ガザ停戦の日は近い?いや、永遠に訪れないような気が・・・ ガザの難民キャンプに住む詩人の悲しいエッセイ!

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 今、私はジャバリア難民キャンプの仮設住宅で停戦(ceasefire)を待っている。檻に閉じ込められているような気分だ。息が詰まる。気が狂いそうだ。一緒にいる家族の誰もがそうだ。ここで私にできることは2つしかない。パニックになることと息をすることだ。ここに希望はない。

 私は自分の蔵書を探しに廃墟となった建物に行き、できるだけ多くの蔵書を持ち帰りたいと考えている。以前のように綺麗に本棚に並べたいとは思わない。ただ、蔵書が無傷でできるだけたくさん残っていることを祈っている。弟のハムザも同じことを考えている。彼は、アラビア語の文法書や文学書を10年かけて蒐集していた。私も弟も、数日間は雨が降らないことを祈っている。本が台無しになってしまう。

 10月31日、私たちは仮設住宅にいたが、大きな爆発が3度あった。振動が伝わってきた。窓ガラスが割れた。瓦礫や埃がリビングルームに舞い込んだ。私たちは皆、2つの寝室になだれ込み、天井を見上げた。爆弾が70メートル先に落ちたのだ。その近隣一帯は消し飛んでしまっていた。

 その後、イスラエル国防軍の報道官がCNNに出演し、ジャバリア難民キャンプへの攻撃はハマスの指導者を狙ったものだと語っていた。ニュースキャスターはイスラエル国防軍の攻撃によって民間人に死者が出ていることに言及した。すると報道官は 「これが戦争の悲劇だ 」と述べた。

 翌日、このエッセイをスマホで書いていたのだが、近くで爆弾が爆発するのに気づいた。爆発地点まで走った。200メートル先だった。国連が運営する学校のすぐ脇だった。何人もの女性や子どもが負傷していた。顔や胸から血を流していた。大きな火の手が上がっていた。私は無傷だったので、薬局を見つけて、周りの怪我した人たちの手助けをした。私の家族は全員が無事だった。

 つい先日、妻が肉を拾い集めている夢を見た。夢の中で妻は、「これは息子の腕。これは娘の足。」と言っていたという。

 もし紛争が発生していなければ、私は週に2回は友達とサッカーをしていたはずだ。妻と映画を見に行っただろう。本棚の蔵書を貪るように読んでいただろう。子供たちを公園や海に連れて行っていただろう。息子のヤザン(Yazzan)を自転車に乗せて海辺のビーチロードをサイクリングをしただろう。しかし、現実には、本棚の蔵書を読むことはできない。海辺のビーチロードにも行けない。♦

以上