2.ハマスのプロパガンダ戦略は事前に周到に準備されていた
ハマスが動画を投稿するようになったのは、ハマス戦闘員がガザの包囲網を突破してイスラエルへの攻撃を仕掛けた直後からである。攻撃を展開し始めた頃、ハマスが運営するアル・アクサTV(Al-Aqsa TV network)の分割画面には、イスラエルの町で燃えさかる車両の映像と、腕を後ろ手に縛られたイスラエルの若者たちの映像が並んでいた。ニュースキャスターは、パレスチナ人に向けて、「この映像は勝利を示すものであり、パレスチナの力を誇示するものであり、急襲が成功し、パレスチナの人々に福音がもたらされた!」と訴えていた。
10月7日にハマスが拡散した動画を見直すと、ロケット弾による攻撃の主な目的は、ヨルダン川西岸のパレスチナ人に蜂起を呼びかけることであったことが明らかである。例のニュースキャスターが「パレスチナ人に福音を」と言った直後に画面が切り替わり、ハマスの政治局副局長で好戦的なサレハ・アル・アロウリ(Saleh al-Arouri)の録音メッセージが流された。アロウリは、ヨルダン川西岸に住むパレスチナ人に蜂起するよう呼びかけ、イスラエル人入植者を追い出すべきだと訴えていた。また、ヨルダン川西岸のパレスチナ人が蜂起すれば、イスラエル軍は他の紛争地で苦境に陥るだろうと指摘していた。アロウリは言った、「今日からは、誰もがライフル、銃弾、ピストル、剣、車両、火炎瓶を手放せなくなる」と。ハマスが攻撃している最中に、ヨルダン川西岸地区での蜂起を呼びかける同様の声明が、ハマスの軍司令官モハメド・アルデイフ(Mohammed al-Deif)と、覆面をしたハマスのスポークスマン、アブ・オベイダ(Abu Obeida)によって出された。これらの声明は、アル・アクサTVとアル・ジャジーラ(Al Jazeera)で繰り返し流されている。
結局のところ、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人が蜂起することは無かった。しかし、ハマスのプロパガンダ担当者たちはロケット弾による攻撃が成果を挙げたことで、数日間は呑気に浮かれていたようである。10月9日にイスラエル軍は、自国内に残っていたハマス戦闘員をすべて駆逐することに成功した。アル・アクサTVのレポーター、シャディ・アスフール(Shadi Asfour)は、ガザ地区内の病院からの現地中継で言った、「パレスチナの戦士たちは、1948年に強奪された土地、占領地で今も戦闘を続けている。現地からの報告によれば、彼らの士気は非常に高い。」と。その時点でイスラエル当局は、700人以上の市民が死亡したと発表していた。「その数字が間違っている。」と、アスフールは言った。「イスラエルの死者数はもっと多い。それは、まもなく明らかになるだろう」。
イスラエル軍はガザ地区に残忍な空爆作戦を開始した。ガザ地区で苦境にあえぐパレスチナ人に同情が集まっている。そうしたことが、イスラエルに果敢に抵抗しているハマスをいささか英雄的に見せている部分もあるし、ハマスに同情が集まっている部分もある。それは、ハマスが攻撃をする前から期待していたことである。西側の中東情勢の専門家もハマスに同情が集まっていることを認識している。ラマラ(Ramallah)に本社を置く新聞アル・アヤーム(Al-Ayyam)のガザ駐在記者のタラル・オカル(Talal Okal)は、率直かつ客観的に見て、今回のイスラエルのメディア戦略は、上手く機能していないと指摘している。この点では、ハマスの後塵を拝しているという。
カタールの首長らが所有するアル・ジャジーラは、空爆によって焼け野原になった映像を世界中に広めるのにも貢献している。ガザ地区に最も多くのカメラを設置している同局は、瓦礫の中に閉じ込められた遺体や、包帯でグルグル巻きの子どもを抱いて苦悶する父母の映像を繰り返し放送している。同局のキャスターやレポーターは、ハマスがこの紛争に際して好んで使っている文言を繰り返している。イスラエル軍のことを「占領軍」と呼び、それと戦うハマスを「レジスタンス」と呼んでいる。アル・ジャジーラで最も著名な記者の1人であるマジェド・アブドゥルハディ(Majed Abdulhadi)は、ハマスが攻撃を始めた時、散文詩を詠んで祝福していた。捕らえられたイスラエル兵の驚いた姿について長々と言及して狂喜した後に、アブドゥルハディはその詩を締めくくっている。末尾の句は「ハマスの一斉攻撃が絶望の暗闇を拭い去った。」である。この動画は現在もアラブのソーシャルメディアで拡散中で、数十万人が視聴している。
アルジャジーラのガザ支局長ワエル・アル・ダフドウ(Wael al-Dahdouh)は、イスラエルとハマスの紛争を何度も取材してきた。ハマスの指導者たちが、彼の取材が彼らの視点を伝えていると称賛することも少なくない。2021年の同局のインタビューで、パレスチナ人であるダフドゥは、イスラエルとの紛争で自分の親族の20人が殺されたと語っていた(少なくともその内の4人は過激派組織であるイスラム聖戦”the militant group Islamic Jihad”に属していた)。そのインタビューでダフドウは、「おそらくこれは、パレスチナ人ジャーナリストの人生における困難な瞬間の1つである。ある事件で自分の兄弟や従兄弟が殺されているのに、その事件を自らの手で取材しなければならない時がある。」と言っていた。
10月25日にガザの難民キャンプへの空爆が始まった時、アル・ジャジーラは、ガザの建物の屋上で恐怖で悲鳴を上げているダフドウの映像を流した。彼は、自分の家族にも危機が迫っているという電話を受けているところだった。彼の妻と16歳の息子と6歳の娘が亡くなったという。ソーシャルメディアに投稿された動画には、そのしばらく後で病院で青い防弾チョッキを着て、息子の遺体を前に涙を流す彼の姿が収められていた。「復讐で子供たちを殺すのか?」と、彼はカメラを見詰めながら言った。「彼らは子どもたちを殺している。それ以上でもそれ以下でもない。占領軍は追い払わなければならない」。金曜日(10月27日)に、ダフドウの映像が再び流された。彼は、視聴者に語りかけた。自分にはパレスチナ人の苦しみを報道する義務があり、ガザ地区にとどまり続けるという。