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女性が人工妊娠中絶を受ける権利が憲法で保障されるプライバシー権の一部であるとしたロー対ウェイド判決( Roe v. Wade )が、アメリカでプライバシー権という概念が蔑ろにされつつある時期に覆されたのは偶然ではない。中絶の権利のより強力な基盤として機能した可能性のある法的原則は他にもある。平等な保護を受ける権利( the rights to equal protection )、あるいは身体的完全性に対する権利( the right to bodily integrity )である。クリスティーン・ネフ( Christyne Neff )が 1991年 に書いているのだが、通常の妊娠と出産による身体的影響は、激しい殴打の影響と似ている。肉体が裂け、臓器が再配置され、0.5 リットルの血液が失われる。ネフは、国家が妊婦にそのような体験を強制することは正当化できないと主張した。
2 年前に連邦最高裁でロー対ウェイド判決が覆されて以降、14 の州が中絶をほぼ完全に禁止した。2 つの州が、州民に中絶を試みる者を監視する権限を与える中絶自警団法( abortion-vigilante law )を制定した。インディアナ州の司法長官は、中絶の記録は死亡記録のように公開されるべきであると主張している。先日、カンザス州は中絶手術をする医療機関に中絶する妊婦の詳細情報を収集し、それを州当局に提供することを義務づける法案を可決した。いつか避妊とセックス自体が罪悪とされ監視の対象となる日が来るかもしれない。昨年、ヘリテージ財団( the Heritage Foundation:ワシントン DC に本部を置く保守系シンクタンク)はツイッターで、「保守派はセックスを本来の目的に戻し、快楽目的のセックスや不必要な避妊薬の使用を禁止する先頭に立たなければならない。」と主張した。
アメリカの多くの女性にとって、妊娠はロー対ウェイド判決が覆されるずっと前から、国家による監視の入口となっていた。貧しい女性、特に貧しい非白人女性は、妊娠中に(時には分娩中に)、本人の同意なしに薬物検査をされることが多かった。妊娠中に薬物を服用した女性は、その薬物が合法であった場合も含めて、児童虐待や育児放棄の罪に問われてきた。流産した女性が薬物を服用していたことが判明した場合、因果関係が証明されない場合でも、過失致死罪もしくは殺人罪に問われてきた。時として起こることであるが、薬物を使用して悩んでいる妊婦を助けると謳っている看板や広告を見て、気軽にコンタクトをとった者が殺人罪で捕らえられている。いくつかの州では、胎児の安全が脅かされているとして多くの妊婦が拘束されている。「アメリカで貧しい者が妊娠した場合、プライバシー権の侵害は免れないかもしれない。運が悪ければ、普通なら部外秘である医療記録を当局に自由に閲覧されるだろうし、憲法上の基本的な権利も担保されないだろう。」と、法学教授のミシェル・グッドウィン( Michelle Goodwin )は 2020 年の著書” Policing the Womb(子宮の取り締まり)”に書いている。
グッドウィンは、その著書でアイオワ州のクリスティン・テイラー( Christine Taylor )という女性の例を紹介している。2010 年に 22 歳で 2 児の母であったテイラーは、妊娠中に階段から転落したことによって胎児の殺人未遂罪に問われた。検察が挙げた証拠の 1 つは、彼女が 1 人の看護師に「赤ちゃんは欲しくない」と語ったことだった(最終的に、検察は起訴を見送った)。ほとんどの妊娠は、気分が塞いだりハイになったり不安定な状態になることがある。だから、塞いだ時の妊婦の言動を捉えて罪を着せようとすれば、ほとんどの妊婦は犯罪者にされてしまうだろう。妊娠した経験から言えることであるが、妊婦の心の奥底には相反する感情が共存している。分娩中には歓喜しつつ悪夢にうなされていたし、その後の数週間は夜な夜な赤ちゃんを深く愛しつつ、絶望的な気持ちにもなった、生後 9 カ月の我が子を抱きしめて喜びを感じつつ、瓦礫の中で飢え死にする赤ちゃんがいることを知って恐ろしくなったりする。第一子を妊娠する前から、私は本気で妊娠したいと願っていた。妊娠するよう計画的に行動し、いろいろと準備した。ここまですれば妊娠するだろうと思っていた。それでも、妊娠検査薬で陽性反応が出た時は泣けた。