2.
翌朝、母は起きていたが、マットレスの上に座ってじっとしていた。私は、父がどこにいるか尋ねた。ガザ北部のベイト・ラヒア(Beit Lahia)にある自宅へ自転車で行ったという。オリーブオイルやオリーブ、砂糖を取りに行ったのだ。まだ、戻っていなかった。以前、私も同じ道程を自転車で行ったことがある。10月12日にパンを取りに行った。その日はイスラエルの空爆があった。空爆で天井が落ちてくるような気がして本当に怖かったのを覚えている(当誌にその時のエッセイを投稿した)。
母は家族の誰かが家に戻るのを嫌がる。母は嫌な夢を見たことがあって、その中で家が破壊され、何もかも瓦礫に埋まってしまったという。父は鳥やウサギを飼っていた。餌をあげないと死んでしまう。だから、どうしてもときどき家に行かなければならないのだ。
「電気カミソリの充電器を取ってきてもらえると有り難いのだが」と、私は言った。息子の襟足を刈った際に充電が切れてしまっていた。父にテキストメールを送ろうとした。しかし、それは不可能であることを思い出した。何せ携帯電話もインターネットも繋がっていないのだから。
私はお茶を飲むことにした。母はコーラン(the Holy Quran)を読む。私の娘2人は、それぞれ自分の子どもの髪をとかす。妻のマラムはキッチンで水筒に水を入れる。まだ寝ている人を起こさないように、私はみんなを静かにさせようとする。
午前8時半頃、私の弟のハムザ(Hamza)が家の中に入ってきた。彼は、それほど遠くはない妻の実家に身を寄せている。眼鏡の奥の目を見ると、とても心配しているようだった。彼が聞く、「父さんはどこ?」と。
「今、自転車で家に戻っているところだよ。」と私は答える。
「僕も1時間前に行ったところだよ。」とハムザは言う。ハムザは身振り手振りを交えて、家は跡形も無かったと言う。
ハムザは写真を撮っていた。写真を見た。建物の1階部分であることが分かった。両親はそこに住んでいた。建物は4階建てだった。その写真で分かるのは、2階から上は跡形もなく吹き飛んでいるということであった。
私は母の近くまで行く。小さな声で、家が破壊されたことを知らせた。母はなぜか落ち着いている。母は言った、「誰も怪我をしなかったことを神に感謝してるのよ。」と。