侮れないトルコ製ドローンの実力!バイラクタルTB2投入でウクライナの戦況は一変!精密空爆可能な上に安価!

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 バイラクタルとその家族は、バイカー・テクノロジーズ社の敷地内に住んでいます。そこは大学のキャンパスのようで、スポーツ施設もありますし、バイラクタルが「 Google社のものより大きい 」という公園もあります。私は、バイラクタルと話をしました。彼の母親のカナン、彼の4歳になる娘(名前は同名でカナン)が隣室で夕食をとっているところでした。バイラクタルは、自分がバイカー・テクノロジーズ社で最も古いエンジニアの一人であると言っていました。また、同社のプログラマーの多くが女性であると言っていました。

 バイラクタルは、1979年に3人兄弟の二男としてイスタンブールで生まれました。漁師の息子であった父エズデミールは、イスタンブール工科大学を卒業後、自動車部品メーカーを設立しました。母のカナンは経済学者で、パンチカード時代のコンピュータープログラマーでもありました。3人の兄弟は、いずれも幼い頃から工作機械に親しんでいました。バイラクタルは私に言いました、「私たちは兄弟そろって子供の頃からずっと工場内に入って遊んだり働いたりしていました。」と。彼は、10代のころには、金型製作の名人になっていたそうです。エズデミルは、アマチュア・パイロットでもあったので、少年時代のバイラクタルは、父親が操縦する飛行機の窓からトルコの素晴らしい地形を眺めることもあったそうです。「小さな飛行機でしたが、鳥になったような気分でしたよ。」とバイラクタルは私に言いました。その後、バイラクタルはラジコン飛行機のキットを購入して作ったり、時には自分で設計して改造しました。彼は言いました、「試験勉強をしているふりをして、ラジコン飛行機に熱中していました。ラジコン飛行機をこっそり作って、ベッドの下に隠していました。」と。

 バイラクタルが作ったラジコン飛行機の試作品は、専門家の間でも高い評価を受けていました。彼は、2002年にイスタンブール工科大学を卒業し、ペンシルバニア大学に招かれました。彼は、修士課程にいる時に、ジョージア州のフォートベニング陸軍基地において2機のドローンに編隊飛行をさせました。彼は、その後MITの修士課程に転じたのですが、そこでは、ラジコンヘリコプターを壁に着陸させるという誰も挑んだことが無い難題に挑みました。指導教官であったエリック・フェロンは、バイラクタルのことをよく覚えていました。大変熱心な研究者で、職人気質であり、イスラム教の戒律を遵守し、青少年の教育に熱心であったそうです。フェロンは、バイラクタルに自分の娘が数学の宿題をするのを手伝うことや、ガールスカウトの隊員たちにラジコンヘリコプターのデモンストレーションをすることを依頼したことがあるそうですが、いずれも大変熱心だっだことを覚えていると言っていました。フェロンは言いました、「彼は、とても優れた技術者でした。でも、私は、彼の結婚式に招待されるまで、彼が目指していたものの全てを理解していたわけではないんですよ。」と。

 バラクタルが米国の大学に在学していた頃、米国はアフガニスタンとイラクに無人機「RQ-1 プレデター」を投入していました。バイラクタルは、米国の外交政策には反対でした。彼は私に「当時の私は、ノーム・チョムスキー(米国の哲学者、言語哲学者、言語学者、認知科学者、論理学者)に心酔していました。」と。彼は、他の多くの大学院生(多くは外国人だった)とともに学生運動に参加したそうです。しかし、彼にとっては自律走行車やドローンの研究に対する興味の方が勝っていたので、MITに在籍したまま、イスタンブールにある父の経営する会社の工場で小型無人機のプロトタイプを作り始めました。

