本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版にのみ掲載の記事です。題名は”The Rise and Fall of Getting Things Done”(GTD”Getting Things Done”の盛衰について)です。一時期、GTDが流行りましたが、廃れたことに関する記事でした。
特派員Cal Newportによる寄稿記事です。サブタイトルは、”How personal productivity transformed work—and failed to.”(知識労働者の生産性を上げる取り組みが上手くいかないのは何故?)です。約半年前の記事ですが、Getting Things Done(GTD)について書かれています。私は、GTDは少しだけ知っています。というのは、 ビュレット・ジャーナル を使っているからです。非常に具合が良いような気がして、気に入って使っています。
しかし、Newport氏によると、GTDは生産性の向上には寄与しないとのことです。元々、GTDは知識労働者の生産性を上げるために生まれたツールでした。氏によれば、確かに個人レベルではやるべきことが明確になるとのことです。私もビュレット・ジャーナルを使っているとやるべきことが明確になるというか、備忘録として使えて重宝しています。しかし、組織全体で見ると、大して生産性が上がるわけではないようです。まあ、そりゃそうですね。組織全体の効率が悪い場合に、その組織の在り方を見直さないでGTDで個々人の生産性だけを上げようとしても限界がありますからね。
ドラッカーが指摘していますが、生産性は個人の働き方とかの問題ではないのです。仕組みの問題です。20世紀には製造現場で飛躍的に生産性が上がりましたが、あれは個々人のスキルが上がったわけではなく、個々人が頑張ったとかでもなく、仕組みの見直しで生産性が上がったのです。個々人の仕事のやり方に焦点を当てているGTDは、知識労働者の組織の仕組みに影響を及ぼさないので生産性を改善することもないのです。
思うに、知識労働で効率的な組織を作ろうとしたら、やはり、ドラッカーが指摘していたように個々人の自律性に任せるしかないのでしょう。知識労働者といったら、例えば、プログラマーとかですが、彼らは上司の知識を当てにしていませんし、口出しされたくないと思っているでしょう。個々人が最大限能力を発揮できるようにするために管理職、マネージャーがすべきことは、他部署との交渉とか、何を優先すべきかとかを明確にし、組織内で業務の割り振りを見直すことだと思います。それで、個々人が業務により自律的に集中して取り組めるようにして組織全体の生産性を上げるしかないのです。
では、以下に和訳全文を掲載します。