ウソでしょ?心肺蘇生法(CPR)はあまり効果が無い!病身者や高齢者にCPRをするのは苦痛が増すだけ!

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 心肺蘇生法(CPR)は、命を救う手段の1つです。38州で、高校を卒業する前に心肺蘇生法を学ぶことが義務づけられています。大腸内視鏡検査(colonoscopies)や胃バイパス手術(gastric bypass surgery)、心臓血管造影(cardiac angiograms)とは異なり、心肺蘇生法(CPR)は何十年もの間、テレビや映画の世界で美化されてきました。医療ドラマでは、心肺蘇生法が命を救う場面は少なくありませんし、それは、医師の道徳的決意の象徴として描かれていることも少なくありません。映画やテレビの画面では、大多数の患者が心肺蘇生法(CPR)によって絶命する危機から救われ、無傷で元の生活に戻っていく姿が見られます。

 しかし、心肺蘇生法(CPR)が残酷で、しかもほとんど効果がないことは、医療関係者の間では公然の秘密です。心肺蘇生法(CPR)は、誰かがほぼ死んだ時点、脈が途絶えた時点で開始されます。脈が途絶えるということは、心臓が機能していないことが原因です。心臓が機能していない原因は、たとえば冠動脈の閉塞などがあります。他の臓器の不具合が原因で心臓が機能しないこともあります。肺不全が心臓から酸素を奪ったり、腎不全が毒素を蓄積したりします。心肺蘇生法(CPR)は、そのような状況でも脳に血液が流れるようにすべく実施するものです。2インチの深さで1分間に100回、胸骨圧迫をしなければなりません。ステイン・アライブ(Stayin’ Alive:1977年のビージーズのヒット曲)のビートに合わせる感じです。同時に除細動器(defibrillator)を使って胸部に電気ショックを与えます。病院では、心動を助けるための点滴、患者の呼吸を助けるための人工呼吸器(ventilator)も使用されます。心肺蘇生法(CPR)が正しく行われた場合、その行為は正しく暴行に似ています。圧迫する際の力が肋骨(ibs)や胸骨(breastbone)を砕きます。肺に穴を開けます。心臓を傷つけます。心臓に繋がる主要な血管が破裂します。繰り返される電気ショックで皮膚に火傷ができます。病院内で心肺蘇生法(CPR)を実施した場合、心臓が再び拍動しだしたとしても、その内の40%には脳に損傷が残ります。軽い記憶喪失になったり、植物状態に陥ったりします。

 そうしたリスクを冒すに値する場面もあります。心肺蘇生法(CPR)は、患者が比較的健康であったり、心拍停止が回復可能なレベルの場合には命を救うことができます。1月に全米中継された試合中に、バッファロー・ビルズ(Buffalo Bills)のダマー・ハムリン(Damar Hamlin)選手は心肺停止状態に陥りました。彼は、心肺蘇生法(CPR)の適用が最も相応しい種類の人物でした。若く、健康で、相手選手との衝突によって突然の心肺停止状況に陥りました。進行性の疾病を患っているわけでもないので、心肺蘇生法(CPR)で心臓が再び拍動する可能性は低くありませんでした。それでも、病院外で心肺蘇生法(CPR)を受ける人の内、再び心臓が拍動するのは10%にも満たないのです。病院内では、心肺蘇生法(CPR)が迅速に開始されるので、その確率はわずかに向上します。しかし、助かるのは人生の最終段階にない人に限られます。がん等の重度の慢性疾患を持つ67歳以上の成人の内、心肺蘇生法(CPR)を施されてから6ヵ月後に生存している者はわずか2%です。その2%の人たちは、しばしば痛みと格闘し、身体が衰弱し、心的外傷後ストレス症候群(PTSD)と向き合っています。死地から蘇ったとしても、決して健康体に戻れるわけではないのです。

 それにもかかわらず、心肺蘇生法(CPR)は例外的な措置ではありません。むしろ、病院外でも内でも普通に広く行われています。限定的に行われているわけではなく、老いも若いも男も女も重篤な者も健康な者もあらゆる人がこの施術の対象となり得ます。病院に入院すると、すべての患者は自動的にフルコード(full code:ありとあらゆる救命処置を行なう患者)とみなされます。心臓が止まれば心肺蘇生法(CPR)を受けることとなります。心肺蘇生法(CPR)は同意が必要となる稀な医療行為の1つです。輸血(blood transfusion)もそうで、輸血を受ける際には同意書にサインする必要があります。しかし、安らかな死を迎える権利を奪う処置である心肺蘇生法(CPR)の場合、サインする必要はないのです。自分が死にかけた場合にも心肺蘇生法(CPR)をしたくない場合には、事前に医師にその旨を伝えて、DNR指示(do not resuscitation order もしくは DNR order、蘇生処置拒否指示のこと)を出してもらう必要があります。しかし、これは信頼よりもむしろ恐怖を引き起こす傾向が多いようです。DNR指示とは、誰かの心臓が止まった場合に心肺蘇生法(CPR)を行わないと医師が指示することです。それ以外のことについては何も抑制しないのですが、多くの人々が、DNR指示という語を聞くと、医師が抗生物質(antibiotics)や化学療法(chemotherapy)、CTスキャン(CT scans)等の選択肢を放棄して、最善の治療を尽くさないというイメージを思い浮かべてしまうのです。その語が医師の怠慢を助長するのではないかという誤った懸念が蔓延っています。最近では、DNRという語の代わりにAND(allow natural death)を使うことが好まれるようになっています。この語は、病気や怪我の自然な結果を認めるための指示であることを強調し、継続的な終末期ケアを重視するものです。