 バイラクタルの父のエズデミールは、息子が研究開発するドローンに対してトルコ政府からの資金援助が受けられるよう東奔西走しました。エズデミールは、イスラム国家主義者で西洋文化に批判的だったネクメチン・エルバカン(元首相)と親交がありました。トルコは1920年代以降は法制度上は共和制と政教分離原則に基づく世俗主義を採用していました。元々は機械工学の教授であったエルバカンは、産業に投資し、才能ある技術者を育成すれば、豊かなイスラム国家を構築できると信じていました。1996年にエルバカンはトルコの首相に選ばれました。しかし、軍部の圧力に屈して辞任しました。また、トルコ憲法で定められた政教分離を脅かすとして政界から追放されました(エルバカンは、ムスリム同胞団やハマスと繋がりを持っていました。彼は、自身が追放されたのはそれが理由であり、すべて「シオニスト」の陰謀によるものであると主張しています)。

 バイラクタルは、エルバカンに自分の研究内容を説明しました。バイラクタルは、2005年頃には大学が休暇となる時期には、トルコ軍との共同研究に従事するようになりました。また、バイラクタルの家族は、エルバカンの弟子で2002年に首相に就任したエルドアンとも親交がありました。バイラクタルの父は、エルドアンがイスタンブール市長を務めていた頃に顧問を務めていたようです。バイラクタルは、エルドアンがしばしばバイタクタル家を訪ねてきたことを覚えているそうです。

 バイラクターが初めて開発したドローンは、 Mini UAVと名付けられました。手で発射するタイプで、重さは約20ポンド(約9キロ)でした。初期テストでは、3フィート(約90センチ)ほどしか浮上できませんでした。しかし、バイラクタルが設計を改良し続けた結果、まもなく1時間以上も上空に留まることができるようになりました。バイラクタルは、アナトリア南東部の雪山で、Mini UAVの飛行テストを実施するようになりました。そのテストでは、クルド人の独立国家建設を目指す武装組織であるクルド労働者党(PKK)の反乱軍を監視をしていました。フェロンは、山中でバイラクタルと接触した時に大変驚いたそうで、その時のことを振り返って言いました、「彼は、危険な最前線に留まることを躊躇していませんでした。彼がテストを実施していた地点は、トルコ軍にとっては最悪の環境だったのです。彼は、常にトルコ軍と一緒に移動し、一緒に行動していました。開発中のドローンについての要望を直接ユーザーから学ぼうとしていたのでしょう。」と。バイラクタルは、実際に戦闘が行われている場所でドローンの実地テストをすることが非常に好きだと言っていました。彼は言いました、「私が開発していたドローンは、戦闘に耐えうる頑丈なものである必要がありました。標高1万フィート(約3,000メートル)、摂氏マイナス30度の環境でも機能しなくてはならないのです。軍用のドローンは、民生品とは全く異なるものなのです。」と。

 バイラクタルは、より大型のドローンの開発に着手しました。彼は、2014年に固定翼でプロペラを持つバイラクタルTB2のプロトタイプを初公開しました。合計150kgのミサイルや誘導爆弾、ロケット弾を携行することが可能でした。その年、首相として任期満了を迎えていたエルドアンは、大統領選挙で勝利しました。国民投票によって司法権をも掌握したエルドアンは、その権力を思う存分行使して、政敵を起訴し始めました。エルドアンの伝記を4冊書いたソネル・カガプタイは私に言いました、「現役のトルコ軍の将軍の4分の1が逮捕されました。それに加えて、エルドアンに批判的な市民活動家も多数逮捕されました。」と。バイラクタルは、バイラクタルTB2が完成した際に、エルドアンの師と仰いでいたエルバカンのことについて言及しました。「エルバカンは、自分のライフワークのすべてを、世界の潮流を変えることに捧げていました。」と、バイラクタルは言いました。(エルバカンは、遺作となった回顧録で、過去400年間にわたって世界はユダヤ人とフリーメイソンの連合体によって密かに支配されてきたと主張していました)。

