The Hidden Harms of CPR
心肺蘇生法(CPR) の隠れた害
The brutal procedure can save lives, but only in particular cases. Why has it become a default treatment?
この残忍な処置により命が救われることもありますが、それは特定の場合に限られます。なぜそれがデフォルトの治療法になったのでしょうか?
By Sunita Puri
August 5, 2023
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67歳の誕生日を迎えて間もなく、エルネスト・チャベス(Ernesto Chavez)はロサンゼルスの食品倉庫の職から引退しました。45年間連れ添った彼の妻サラ(Sara)が私に教えてくれたのですが、彼は高血圧とコレステロールの薬をきちんと服用し、孫たちとの時間を楽しみたいと願っていたそうです。しかし、2021年1月のある朝、エルネストは高熱にうなされました。重い箱を持ち上げる時のように心臓がバクバクしました。病院で検査を受けたところ、新型コロナウイルスに感染していることが判明した。彼の血中酸素濃度が急降下したため、すぐに挿管(intubation)されました。それから10日後に彼の両肺は機能しなくなり、点滴を何リットルもされ顔がパンパンにむくみ、手足は冷たくなり始めていました。彼が回復する見込みが薄れていく中で、私は彼の家族と話をしなければならなくなりました。心肺蘇生法(cardiopulmonary resuscitation:略号CPR)について説明するためです。それは、死そのものと切り離せないテーマでもありました。
何十年もの間、多くの医師が、心不全(heart failure)、末期ガン(advanced cancer)、認知症(dementia)などの不治の病の最後の打撃に苦しむ人々に心肺蘇生法(CPR)を施すべきか否かということで悩んできました。心肺蘇生法(CPR)は医療現場における最後の拠り所として非常に頼りにされているわけですが、病院で心肺蘇生法(CPR)を受けた人の85%近くは死亡しています。その上、最期の瞬間には痛みと混乱に包まれることとなります。新型コロナがその危険性をさらに高めました。胸骨を圧迫するたびに空気中にウイルスなどがまき散らされます。胸骨圧迫に続いて行われる挿管(intubation)では、挿管した医師たちはウイルスを含んだ唾液に触れることとなります。伝えられているところによれば、ミシガン州とジョージア州の病院では、新型コロナ感染者で心肺蘇生法(CPR)を受けて生き延びた例は1件も無かったそうです。新型コロナの流行があったせいで、かねてから効果に疑いがあると目されていた心肺蘇生法(CPR)に対する風当たりが強くなっています。多くの者が、エルネストのような末期の病人に対して心肺蘇生法(CPR)が標準的な治療として施されているのはおかしいと考えるようになっています。
私は緩和ケア医(palliative-care physician)として、重篤な、しばしば末期的な疾病を抱えた人たちが今後の進路を考える手助けをしています。新型コロナパンデミックの最中には、愛する者が新型コロナでICUに入院している家族一人ひとりと、毎週Zoomでミーティングを行いました。私は、新型コロナウイルスが肺に不可逆的なダメージを与える可能性があること、患者の状態がどのようにして把握されるか、そして生命維持装置に繋がれているにもかかわらず患者が死亡する例がいかに多いかということについて説明しました。
ある曇天の日の午後、私はエルネストの家族と話すためにZoomにログインしました。サラの他に彼女の娘のナンシー(Nancy)、研修医でエルネストの治療に関与しているニール(Neal)も加わりました。Zoomでミーティングを始める前に、私はニールにこうした状況で説明をする方法を学んだか否かを尋ねてみました。彼は、ノーと言っていました。私は、彼にエルネストの家族に何と言うかを尋ねてみました。彼は謹厳な面持ちで言いました、「エルネストの肺は人工呼吸器を必要としているということを私は説明します。。病状が回復する兆しは全く無いこと、彼の状況は非常に重篤であるということを認識して欲しいと言うことも言います。彼の心臓は止まってしまうかもしれませんということも伝え、もしそのような状況になったら、心肺蘇生法(CPR)を使って蘇生処置を行うか否かを確認します。」と。そして、彼は両手で胸骨を圧迫するような仕草をしました。
私が研修医をしていた時分には、患者自身に心肺蘇生法を望むか否かを尋ね、その決定に従うよう教えられました。しかし、十分な情報を得た上での決断には、それ以上のものが必要だということも学びました。ある晩、私は、不治の結腸癌(colon cancer)を患っていたアンドリュー(Andrew)という男性患者を看取りました。彼は排尿ができなくなり、意識も朦朧としていて会話もできない状態でした。彼には即時の透析(dialysis)が必要でした。そこで私は彼をICUに入れる手配をしました。私は彼の妻に心肺蘇生法(CPR)について説明しましたが、癌が心臓と腎臓の機能不全を引き起こしていること、つまり彼は死にかけていること、心肺蘇生法(CPR)をしてもそれは必ずしも変わるわけではないことは説明しませんでした。私は心肺蘇生法をするか否かを決断するという重荷をすべて彼の妻の肩に負わせました。本来であればもっと十分に説明を尽くすべきだったのかもしれませんが、そうする代わりに、私は彼女に重大な決断を下すよう委ねたわけです。私は、イエスかノーで答えるように迫りました。私は聞きました、「アンドリューの呼吸が止まったら、人工呼吸器をつけますか?もしアンドリューの心臓が止まったら、心肺蘇生法(CPR)をしますか?」と。アンドリューの妻にとって、そしてほとんどの人にとって、この2つの質問は 「私たちに彼を救って欲しいですか?」という質問と同義です。私は心肺蘇生法(CPR)をするか否か聞いたのですが、それはあたかも生か死かを選べと迫っているようなものでした。
Zoomをしているパソコンの画面は3つの長方形に分かれていました。サラとナンシーはベッドの上に身を寄せていました。サラの目にはクマができていました。彼女は、エルネストが昏睡状態になる前に言っていた言葉が脳裏にこびり付いていると言っていました。彼女は言いました、「彼は自分の命を救うためなら何でもして欲しいと言ってたわ。どうせ死ぬんだから、何でも試さなきゃ損だと思うと言っていたわ。」と。彼女の姿がZoomの画面から消しえました。「ごめんなさい、もう泣くところを見せたくないの。」
エルネストがなんでもして欲しいと言っていたわけです。ですので、研修医時代の私であれば、彼は心肺蘇生法(CPR)を望んでいるに違いないだろうと推測したと思います。しかし、何でもして欲しいと妻に言った際の会話で、彼は心肺蘇生法をするか否かといったこと以外のことも沢山話していました。死についてとか、死の間際に自分がどのようにケアされることを望むかといったことも話していたのです。私は、サラと話した時に心肺蘇生法(SPR)という処置について包み隠さず説明するようにしました。それは、医師にとっても患者やその家族にとっても、特殊な処置です。心の中で、その処置のお世話になる準備ができている人はどこにもいないでしょう。