本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版に11月6日に投稿された Mosab Abu Toha のエッセイです。タイトルは、”The Agony of Waiting for a Ceasefire That Never Comes”(いつになったら停戦するのか)となっています。
本日はガザ出身の詩人 Mosab Abu Toha が寄稿したエッセイを訳しました。氏の詩集で邦訳されたものはありません(たぶん)。そのため、日本では知る人が少ないのですが、アメリカでは結構有名なようです。まあ、現在では、日本で詩集がベストセラーになるということはほとんどないようで、詩歌に親しむ者は少なく、アメリカで売れた詩集でも翻訳されて出版されることはほとんどありません。実際、他言語の詩を訳すということは、簡単なことではありません。原文で踏んでいる韻を翻訳する時点で捨てなければなりませんし、英語の詩を日本語に直すと尺が長くなって活字にした際の見栄えも違ってしまいます。そうした事情が海外の詩集の翻訳版が出ない理由なのかもしれません。また、海外の詩人のファンがいたら、訳したものではなく原文のまま読む人が多いことも理由かもしれません。
さて、Abu Tohaは、ガザの難民キャンプの仮設住宅みたいなところに留まっています。停戦するのを待っているようです。早く逃げたほうが良いと思います。が、留まらなければならない理由があるのでしょう。今日訳したエッセイには、どうして残らないといけないかと言うことは記されていません。私からすると、イスラエルが悪で、パレスチナが被害者ということを印象付けるエッセイを書くためだけにガザに留まっているように見えます。Abu Toha がパレスチナ寄りであることを非難したいわけではありませんので、あしからす。
では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をご覧ください。