートパソコンを広げて仕事をするより集中して効率的に知識労働に取り組めるはずです。全ての仕事を自宅の近くに見つけた場所でやる必要はありません。スタインベックの場合ですと、フィシングボートで仕事をしましたが、自宅にきちんとした仕事部屋があってそこでも執筆していました。必要な時にいつでも自宅の近くで仕事できる場所が確保できるということが、リモートワークを強いられている人たちにとっては重要なのです。
WFNH(work from near homeの略。家の近所で仕事をすること)の費用を補助することは特に目新しいことではありません。昨年の秋、英国のスタートアップ企業Flown(以下、フローウン社)が、知識労働者に仕事場を貸し出すオンラインレンタルビジネスを始めました。要は、Airbnbのレンタルオフィス版のようなサービスです。同社のホームページには、牧草地を見下ろす床から天井までの窓に面した机のあるコッツウォルズ(グロウスターシャ州)の部屋など素晴らしい物件も沢山あり、短期間の賃貸も可能です。私はフローウン社の創業者アリシア・ナヴァロを電話取材しました。彼女が私に説明してくれたのですが、フローウン社のターゲット顧客は個人ではなく、従業員をサポートするために部屋を纏めて大量にレンタル契約してくれる大企業等です。
しかし、新型コロナの終息を見据えて、自宅やその近くで仕事をすることを止めさせて、会社に来させて業務させようと考えている企業経営者も少なくありません。新型コロナが収束すれば、企業経営者の多くが、会社に出てくる人を優遇し、出てこない人を冷たくあしらうようになるでしょう。ニュースで報じられましたが、昨年の春にフェイスブック社とツイッター社は新たに従業員を雇い入れる際にサンフランシスコのベイエリアの外に住んで常にリモートワークで仕事をする人については給料を低くすると決めました。このことから分かるのは、両社はリモートワークをあまり好ましい働き方では無いと考えているということです。もし企業や団体が従業員にリモートワークでの勤務を認めて、彼らが家で勤務する際に家事などで気が散らないようにするための費用を補助すれば、従業員の生産性が上がりますし、幸福度も増すでしょう。燃え尽き症候群に陥る人や退職する人を減らせるでしょう。費用対効果の視点で考えると、WFNH(work from near home)はWFH(work from home)より有利だと思われます。というのは、WFNHの方が当座の支出は増えますが、長い目で見れば見返りが多くなるからです。
私はWFNHを強く推奨していますが、自分で実際にそれをやってみた際に良さを実感しました。私は10年近くメリーランド州タコマパークにある自宅からジョージタウン大学に通っていましたが、去年の春、新型コロナの影響で急にリモートワークをすることになりました。教授職の身ですので、自宅で自分の好きな時間に仕事をすることが可能でした。しかし、リモートで授業をしたり、書き物をしたり、リモートの学部の教授会に参加したり、ラジオに出演したり、家で全ての仕事をするとなると、仕事に集中するのが難しく感じられる時もありました。また、私には子供が3人いるのですが、私がリモート授業をしている時やラジオに出演している時に静かにさせるのは大変でした。昨年の8月、私はついに耐えられなくなってしまい、自宅から数ブロック離れたタコマパークにある小さなレストランの2階にある質素なオフィスを借りることにしました。内装は質素でした。窓がありますが、その窓の下にはレストランの中庭が見え、夕方になると音楽がガラス越しに流れてきます。何十年も前のピーター・ベンチリーと同様に私は居心地の良い家で仕事するのを止めました。設備や装備の整った自宅ではなく、装飾や飾りの無い味気ない部屋で中古のぼろい椅子に座って仕事をすることを選びました。その部屋の外からは騒音や音楽が聞こえてきますが、全く気になりません。私は自宅で仕事をしようと思うことは無くなりました。自宅の近くで仕事をした方が捗りますし、生産性も圧倒的に高くなります。
以上