ガザ停戦の日は近い?いや、永遠に訪れないような気が・・・ ガザの難民キャンプに住む詩人の悲しいエッセイ!

3.

 妻の弟のアーマド(Ahmad)は、自転車で父を探しに行こうと言った。それで、300メートルほど自転車で走ったところで父を見つけることができた。父は必死にペダルを漕いでいた。

 後で父に聞いたのだが、私たちの家に続く道は瓦礫で埋め尽くされていたという。15羽のアヒル、30羽の雌鶏、5羽のウサギ、6羽のハトを飼っていたのだが、餌をやれなかったという。「もしかしたら、何羽かは瓦礫の下に埋もれて生きているかもしれない。」と父は言う。爆撃された建物を見ていると、父の耳に飛び交うドローンの音が入ってきた。父は恐怖心を覚え、急いで引き返して難民キャンプに戻ってきたのだ。

 父が難民キャンプの仮設住宅に戻った時、みんな床に座っていた。全員無事だったのだ。とにかくホッとした気持ちが強かったので、その時は気がつかなかった。 家が無くなったわけだが、住むところが無くなっただけではなく、新しい服や靴や時計も無くなってしまったのだ。もちろん、大切な蔵書も無くなってしまった。

 蔵書はかなりあった。あれだけ揃えるのにはかなりの年月を要した。友人や知人から本を送ってもらって揃えたのだ。ガザに本を送るのは容易なことではない。非常に手間がかかった。それなりの時間と費用がかかっていた。2021年2月に私はアメリカからガザに帰国した。その時、私は自分や妻のスーツケースに120冊の本を詰め込んで持ってきた。スーツケースに本の収納スペースを確保するためにいくつかの靴と服をアメリカで捨ててきた。2023年5月に帰国した時には、本用のスーツケースを1個購入した。それで本を70冊運んだ。運んだ本の中には、友人のサインがあるものもあった。カタ・ポリット(Katha Pollitt)、スティーブン・グリーンブラット(Stephen Greenblatt)、リチャード・ホフマン(Richard Hoffman)、アンミエル・アルカレイ(Ammiel Alcalay)、ジョナサン・ディー(Jonathan Dee)など、仕事で世話になった文芸評論家等のサインだ。空港で審査官が私のパスポートをチェックした際、期限が切れていると勘違いした。日付を右から左に読まなければいけないのに、逆から読んだのだ。カイロからガザに向かったが、スーツケースがあまりに重いため肩を痛めてしまった。

 今から2カ月前、私は文学祭のためにフィラデルフィアにいた。次にサンフランシスコに行く予定だった。しかし、ガザの状況が不安定であることを察し、私は旅程を短縮することにした。帰国する前に、友人のハサン(Hasan)にシラキュース(Syracuse)から車で来てもらい、預けていた35冊の本を渡してもらった。その中には、「グリーンウッド百科事典アメリカ詩人&詩集(The Greenwood Encyclopedia of American Poets and Poetry)」の1〜5巻も含まれていた。

 自分の家が破壊されたことを信じることは難しい。それで、私はベイト・ラヒア(Beit Lahia)の家を見に行くことにする。何が起こったのかをこの目で確かめるしかないと思う。破壊された家の周辺までたどり着いたのだが、パニックになって立ち止まった。あまりにも悲惨な光景だったからだが、ドローンや爆撃機がたくさん飛び回っていてその音に怯んだということもあった。そこかしこに爆弾が投下されていた。

 せめて自分の詩集だけでも見つけ出したいと思い、家の近くのオリーブの木の脇まで近づいてみた。しかし、瓦礫があるばかりだった。爆弾が残した匂いのみが漂っていた。