 2015年12月、バイラクタルは、バイラクタルTB2の精密空爆能力のテストを始めました。レーザー誘導によって模擬爆弾を使ってテストしたのですが、ピクニックソートほどの大きさの標的を5マイル離れたところから攻撃して見事に着弾させることができました。2016年4月には、バイラクタルTB2を使って実弾を投下しました。その目標となったのは、PKKでした。その攻撃によって、PKKの幹部と側近の少なくとも20人が死亡しました。その攻撃を行った際に、バイラクタルは、ドローンを戦闘に投入する際には、電波の奪い合いが起こることも学びました。ドローンは、無線信号で制御されるのですが、敵は妨害電波を発信して制御を乱そうとします。ドローンの操縦者は、周波数を変えたり、無線信号の出力を大きくしたりして対処します。「トルコでは、無数の妨害電波が飛び交っています。というのは、PKKがドローンを多用しているからです。トルコは、ドローンが飛ぶには最も危険な場所の一つです。」と、バイラクタルは言いました。トルコはドローンを遠隔操作して反体制組織を攻撃したわけですが、おそらく、国家が自国内で自国民に対する攻撃でドローンを使う軍事作戦を行ったのは、これが初めてだと思われます。しかし、バイラクタルは、テロの脅威が高まっているということを理由に、今でもその作戦を熱心に支持し続けています。

 その年の5月、彼はエルドアン大統領の娘と結婚しました。結婚式には、政界のエリートを含む5千人以上が出席しました。バイラクタルの妻となるスメーエは、頭にスカーフを巻き、パリのデザイナーのダイス・カイクがデザインした純白の長袖ドレスを身にまとっていました。その頃、トルコという国は、あからさまにイスラム的な性格を強めつつありました。1990年代には、大学や公共施設でのヒジャブの着用が禁止されていました。現在、状況は大きく変わっています。「ヒジャブを着用した妻を持つことが、エルドアン政権で仕事を得るための最も確実な方法である。」とカガプタイは記しています。バイラクタルは定期的にソーシャルメディアでフォロワーにツイートしていて、イスラム教の祈りを捧げています。現在では、彼の家族の女性は全員がヒジャブを被っています。

 スメーエは、バイラクタルと同じくトルコのイスラム教エリートの2世です。2005年にインディアナ大学で社会学の学位を取得して卒業しました。「彼女は素晴らしい倫理観を持っています。また、本物のチャレンジ精神を持っています。」とバラクタルは言いました。また、スメーエのことを、父であるエルドアン大統領の政治スタイルをブラッシュアップさせて、より人気を得られるようにして、女性受けもするようにしたと評価する者も少なくありません。トルコ版イヴァンカ・トランプと評する人もいるほどです。「エルドアンの治政下で、女性は政治権力へのアクセスという点で大きく損をするようになりました。女性が閣僚に任命されても、形だけの仕事しかありません。」とカガプタイは私に言いました。

 2016年6月、イスタンブール空港でISISに属するテロリストが45人を殺害するというテロが起こりました。トルコは、すぐにシリアに対して越境攻撃を仕掛けました。トルコはバイラクタルTB2を用いて攻撃しました。攻撃の目的は、ISIS の掃討とクルド勢力の勢力拡大阻止でした。7月には、トルコ軍の一部のグループがエルドアン大統領に対するクーデターを起こしました。一時はイスタンブールとアンカラの一部の重要施設を占拠するも結果として失敗に終わりました。主要な野党はクーデターを非難しました。戦闘機を操縦するクーデター共謀者がトルコ議会に爆弾を投下したとか、エルドアンが滞在していたホテルを暗殺隊が急襲したという噂が流れました。エルドアンは、ペンシルバニア州に亡命した聖職者であり政治指導者でもあったフェトゥッラー・ギュレンとその信奉者を非難し、10万人以上の公務員が粛清されました(ギュレンは、クーデターへの関与を否定しています)。現在では、バイラクタルは、エルドアン政権の側近となっています。また、バイラクタルが開発した無人機は海外に輸出されるようになりました。