The Huge Economic Challenge Facing Liz Truss
リズ・トラスが直面する巨大な経済的課題
As energy prices soar and living standards plummet, the new British Prime Minister is planning a vast bailout of households and businesses.
エネルギー価格が高騰し、生活水準が急落する中、英国の新首相は、家計と企業に対する大規模な救済策を計画しています。
By John Cassidy September 7, 2022
火曜日(9月6日)にダウニング街10番地、つまり首相官邸の前で、イギリスの新首相リズ・トラスが演説しました。自国を 「高収入の仕事と安全な街並みがあり、誰もがふさわしい機会を得られるような大志の国へと変容させる 」と述べました。イギリスでは、無料で受診できる国民保健サービス(NHS)が新型コロナへの対応に追われ、他の患者が診療や手術を受けられない医療崩壊が社会問題となっていましたが、トラスは演説で「国民が必要な時に医師の予約を取れるようにする」と表明しました。そして、「プーチンの引き起こした戦争によるエネルギー危機に対処する」ことを約束しました。先日公表されたある報告書によれば、「この2年間の実質所得の伸びは、ここ100年で最悪となる」恐れがあるとのことです。
その演説は、詩的な表現が無く修辞句で飾り立てられていない上に、短く、平易なスピーチでした。それは、おそらく意図的なものだったのでしょう。ボリス・ジョンソン(Boris Johnson)の戯言を何年も聞いてきた多くの英国人は、少なくとも現時点では、巧みな表現を用いて熱く語るやり口には辟易としているのです。ジョンソンが退陣を余儀なくされた7月に始まった保守党の党首選に月曜日(9月5日)に勝利したトラスの演説からは、彼女が「分かりやすく話をするヨークシャーの女性」であるというメッセージが伝わってきました。ボリス・ジョンソンの演説のようにたわ言(BS:bullshit)ばかりではないように思えました。彼女は、政策を実現するために早速組閣に取り組みましたが、主要4ポストの総理大臣、財務大臣、外務大臣、内務大臣のいずれも白人男性が就かないことになりました。それは英国史上初めてのことでした。
しかし、トラスが平易な表現を用いて多様性を重視しても、保守党の前任者3人が経験したのと同じ運命を辿らない保証にはなりません。彼女もボリス・ジョンソン、テリーザ・メイ、デイヴィッド・キャメロンと同様に首相官邸から不名誉な撤退を強いられる可能性は無きにしもあらずです。実際、トラスが直面している課題は、間違いなく前任者3人が現職時に抱えていたものよりも重いものです。3人の中では、メイがかろうじてトラスと同じくらい重い課題を抱えていたと言えます。というのは、メイは、2016年のブレグジット(Brexit)の国民投票が行われた直後、40年以上にわたる英国の政治と経済が根底から覆された直後に政権に就いたからです。
いずれにせよ、トラスは、英国でいうところの「厄介な事態(sticky wicket)」に直面しています。彼女に困難をもたらしている背景には、保守党がすでに 12 年間政権を握っていて、その間に幹部の多くが辞任または解任されていることにあります。トラスは総選挙を行う必要はなく、ジョンソンが獲得した議会の過半数を2025年1月まで継続することができます。ただし、世論調査によると、保守党の支持率は低下し続けています。また、彼女自身は決して選挙に強くないのです。保守党の党首選の決戦投票の前に行われた保守党下院議員による5回の投票で、彼女は常にリシ・スナク前財務大臣に大きく後れをとっていました。最終的には、2名の候補者による決選投票(保守党員全員に選挙権がある)で、81,326票を獲得し、スナク前財務大臣を見事に破りました。とはいえ、人口6,800万人の国において、たったの8万余票しか獲得できていないのです。アメリカで最も人口の少ないワイオミング州の現職知事であるマーク・ゴードン(共和党)が11月の知事選で再選を目指しているわけですが、先月の共和党予備選挙でそれより多くの票を獲得しています。いやはや、非常に少ない票でトラスが首相になったわけですが、イギリスとアメリカのどちらの制度がより民主的なのでしょうか?
