本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版に6月3日に掲載された Souvankham Thammavongsa (カナダのラオス人詩人or小説家)によるコラムです。タイトルは、”The Ice-Cream Truck”(アイスクリームトラックの思い出)となっていました。
Thammavongsa(タンマウォンサ)はカナダのラオス人(女性)です。詩人であり、短編小説家でもあります。これまでのところ、日本では彼女の詩集や短編小説は販売されていません。邦訳を見たことがありません。しかしながら、the New Yorkerに自伝的なコラムが載っていた記憶がありますので、アメリカではかなり人気があるのではないでしょうか。そのコラムを読んで得た情報によると、彼女の両親がラオスからの難民(refugees)のようです。難民として祖国を出なければならないという状況というのは、私には想像もできません。とても大変なことだと思います。
彼女の両親は、低賃金の労働をせざるを得ず、貧しかったようです。このコラムは、彼女が小さい時の夏休みのことを懐かしんだものです。彼女の家は貧しく、その家のまわりは同じような貧乏人ばかりが住んでいました。そういうところには、アイスクリームトラックは普通は来ません。商売になりませんから。
しかし、遠い夏の日、なぜかその日だけ、弟と心もとない面持ちで留守番をしていた彼女の家の前の通りまでアイスクリームトラックは来たのです。そもそも誰からも認識されていないと感じていた姉弟にとって、それは意外なことでした。自分たちのことを認識してくれる人がいるのだ!それって、すごく心強いことですよね。誰からも認識されない、しかとされることほど辛いことはないわけですから。
嬉しくて、姉弟はアイスクリームトラックまで走った。親からは決して家から出るなと言われていたのに。お金なんか持っていないのに。食べたいアイスの名前を叫んだ!アイスクリームのおやっさんは、アイスをくれた。姉弟は、アイスにむしゃぶりついた。指も手のひらを舐めた。手首も。アイスクリームを1ミリたりともこぼさないように。食べ終わって気づいたら、アイスクリームトラックはいなくなっていた。あれっ、お金払ってないよね!このことを姉弟は親には内緒にすることにした。
あれから数十年が経った。アイスクリームトラックが曲を流しながら近くに来た。あの時を彷彿とさせる。走っている男の子がいる。その子を追って走った。そうすればアイスクリームトラックにたどり着けるはず。あの時と違って、作者は経済的な成功を手にしており、アイスクリームを頼むことができる。お金をきちんと払うことができる。そう、あの時とは違うのだ。しかし、あの時と一緒と感じる点もある。アイスクリームトラックが私を認識してくれている。私は決して世間から見放されているわけではないのだ。しかし、やはりあの時とは違うという感じが勝っている。あの時となりに寄り添っていた弟が、もうこの世にはいないのだ。
というような内容でした。
日本では、アイスクリームってあまり目にしないわけですが、アメリカの住宅街では夏の風物詩です。子供の頃にアイスクリームトラックでアイスを頼んで食べたなんてことを懐かしむ人は多いようです。私の好きなThe Beach Boys の”No-Go Showboat”という曲にもアイスクリームトラックという歌詞が出てくるほどです。
では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文を御覧ください。
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