本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版に8月5日に掲載された Sunita Puri によるコラムです。タイトルは、”The Hidden Harms of CPR”(心肺蘇生法”CPR” の隠れた害)です。Sunita Puri は初めての寄稿です。著書が数冊あるようです。
さて、心肺蘇生法に関するコラムでした。心肺蘇生法というと、救急救命士さんが汗だくになりながら、胸部を圧迫するイメージがあります。非常に重要な処置で、誰かが倒れたりした際に救急車が来るのが遅い場合などに、近くにいる者が心肺蘇生法をしなければならないというようなことを聞いたような気がします。たしかに、屈強な若者が何かの事故等で心停止になった場合は、心肺蘇生法をする意義は非常に大きいでしょう。再び心臓が拍動し、脳に障害が残らない可能性が高いでしょう。しかし、もともと心臓が悪くて止まってしまった方や腎臓等の不全の影響で心停止となった方に心肺蘇生法を行っても無駄なことが多いようです。老衰で心臓がとまった方に心肺蘇生法をしたら、どうなるでしょうか?おそらく、胸骨がバキバキに折れてしまうでしょう。
本日このコラムを訳してみて判ったのは、あくまで、高齢者や心臓に疾患のある方に心肺蘇生法を施しても意義が無いというだけです。意義がある場合も少なくないようです。ところで、私は、心肺蘇生法とAEDの違いって何だろうということが気になりました。ChatGPTに確認してみました。回答は以下の通りでした。
”心肺蘇生法は心臓停止に対する応急処置の一つで、心臓マッサージや人工呼吸などを行うことで血流を維持し、心臓の自発的な動きを促すことを目的とします。一方、AED(自動体外式除細動器)は心室細動や無脈性心室頻拍などの心臓の異常リズムを検出し、電気ショックを与えて正常なリズムに戻すことを目的としています。つまり、心肺蘇生法は心臓の機能を回復させるための手段であり、AEDは異常な心臓リズムを正常化するための手段であるという違いがあります。なお、心肺蘇生法にAEDを併用することで、より迅速な救命活動が可能となります。”
さて、これを言ってしまうと批判されるかもしれませんが、誰かが心停止状態で倒れていたとして、その際に私は何ができるかを考えてみました。おそらく、119番通報するだけですね。雑踏の整理をしたり、救急車が到着しやすいように道路に立って誘導するとか、寒そうだったら上着をかけてあげるとか、病状を克明に記録するとか、できそうなことはするでしょう。でも、間違っても心肺蘇生法はできません。AEDも使いません。
理由はいろいろあります。まず、病人を動かして良いかどうかが私には判断できません。安静にしておいた方が良いのに、胸骨をバンバン圧迫してしまったら大変です。また、心肺蘇生法やAEDをやるとなると、胸部に触らなくてはなりません。脂ぎったおっさん(私)が倒れている女性の胸部に手を触れるなんて出来るはずがありません。いや、外見は男性に見えてもそうではない場合もあるわけで、男性に触ることだって憚られます。また、正しく心肺蘇生法をする自信がありません。どう考えたって、素人が無茶苦茶な心肺蘇生法をするくらいなら、何もしない方が倒れている人にとって良いように思えます。AEDも使いこなす自信がありません。また、心肺蘇生法をしなくても不作為で訴えられることは無いはずですが、下手な、あるいは誤った方法で心肺蘇生法をしたことによって症状が悪化したとか後遺症が残ったとかになると訴えられる可能性があるような気がします。
話がそれてしまいましたが、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をご覧下さい。