トラスは、減税、小さな政府、規制撤廃、移民拒否政策、労働組合への締付強化、軍備拡大、法と秩序を強調するというサッチャーリズムの基本に戻ることを公約に掲げて、保守党の支持者たちの間で支持を拡大しました。そうしたトラスの党員の支持を獲得する戦術は、素晴らしいものでした。おかげで、保守的な報道機関のオーナーの支持を得ることもできました。デイリー・メール紙のロザミア卿やデイリー・テレグラフ紙のデビッドとフレデリックのバークレー兄弟やサン紙のルパート・マードックなどの支持を得られたのです。「鉄の女」の威を借る戦略は、非常に効果的であることが証明されたわけです。ちなみに、サン紙は月曜日(9月5日)の社説で、「リズ・トラスは課題山積のイギリスが正に必要としている非常に急進的な首相である。」と賞賛していました。
しかしながら、この経済危機の中でイギリスを統治する者が、戦略として本物のサッチャリズムを採用することは、自殺行為に等しいと言わざるを得ません。冬が近づきつつある中で、天然ガスの価格が記録的に上昇しています。イギリスの多くの家計では、昨年と比べるとエネルギー価格が3倍近くになっています。パブやレストランを含む一部の中小企業では、そのコストが5倍以上にも跳ね上がっています。サッチャリズムの基本理念は、「施しをしない、自分の足で立つ」というものです。トラスがいの一番に取り組まなければならないのは、この理念を思い切って捨てることです。家計や企業のエネルギー関連の支出を減らすために、政府による巨額の救済措置を導入するべきなのです。
報道によれば、トラスが取り組もうとしているのは、今後18カ月間、家庭の電気料金の上限を年間約2.5千ポンドに抑えるというものです。納税者の負担は 1,500 億ポンドを超えるでしょう。イギリスの GDP の約 7% に相当します。このような巨大な救済策は、ジョンソン政権が導入した新型コロナ関連のどの救済プログラムよりも大きなものです。投資銀行ジェフリーズ(Jefferies)のアナリストのアーメッド・ファーマン(Ahmed Farman)がフィナンシャル・タイムズ紙で語っていたのですが、実質的には「イギリスの近年で最大の福祉プログラムである」そうです。
そうした救済策は、はたしてうまくいくのでしょうか?間違いなく言えることは、何もしないという選択肢よりもはるかに多くの人々から支持を得られるということです。イギリスのインフレ率はすでに10%を超えています。列車の運転手、郵便局員、コールセンター職員の多くが賃上げを求めて職を辞しています。医師や看護師や教師が今後数週間以内に、同じような行動をとるかもしれない環境下で、国民に冬の間我慢しろと言うことなどできるはずがありません。そんなことをしたら、混乱が広がって、おそらく暴動さえ起きかねません。
事実上、トラスに選択の余地はありません。問題は、彼女が減税、国防費の増強、NHS(国民保健サービス)への資金投入をすると発言していることに対して、既にイギリスの金融市場が委縮し始めていることです。この1カ月ほどで、財政赤字の拡大への懸念からポンドとイギリス国債が大きく値下がりしています。現在、ポンドは、対ドルで1980年代半ば以来の安値となる約1.15ドルで取引されています。一部のアナリストは、パリティ(訳者注:等価、1ドル=1ポンド)まで下落する可能性を指摘しています。
もしイギリスがブレグジット(Brexit)をしていなかったら、金融市場が神経質な動きをすることは、さほど問題にはならなかったかもしれません。イギリスが欧州連合(EU)の一員であるときは、ポンドはほぼユーロと同じ値動きをする傾向がありました。しかし、イギリスが自らEUを脱退して孤立する道を選んだ今、独自の通貨と財政に潜在的な脆弱性があるとして注目が集まっているのです。イギリスは膨大な貿易赤字を抱えています。その赤字を金融資本が大量に流入してくることで補っている形です。「投資家のイギリスへの信頼がさらに損なわれれば、海外の投資家はイギリスの対外赤字の補填のための資金供給をためらうようになるので、国際収支が危機的な状況となる可能性があります。」と、ドイツ銀行のあるアナリストは月曜日(9月5日)に警告していました。
また、トラス首相が大規模な財政支出を計画すると、インフレを嫌うイングランド銀行が金利を大方の予想よりも大幅に引き上げる可能性が出てくると指摘する市場関係者も多いようです。既にイングランド銀行は、今年の第4四半期に景気後退が始まり、それは12ヶ月間続くと予測しています。もしイングランド銀行が今後数ヶ月の間にさらに積極的に金利を引き上げるとすれば、景気後退がさらに長く続き、落ち込み幅も大きくなるリスクも高まるでしょう。
もちろん、より好ましいシナリオも無いわけではありません。現在のエネルギー危機のような大きなショックが起こると、政府は必然的に、勤労者世帯への打撃を和らげるために国債を発行してでも支援するよう迫られます。国債の発行は借金をするのと同じで財政赤字が増えます。しかし、財政赤字が拡大することは必ずしも有害ではないのです。ガベカル・ドラゴノミクス(Gavekal Dragonomics:中国系のシンクタンク)でチーフエコノミストを務めるアナトール・カレツキー(Anatole Kaletsky)は、火曜日(9月6日)に発表された記事の中で、「ロナルド・レーガンとドナルド・トランプは、思い切った減税を実施し、それ以前には考えられなかった規模の財政赤字を出しました。多くのエコノミストのアドバイスを完全に無視していました。それでも、予測されたような大惨事は決して起こりませんでした。」と指摘しています。
カレツキーは、トラスが経済危機に際して積極財政政策に打って出るのは、ケインズ経済学を信奉しているからだと主張しています。しかし、そうした主張をしているのは、彼1人のみのようです。おそらく、トラスはサッチャーも信奉していたミルトン・フリードマンの経済理論を参考にして政策を実施することを望んでいるのではないでしょうか。現在、彼女は非常に大きな難題に直面しています。誰が首相であっても対処は非常に難しいと思われます。彼女がケインズ的な政策を取るかフリードマン的な政策を取るかは見通せない状況ですが、何とかして経済運営で成果を挙げたいと願っているはずです。それができなければ、彼女の名前は、「4名連続で不名誉な撤退をした保守党党首」の1人として記憶されることになるでしょう。♦
以上
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