 とはいえ、そういったことを理解することと、それを実践することはある意味全くの別物です。私が研修医だった頃、指導医が私の行動を頻繁に観察しない限り、侵襲的カテーテル(invasive catheters)を留置することはできませんでした。しかし、私が患者にどのように生きたいのかとか、どのように死にたいのかということについて話しかけても、誰も私を監督しませんでした。私は患者の自律性の重要性、つまり強制されることなく、自分のケアについて十分な情報を得た上で決定する権利について学びました。しかし私は、危害を防ぐという誓いも立てていました。自律とは、患者に何もかも委ねることではありません。そうするのは、車を自動車整備工場に持ち込んだ際に、何の情報も出さず、何の指針も示さずに車を持ち込んだ者に車をどのように修理したいかを決めろと命じるようなものです。私には、ある治療法が益よりも害をもたらす場合には説明する必要がありましたが、DNR指示を出して心肺蘇生法(CPR)をしないと指示することは、しばしば残酷で、無神経なことに思えました。

 そうした状況でしたので、私は助からないとわかっている患者にも心肺蘇生法(CPR)を行いました。アンドリューの心臓が止まった時、私が彼に初めて会ってからわずか数時間後のことでしたが、私たちは40分間に渡って心肺蘇生法を試みました。私は彼の胸骨が私の両手の下でボキボキ折れるのを感じました。木の枝が真っ二つに折れるような音を感じました。私は自分が油用ポンプ(oil pump)のレバーを必死で押しているのだと思うようにしました。私の手は骨が折れてしまった血まみれの胴体ではなく、柔らかい大地を押しつけているのだと思いこもうとしました。私は彼の顔は見ず、モニターだけを見据えていました。自分のしていることが恥ずかしいと思ったからです。彼が死んだ後、私はバスルームで嘔吐しました。手は血で汚れていました。靴底には彼の心電図の波形が印字されたリボンがこびりついていました。

 おそらく多くの医師が、当たり前のように同じような悲惨な経験をしているでしょう。オレゴン州の病院で勤務医をしているパトリシオ・リケルメ(Patricio Riquelme)は、インターン時代に肺がんの患者を担当した時の話をしてくれました。化学療法を受けた後、その患者は路上で倒れ、縁石で頭を割りました。リケルメは言いました、「彼は動くことも話すこともできず、彼を診ていた医師団は彼は長くは生きられないだろうと話していました。でも、私を指導していた主治医や先輩の研修医は、その患者の娘にそうした話を持ち出しませんでした。私も心肺蘇生法(CPR)についてどうやって話すかということは学んでいなかったので、話そうとは思いませんでした。」と。数日後、その患者の心臓が止まりました。「私は胸骨の圧迫を始めました。彼の胸骨は崩れ落ちました。言われたままに、私は圧迫を続けました。彼の身体が壊れ続けているのが感じられました。彼の口から血が噴き出して私の顔にかかったので、私は目を閉じなければなりませんでした。」と。延命治療を30分ほど続けた後、先輩の研修医がようやくその患者の娘と話をしました。娘は、心肺蘇生法を止めて欲しいと言いました。リケルメは言いました、「私は、すぐにでも医療現場から足を洗いたいと思いました。」と。

 胸骨が折れる等の害があるわけですが、肉体に害が及ぶだけではありません。患者の死が近づいていることを認識しているのに、何も言わないのは忸怩たる思いです。患者が延命治療についてどう考えているか、患者の文化的・宗教的バックボーンや経歴などを話し合うことができないのです。患者の家族に心肺蘇生法(CPR)をするよう主張された時、心肺蘇生法(CPR)のまね事だけをしてやり過ごそうとする医師も少なからずいます。私はそんな医師を沢山見てきました。医療現場では、スローコード(slow code)というものが存在しています。それは、心肺蘇生法(CPR)が医療スタッフによって医学的利益がないと考えられる状況で、心停止の患者に意図的にゆっくりまたは不完全に対応することです。医師団は患者の病室まで歩いて行き、非常に軽度の圧迫しか行わないのです。ショートコード(short code)なるものも存在しています。それは、心肺蘇生法(CPR)を1、2回だけ行うことです。さらに、バーガーキングコード(Burger King code)なるものもあります。これは、要するに好き勝手にカスタマイズできるということです。除細動機は使うが胸骨圧迫は行わないとか、胸骨圧迫は行うが挿管は行わないといった具合です。心配蘇生法(CPR)では、それらを総動員して行わなければ意味が無いわけですが、こうした不十分な対処を安易に選択する医師団は少なくありません。というのは、心肺蘇生法(CPR)をまったく行わないよりも、間違った選択肢、不十分な選択肢の方が選択し易いからかもしれません。