8.自然史博物館でのワグナーの講演
先月、私は自然史博物館でワグナーと再会しました。彼は、全米科学財団(National Science Foundation)から昆虫の減少に関する5年間の研究プログラムを実施するための助成金を得ており、博物館はこの取り組みを開始するにあたっての会議を開催していたのです。その会議の初日に、状況が逼迫していることを強調することを意図して、昆虫の現状に関する新たな論文が発表されました。それは、中国農業科学院(Chinese Academy of Agricultural Sciences)の研究者によるものでした。その論文で明らかになったのは、中国と朝鮮半島にまたがるエリアの飛翔昆虫の数が、わずか15年あまりで大幅に減少しているということでした。特に他の昆虫を捕食する種でその減少率が高いことも明らかにしていました。その論文は、食物連鎖の崩壊が始まっていることを示唆していました。論文の末文には、「昆虫のコミュニティを積極的に保全することが極めて重要である。」と記されていました。
その会議の大部分は、テディ・ルーズベルト(Teddy Roosevelt)の肖像画が飾られた木製のパネル張りの部屋で行われました。参加者は、ハチ(bees)、トンボ(dragonflies)、キリギリス(katydids)、ダンゴムシ(dung beetles)などの専門家たちでした。ワグナーは会議の冒頭で言いました、「私がこの会議に出席した理由があります。それは、昆虫が危機的な状況にあるということです。」と。
プレゼンテーションのいくつかはZoomを使って行われました。それに伴う技術的な混乱もちょっとだけ発生していました。マット・フォリスター(Matt Forister)は、カリフォルニア州のセントラルバレー(Central Valley)でチョウの個体数が減っていることを発表しました。シエラネバダ(Sierra Nevada)の高地はさらに深刻な状況であることも明らかにしていました。スミソニアン熱帯研究所(Smithsonian Tropical Research Institute)の研究員グレッグ・ラマーレ(Greg Lamarre)は、パナマのバロ・コロラド島(Barro Colorado Island)の昆虫の個体数は安定しているようだと発表しました。ペンシルバニア大学(University of Pennsylvania)で教鞭をとることもある熱帯生態学者のダン・ジャンゼン(Dan Janzen)がコスタリカ北西部の自宅からリモートで講演しました。彼の後ろの壁にポリ袋がぶら下げられているのが見えました。どうやら、標本が入っているようでした。彼が言ったのは、現地で60年にわたって研究をしてきたが、昆虫の個体数は壊滅的に減少したということでした。
「自然保護活動家は、乱伐された熱帯雨林について話す時、彼らはそれらを”空っぽの森””(empty forests)と呼びます。」と、彼は語りかけました。「私たちが見ているのは、正しく”空っぽの森”なのです。」
ワグナーが私に語ったのですが、種々雑多な報告があって掴みどころがないような気がしたわけですが、昆虫はある特定の種だけが苦境にあるわけではなく、あらゆる種が苦境にあると確信したそうです。「昆虫にストレスを与えている要因は何でしょうか?照明、農薬、生息地の消滅、気候変動、大気汚染、外来種、農業の工業化などであると推測できます。それらが昆虫を苦しめていることは疑いようのない事実です。」と彼は言いました。また、アメリカ西部で昆虫にとって最大の脅威は、温暖化による干ばつであると彼は考えていました。
彼は言いました、「昆虫は表面積が大きいのですが、体積は小さいという特徴があります。従って、水を貯める能力が乏しいのです。さらに、昆虫は呼吸器系が我々のような哺乳類とは全く異なっているので、その点も温暖化による乾燥への対処を難しくしています。人間の場合は、口から空気を吸い込み、血液を通して酸素を体中に供給します。しかし、昆虫の血液は酸素を運ぶことができません。そのため、昆虫には全身の細胞群を貫く呼吸管が必要で、その分、水分の損失が大きくなってしまうのです」と。乾燥地帯に生息する昆虫は、干ばつに対処する方法を持っていなければ棲息することは不可能です。例えば、ガの中には、さなぎ(pupae)の形で地下で仮死状態に近い状態で乾燥期を生き延びることができる種もあります。しかし、そんなガにも限界があるのです。雨が降らない状態が長く続くと、ある時点でそのガも死滅してしまうのです。ワグナーは、乾燥化との戦いに挑んでいるような気がすると言っていました。
彼は私に言いました、「私たちはいずれ気候変動の問題を解決するでしょう 。いずれ脱炭素化も実現するでしょう。しかし、それがあまりにも遅くなれば、私が愛する多くの昆虫にとっては手遅れになってしまうでしょう。」と。