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妊娠中および子育ての初期にある女性は、厳しい監視の対象であると同時にその指揮者でもある。昨年、アーティストで映画監督のソフィー・ハマッハー( Sophie Hamacher )が、このテーマに関する文章を集めたアンソロジー「 Supervision 」を共同執筆して出版した。「私は自分の子供を追跡し監視することに夢中になっていた。」とハマッハーは序文に記している。「夢中になるにつれ、自分が他者による追跡と監視の対象であることをますます意識するようになった。広告主、医療従事者、政府機関、道行く人々などによって追跡され監視されている。私が自分の子どもを監視しているのと同様に、私と子どもも監視されていることが分かったことは感慨深かった」。ハマッハーが感じたのは、監視は取り締まりであると同時に見守りでもあるということだった。実際には、有益と有害、親密と疎遠といった両極端の性質が絡み合っている。ベビーモニター( baby monitors:赤ちゃんのそばにカメラを設置し、専用のモニターで離れた場所からも様子をうかがうことができるツール)には軍事用に開発された技術が使われている。また、現在使われているベビーモニターの多くのモデルは、CCTV(閉回路テレビ:特定の建物や施設内で、入力装置(カメラ)から出力装置(モニター)までが一体となって接続されているシステム)が使われている
アメリカの幼い子供のいる家庭のほとんどが、ベビーモニターやベビートラッカーを使っている。直近の調査によると、市場普及率はそれぞれ 75% と 83% となっている(いずれの調査も、これらの機器を製造している企業が実施したものである)。他にもテクノロジーを駆使して子供を監視するツールは無数に存在している。ナニー・カム・テディベア( nanny-cam Teddy bear:熊のぬいぐるみにスパイカメラが埋め込まれている )、GPS ベビーカー・アクセサリー( G.P.S. stroller accessories:ベビーカーにスマホを取り付けるホルダー等)、赤ちゃんの経時的な体重の増減を記録する体重計、オムツに貼り付けて赤ちゃんが寝ている間にうつぶせになると知らせてくれるディスクなどである。最近では、AI を活用して子供の不調の兆候を検知する製品も増えている。「子供が安全で元気かどうかを知りたいという欲求は至極当然のものであり、その欲求を満たすための監視機器は無害のように思える。」と、作家であり学者でもあるハンナ・ゼアヴィン( Hannah Zeavin )はエッセイの中に記している。しかし、彼女は「これらのテクノロジーは、子どもの安全を守るという名目で、誤検知の可能性、救急救命サービスを妨げる可能性、意図せず国家権力に協力している可能性があることをひた隠しにしている。」と付け加えている。概して、これらの監視ツールは、監視対象となっている赤ちゃんにより良い結果をもたらさない。ソーシャルメディアと似ているところもある。ソーシャルメディアを使うことは、他者との繋がりが確保できるようになり、それが生み出す孤独を癒す薬となる。育児用のハイテクツールも、それが減じるはずの親の不安を悪化させる可能性がある。
こうしたことは、テクノロジーが進化した現代ではよく見られる現象である。アメリカの全世帯の 5 分の 1 弱にドアベルカメラ( doorbell camera )が設置されていると推定されている。その多くは、治安当局との提携を強め、ユーザーに不審者の映像の投稿することを奨励する専用アプリが人気で拡大を続けているアマゾン子会社のリング社( Ring )のものである。リング社のカメラが広く普及したからといって、特段治安が良くなったわけでもない。むしろどこにでもカメラがある状況は人々の不安をより増大させるものである。カメラが増えたことで、何でもかんでも警察に通報する人が増えてしまった。つい最近まで、警察はリング社のアプリにリクエストを出すことで、令状なしにリング社の監視カメラ映像に簡単にアクセスすることができた。また、リング社や下請業者の従業員は、ユーザー宅のカメラ映像を自由に見たりダウンロードしたりできるアクセス権が与えられていた。
2015 年にアウレット社( Owlet )が、赤ちゃんの心拍数と酸素濃度をモニターし、これらの数値に異常があれば親にアラートを発するスマートソックス( Smart Sock )の販売を開始した。250 ドルであった。同社が明確に主張しているのは、この製品は乳幼児突然死症候群( sudden infant death syndrome )の治療や診断を目的としたものではなく、突然死症候群の発生リスクを低減させるという証拠はないということである。しかし、これらの機器は 突然死症候群モニター( SIDS monitors )と呼ばれることもある。2017 年に医学誌「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション( Journal of the American Medical Association )に掲載された意見書では、医師がこの製品を推奨しないよう注意を促している。「家庭内の健康な乳児をモニターしても医学的なメリットはない。」との記述がある。このソックスは、「乳幼児の安全を守る能力について、親に不必要な不安感を覚えさせるだけである。親が自信を失うことで、乳児のリスクが格段に高まる可能性がある」という。翌年、同誌に掲載された論文は、このソックスの酸素測定値が不正確であることを明らかにした。2021 年 2 月にアウレット社が株式公開した際の株式時価総額は 10 億ドルを超えていた。その年の暮れに FDA がスマートソックスは認可された医療機器ではないという警告書を出した。同社はスマートソックスの販売を中止した。すでに 100 万足が売れていた。翌年、アウレット社はドリームソックス( Dream Sock )なる新製品を市場に投入した。これは、FDA の認可を受けていた。ドリームソックスの製品レビューを見ると、ほとんどが非常に高い評価である。多くの親が、乳児が常にモニターされていることで安心感が得られ、このデバイスが無かったら不安であると評価している。
ズボフは、現在は監視資本主義( Surveillance capitalism )の時代であると指摘する。社会全体の安全安心のためと称して、多くの企業が広範に個人データを収集し商品化している。しかし、赤ちゃんのデータを収集し商品化しても、ほとんど社会の安定には寄与しない。至るところにカメラを付けたりして監視の和に加わることで安心した気持ちになる。それは幻想でしかなく、ちっとも安全になったわけではない。それなのに、誰もが監視されて息苦しくなっている。常に監視され誰かに支配されているように感じる。監視資本主義の影響は、現実のものとなっている。